世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

雑踏を歩きながら

うだるような暑さのなか、という書き出しがよく似合う最近の気候だけれども、朝は暑くなる前に家をでて、陽が沈むくらいに職場を出る毎日を送っているわたしはそれほどうだるような暑さの中に身をおいておらず、今年の夏もそれほど自分のこととして感じないまま8月を迎えたなあ、と思っている。うだるような暑さのなか、という書き出しで文章を書きたかったのだけれど、それに続く話題はわたしの日常生活にはないことに気がついて少しつまらなく思えてしまった。わたしの日常のほとんどは適度にクーラーの効いた居心地のよい空間に存在していて、それが自分の人生そのものを表しているように思えて、夏が少し憎らしく思えた。温室育ちなわたしは苦労知らずという言葉に敏感で、それがウィークポイントだと自覚しているからこそ敏感でただ夏の暑さを回避していることですら辛い事から逃げているようでいやな気持ちになった。それでもきょうはうだるような暑さのなか、ひとごみのなかを歩いてきたので、少しくらい夏を感じられたのかなあと思う。すれ違うひとのなかには浴衣を着ているひともちらほら見かけて、充実した夏生活を送っているようでうらやましくも思った。今日は8月1日、夏真っ盛り、ニュースでは連日猛暑日に関しての話題があふれており、熱中症で何人が病院へ運ばれたかだとか、そういうニュースを聞いて、今日の予想最高気温は36度だとかほとんど人間の平熱くらいの気温まで暑くなるなんてたまったもんじゃないなあ、とかそういう類のニュースを聞いて、どちらかといえば気になるのは今日の救急車は混みそうだとかそういうことだったりする。そしてうだるような暑さのなか、わたしはガンガンにクーラーの効いた極寒の手術室のなかで寒さに足をつりそうになりながら長時間の手術に耐えている。そういう日々を送っている。

 

8年間過ごした愛媛を出て、この4月から久しぶりに名古屋に戻ってきた。名古屋の夏は遠いわたしの記憶にあるとおり変わらず暑く、愛媛と違って雨が多い、雨に関しては雨降りの日数も多いけれど雨粒の落ちてくる量、スピードも多く、愛媛の雨はすごくかわいらしいものだなとしみじみ思っている、名古屋の雨はかなり暴力的だ。

わたしのなかにある名古屋の記憶は、高校時代、名古屋の塾に通っていたころのことだ、友達と見えない将来に不安と希望を抱いてこの名古屋に立っていたんだと思う。こういう形で名古屋に住むことになるなんてそのころはもちろん思っていなかったし、ほんとうは喜ばしいことなのだろうけど、いざ立ってみると充実感だとか達成感だとかそういう類の感情は沸き起こることはなく、空虚感でぽっかり心に穴のあいたわたしがいた、あのころのわたしが今のわたしを見たら何ていうだろう、たぶん、つまらない人間になってしまったと軽蔑するだろう。人間の欲望はきりがなく、ひとつ達成したら次は同じ目標に到達しても同じような達成感は得ることができなくなる。前と同じ、では足りないのだ、もっと欲しい、もっと大きなものが欲しい。たぶん、達成感に飢えているのだ、と思う、走り続けないとつまらない、もう走らなくていいよ歩いていいんだよという周りの言葉が正しいのかそれとも自分の気持ちに素直に従うのがいいのか、迷っている、そしてためらいがちに走りはじめている、この名古屋の地で、疲れない程度にけれど周りからみたら走っているかのように見えるスピードで、走っているんですと自分と周りにアピールしている、それでも猛スピードで走っている昔のわたしが哀れな目でこちらをみるからそれが焦りに変わる、ああ自分には嘘をつけないとはこういうことを言うんだと、そうして何も得られていない自分を情けなく思う、次は何を目指そう、次はどこまで走っていけばいいんだろう、次はどこまでいったら自分は満足できるんだろう。

 

消し忘れ 消し忘れたライト あとどれくらいで 朝が来るのか

眠れない 眠れない夜を すり減らして爪をかんでた

行かないで 見渡して 羽ばたいて 口ずさんで いつか

言わないで 思い出して 羽ばたいて 口ずさんで いつか

 

サカナクションのルーキーをループしながらイヤホンで耳を塞いでうだるように暑い名古屋のひとごみのなかを歩く。気のせいか自分へ向かってくるひとの塊が多いようでぶつからないように避けるのにエネルギーを使う、逆らうことは得意だったはずなのに、8年という歳月はわたしの牙をすり減らしてまるくしてしまったように思う、大人になったのだよと誰かがいうけれど、どうもつまらなく思う、つまらなくしてしまったのは間違いなく自分であるはずなのに、生き易く生きやすくするためにすり減らした牙のはずなのに、その牙で獲れなくなったものに、飢えている。

それでも、楽しく思う日々もあるのだけれど、時たまそういう気持ちに襲われるのだ。明日考えよう、明日考えようとして今日の日にむりやり幕を降ろして夜に逃げ込み、疲れたことを言い訳に今日の荷物を明日のわたしに託す、抱えていかなくてはならない荷物はどんどん増えてゆくばかり。今日の日を大事に過ごす、1日1日を精一杯生きる、という言葉は刹那的に生きろという意味ではないはずだ。積み上げていかなくてはならない、日々を、重ねていかなくてはならない。

 

わたしが脳神経外科に進みたかった理由(内面対話)

こころ、っていうものは、いったい体のどこにあるのだろう、という僕の質問に対して、

『そんなもの、決まっているじゃないか、脳、にあるのさ。脳は、君に起こるすべての事柄を感じ取って、すべての感情が沸き起こる源泉となっている、目、耳、舌、皮膚、はたまた腸管だって、すべては脳へシグナルを伝えるためのパイプ、のような存在に過ぎないのだよ。』

と君は僕の眼をまっすぐ見据えて言った。あの日の事を君は覚えているだろうか、僕はこんなにもはっきりと思い出せるくらい強烈な記憶として覚えているよ、あれはすごく寒い日のことだったんだ。君はダウンジャケットにマフラーを巻いてかなりの重装備だったのだけど、暖房のあまり効いていないあの寒い喫茶店で冷たいレモンスカッシュを頼んでいた。寒いのに冷たい飲み物を飲むんだね、と僕は口には出さなかったけれど思ったんだ。僕たちの座った席の傍の窓からは道路脇に植えられているイチョウの木が見えたのだけれど、もう幹には数えられるくらいの黄色い葉しか残っていなかった、地面にはいっぱいにイチョウの葉が落ちて散らばっていた。遠くから見たそれは、真っ黄色の美しい絨毯のようだったけれど、近くで見ると人が歩いたせいで、葉は汚く茶色に千切れ、銀杏があの独特なにおいを放っているのが見ているだけで感じられた。大抵のものは距離があればあるほど、綺麗に見えるものだ、というのは君の口癖だった。

『人間を、人間足らしめているのは、脳だ。』

そう、君はきっぱりと言った。結露で水滴まみれになっているレモンスカッシュのグラスを軽く傾けながら、やや僕から視線をそらして言った。ものすごく長い道のりを歩いてきたのだ、君の横顔が、そう、言っているように見える。事実、君はそうなのだろう、僕にも、君の家族にも、君のかつての恋人にも、全貌などとうてい理解できないような壮大な物語を歩いてきたのだろう。彼らは、その断片しか知らない。断片ひとつひとつは事実であってもそれらがどう繋ぎあっているのか、どう干渉しあっているのか、それは君自身しか知らないし、君も誰かに理解してもらおうと思ってなどいないことが、僕には分かる、でもそれが少し悲しくもあった。

ただ真っ直ぐにどこかを見つめている君の瞳の先には、おそらく実際には何もない、何もない空間を見つめて、君は自分の内面と対話している、静かに脳を見つめている。

そこにはなにがあるの、と僕は暖かいココアのマグカップをこちらに寄せながら聞いてみた。僕は寂しいんだよ、君はそこにあるものを見てなどいない、実際には無いものばかりを見ている、無いものばかりを追い求めている。手に入らないことなど初めから分かっているくせに、頬を赤らめながら駆けていくんだ、何もない場所へと、心を躍らせながら、周りなど目もくれずに。

 

『寂しがり屋なんだよ』

君は、先ほどの僕の質問に、ぽつりと答えた。君は相変わらず僕から視線をはずして、窓の外を見ている、僕も君の視線の先らしき場所を見てみたけれど、そこには羊雲が広がる青い空があるばかりだった。そう、いつもの事、君は質問に対してはっきりとした解答をくれない。君の昔からの会話の癖だ、捉えようによってはどうとも解釈できる様な曖昧な返事ばかりだ。君が言う『寂しがり屋』というのは、僕の事を指しているの、それとも君自身の事を言っているの。

『君って寂しがり屋なんだよ(だからそういう質問を僕に聞いてくるんだ)』

『僕って寂しがり屋なんだよ(だから遠くをみつめてしまう)』

どっちだったとしても、そう変わりはない、どうせ君にはこれ以上近づけないのだ、例え、僕がどんな質問をしても、例え、僕がどれだけの時間を、君と過ごしたとしても。ただ、僕ははっきりと言える、君はいつまでもその見えない何かを追い求めてゆくだろう、そして僕も、この命が尽きるまでずっと君の事を追い続ける、君が最期に何を見るのか、君が最期にどこへ辿り着くのか、それを見届けるために、僕は君を見守り続ける、これまでも、そしてこれからも、ずっと。約束しよう。僕ひとりきりの指切りだ。こんな事君にはとうてい言えやしない、そもそも君は興味など無いだろう、しかしあるいは、もしかしたら、君は気づいているのかもしれない、僕の気持ちに。けれど、僕の気持ちがどうであれ、そのことが君の行動を変えることは無いだろうし、僕も僕の意見を変えるつもりはない。外ではイチョウの木が、乾いた風に吹かれながらはらはらと黄色い葉を落としている、まだ誰にも踏みつけられていない真っ新な美しい葉だ。

そうだね、と僕は、限りなく君に興味のないふうをよそおって答えた、ココアの入ったマグカップは時間が経ってもまだ暖かく、僕はかじかんだ指先を温めるように両手でマグカップをぎゅっと強く握りしめた。そっと目を瞑って思う、僕だって、ずっと走り続けることができるのだ。

覚えているかい君は、またイチョウの季節がやってきたよ、こんな寒い日の出来事だったんだ。

 

 

【近況報告】

長らくブログの更新を怠っておりました。このブログを読んでくれている方はいらっしゃるのだろうか。いまわたしは卒後3年目をむかえ、脳神経外科医としての1歩を歩き始めております。結構多忙な毎日を送っていますが、ひまをみつけてまた書いていきたいと思います。コメントなど下さった方、返信できず申し訳ありません。わたしの尊敬するブロガーのひとり、id:inujinさん、背中を押してくださりありがとうございます。つたない文章でございますが、この文章をいぬじんさんに捧げます。

精神科のことを書けないでいる2・希望

精神科のことを書けないでいる。

わたしは何を書きたいんだろう、この心の中にある気持ち、これを言葉にすると何という単語を使って紡ぎだされる文章になるのだろう。

なぜ書くことにたいしてナイーブになってしまうのか、そう、自分の中で上手に咀嚼できていない事柄や、裏付けとなる根拠がはっきりとしていない事柄というのは、えてして伝える相手に誤解を与えてしまいややこしいことになる。そういう気持ちに近い。

 

わたしが精神科の研修にいった病院は県内で最も大きな精神科病院だった。600床以上の大病院だ。精神科病院、つまり、精神科しか扱っていない、とても専門性の高い病院で、いちおう内科も標榜しているけれど、精神病患者さんが発熱するだとか、おなかが痛くなっただとか、そういったことを主にみていた。

そこはそれだけ大きな病院だけあって、救急治療も行っていた。『精神科救急』を行っているのだ。それは例えば、今まさに自殺しようとしている患者さんの保護、何らかの精神科疾患が疑われており、危険な行動をおこしてしまって警察につきそわれて来る患者さんの保護、そんな急性期のことも行っていた。

街にある開業医の一般的な心療内科、精神科などは、わたしも行ったことがあるし、そこでの患者さんをみたこともあるけれど、それを大きくしたバージョンです、というには少し毛色が違うように思う。

 

『精神科はどこか違うのだ、今まで内科や外科で研修してきたノウハウはほとんど使えなかった』

昨日このように書いたけれど、少し言葉足らずだったように思う、この『精神科』というのはわたしが研修をした、この急性期を扱っている病院における精神科という前置きが必要だったように思う。いや、でも、それだけではない、わたしが思っているにはこういうことだけではない、言葉がみつからない、『精神科』という言葉が広すぎるというようには思う、ただ感じるこの違和感はなんなのだろうか。偏見を持ちたくないという気持ちこそが偏見をうんでいるようにも感じる。

これまでも、学生の頃の実習で精神科という科はもちろんまわった。そこでは患者さんとビーズでキーホルダーを作ったり、バレーボールをしたり、レクリエーションや畑仕事を一緒にしたりして過ごした。そのころ別に違和感は感じていなかった。特に精神科の患者さんだからとか、そんなことはあまり意識しなかった、みんな違ってみんないい、その範疇の出来事だった。いや、でも、今でもそう思っているはずなのだけれど、なんだろう、心がうまく言葉にならなくてもどかしい。

 

研修の初日、病院へ行ったらまず事務のおねえさんが『絶対になくさないでくださいね』といって、鍵を3本、わたしにくれた。それはこの病院にある、あらゆるドアにかけられている鍵を開けるためのものだった。ああ、そうか、そういう病院へ来たのだった、そう思って、大事にポケットへしまった。

病棟にはいろいろな種類があって、まさに今救急車で運ばれてきたといった急性期の患者さんが入院する病棟、少し回復してきた患者さんが入院している病棟、もう少しで退院できそうだけどまだ外でひとりで生活するのは難しそうだねという患者さんが入院している病棟、患者さんの病態段階によっていくつかの病棟にわけられていた。

わたしは研修中だったこともあり、急性期の患者さんが入院している病棟があてられた。その病棟には、2つのドアがあった。ひとつはナースステーションへつながる廊下にあるドア、もうひとつは各々の部屋のドア、そしてそれらはどちらともに鍵がかけられていた。まあそれでも、病状が安定してきた患者さんは、各々のドアの鍵は解放することもあるようだった。

患者さんに会いにいくときには2つの鍵を開けなくてはならなかった。各々の部屋のドアは、分厚い金属製の冷たいドアだった。以前はもっと弱い感じのドアだったそうだが、壊されることが度々あったとかですごく頑丈なものになったらしい。ドアを開けるときは重い、閉めるときにも大きな音がする、ガチャン、と、結構な体重をかけなくては閉まらないドアだった。たまに、わたしがドアを閉めようとするのを自分の身体をすきまに挟んで阻止しようとする患者さんもいた。一般的に、どの科においても、医者は患者さんとの距離をとらなくてはいけないと言われている。近すぎてもいけない、離れすぎてもいけない、と。冷静に治療をしなくてはならないからだ、振り回されてはいけないし、けれど軽く流すわけでもなく、適度な距離感が、必要とされている。毎朝この鍵のついた重いドアを開けるとき、その距離感を感じていた。あたかもその距離感を具現化したようなドアだった。治療にはこのドアの存在が必要なのだ、いろんな意味において。そんな風に感じた。

 

はじめて病棟に行ったときには、多くの視線を感じた。物珍しそうに、わたしの方を見ている。見たことのないひとがいる、という純粋な興味なのだろう。みんながみんなではないけれど、精神科病院は長期入院患者が比較的多い病院である。そういった患者さんは、要は行き場がないのだ、受け入れ先がない、病院ではそれなりに生活を送れるけれど、ひとりで社会の中で生活するのは少し難しい、そんな患者さんがいる。もちろんみんながみんなではないけれども。研修中には、50年の入院生活を経て、ようやく転院が決まったという患者さんがいて、病棟の看護師さんや医者がよかったねえ、と言っていた。わたしが生まれるずっと前、それこそわたしの両親が生まれたか生まれていないかそのくらいのころからずっと、その病院に入院していたのだ。先生は言った、このくらいの大きい病院になると、もはやここがひとつの小さな社会になっている、と。長期入院のため、住所がこの病院になっている患者さんもいるそうだ。

そうか、そうなんだ・・・・とぐるぐる頭をめぐらせながら病棟を歩いていると、なんだか後ろから視線を感じるような気がした。なんだろう、と思ってふと振り返ると、患者さんが数人、わたしのうしろについてきていて、まるで小学校の登校の時みたいに、わたしが班長のようになって列になって病棟の廊下を歩いていた。

病室では、何もない床を一生懸命拭いているひとがいて、自分の病室の床一面にお菓子の包み紙を広げて自分のふるさとの町の地図を作っているひとがいて、わたしに向かってかめはめ波を打ってくるひとがいた。不思議な場所だ、けれど、別になにが違うって、なにも違わない、ただお腹が痛いように、頭が痛いように、ここにいる患者さんは精神(というかおそらく脳内の伝達経路におけるなんらかの異常、ドパミン過剰とかそういうこと)を患っているだけだ。気持ちが悪いから吐く、骨が折れているから腫れる、そういうこと、医学の世界において、結果(症状)にはかならず科学的に説明がつくような原因がある。ただその『結果』が、普段見慣れないものであるから少し驚くだけで、本質的には変わらないことなのだと思う。

 

けれどわたしが病棟内をうろうろしているとき、ナースステーションでカルテを書いているとき、そんなときに感じる動悸は、日に日に強くなっていった。患者さんと話しているあいだ、自分の手が震えていることに気が付いた。緊張ではない、その症状は、はじめよりだんだんと日を追うごとにひどくなっていったからだ。視線が嫌なわけではない、話しかけられるのが嫌なわけではない、けれど、この手が、震える。

『君は精神科は向いていない。周りの影響を受けすぎるからだ。』

ここへ研修へ来る前に、別の科のオーベンから言われた言葉を思い出していた。君は精神科には向いていない。かといって研修しませんというわけにはいかない。わたしは精神科には向いていない。わたしは、精神科には向いていない・・・そうか、そういうことなのだろうか。悔しいけれど、その症状をみる限り、確かにそうかもしれないようだった。向いていないとはなんだろう、精神科医にはなれないということなのか。ひとにはそういった適性とか合う合わないとか、そういったものがあって、もはや努力では変えられない資質、素質のようなものがあって、つまるところわたしにはその適性がないということのようだった。

でも、悔しいけれど、悔しいです、で終わりたくはないのだ。

 

午後は主に、デイサービスでやってくる患者さんと一緒にレクリエーションをして過ごすことが多かった。そこでレクリエーションをしている患者さんは、ひとが多く集まるところで活動できるということだけあって、比較的病状は落ち着いているひとが多かった。患者さんはプラバンでキーホルダーを作ったり、製菓学校の生徒さんが手伝いに来てくれてクリスマスケーキを作ったり、忘年会ではみんなでカラオケ大会をしたり、そういったことをして過ごしていた。わたしはというと、うろうろと患者さんが作業をしているところを見回って、ペンを渡したり、ケーキを配ったり、紅茶を入れたり、おいしいですかと聞きながら自分もケーキを食べさせてもらったりしていた。たまにその作業場で患者さんによるカフェが開かれていることがあって、わたしもそこにお邪魔させてもらったことがあった。カフェの机は、パイプテーブルをつなげて上にテーブルクロスをかけたような簡易的なもので、椅子はパイプ椅子だった。患者さんはエプロンをつけて、水筒に入ったコーヒーをコップにうつす作業をしていた。そして、その紙コップに入ったコーヒーと、エリーゼというお菓子をつけて、わたしのテーブルまで持って運んできてくれた。コーヒーは自動販売機で買うものよりも数倍おいしかった。コーヒーは50円だった。50円玉を手渡すと、エプロンを着た患者さんは、両手で嬉しそうに受け取ってくれた。

『ここで、患者さんは、働く練習をするんです。働くことの大変さと、楽しさを学びます。ここで慣れてくるようになると、次は本当にお金がもらえる作業所などで、働くこともできます。実際に、ここで練習をつんで、いまは作業所で働いている方もいるんですよ。』

カフェにいた作業療法士の方がそう、教えてくれた。そうか、このカフェは、そんな役割を持っていたんだ。コーヒーを持つ私の手は、そのカフェでは、震えることはなかった。急性期、回復期、慢性期。病気にはそれぞれの段階、ステージがある。それぞれのステージで、治療法というのはまた、異なってくる。発症、絶望、否認。情報、正しい情報、錯綜する情報、取捨選択。受容、理解、共感。スタート、やってみようかな、治療、治療、治療、我慢。諦め、未来、その先、未来、希望。希望、そう、希望。どんな病気であっても、治療には希望が必要なのだ。

 

コーヒーのおかげで少しあったまりながら、寒い冬の空を見上げた。12月のその日は、青いけれど、少し曇りがちな空が見えた。

 

こうやって書いてきて、なんとなく、わたしが感じていた『精神科はどこか違う』という気持ちの原因がわかってきたような気がする。

その原因は、たぶん、『責任』だ。

学生の頃といまのわたしでは、感じている『責任』の重さが違う。その責任の重さこそが、わたしが精神科という科、精神科の患者さんをみる目を変えてしまったように思う。特別にみえたのは、やっぱりわたしの側に責任があったのだ。医者として患者さんをみるとき、それは希望をもって接したいし、患者さんにとってもそうだろうと思っている。希望というのは必ずしも『完治』ということだけを指すのではなくって、疾患との共存かもしれないし、現状の維持かもしれないし、延命かもしれないし、その形がどんなものであっても、医療者側と患者側の双方が納得できるような『ビジョン』が必要なのだと思う。そのビジョンこそが希望だ。

その『ビジョン』がみえないこと、それが、わたしの感じていた『違い』の理由のひとつだったように思う。わたしからビジョンを提示することができない、患者さんからもビジョンを聞くことができない。できないから不安になるし、うわべを撫でるだけになってしまう。きっとそのやり方というのはあって、けれどそのやり方というのは、これまで内科や外科で学んできたものとは、どうも違うようだった。アプローチの仕方が違うのだろう、そして提示できる希望の切り札が、わたしには少なすぎた。

あの頃はただ患者さんと一緒にレクリエーションで遊んでいればよかった。話を聞いていればよかった。あの頃はあの頃で、なにかしらの事を考えていたのだろうけれど、立場が変わると考え方も変わるのだ。

なにか違うのではないか、と物事に対して思うとき、そこにはもしかしたら知識不足や経験不足があるのかもしれない。よくわからないものというのはえてして怖いものであるし、特殊だと考えがちだし、だからといって『あれは怖いものだ』と言い張るには根拠が弱すぎるように思う、実際見て、感じて、そうしてよく自分のなかでその物事を咀嚼しなくてはならない、それをせずして、ただ自分と違うというだけで怖いだとか、特殊だとか、そういうことは言ってはいけないように思う。

 

治療に対するビジョン、希望は、医療者側と患者側の双方が納得できるものであることが理想ではあると思うけれど、実際、そう、うまくいくことばかりではないだろう。精神科においては、患者側からの理想を、聞き出せないことも往々にしてあるだろう。

まだ世界を知らない小さな子供は、何がしたいかを言うことができない。せいぜい人間の三大欲求に従って望みをいえるくらいだ。ご飯が食べたい、眠りたい、服を替えてほしい。遊園地を知らない子供は、遊園地へ行きたいということはできない。知らない世界のことは、望みようがない。こちらが子供を遊園地へ連れて行ってあげれば、遊園地という存在を知り、そこは楽しいものだと知ることができ、次からその子供は遊園地へ行きたいという欲求を口にすることができるだろう。

 

50年間、病院の中で生活せざるを得なかったという患者さんを思う。

けれど実際にわたしはその患者さんをみたわけではないし、その50年間がどんなものだったのかはわからない。それにもしいまの社会に出たところで、病院以上の希望があったかといわれると、それは難しいことだったのかもしれない。

自分の病室の床一面に、お菓子の包み紙で自分のふるさとの町を再現している患者さんを思う。これは飛行場で、いまは飛行場はないけれど、いつかつくったらとてもべんりになると思う、と、紙飛行機を滑走路で走らせながら、その患者さんは話してくれた。すごくファンタスティックな発想だ。誰も思いつかないような発想だったり、創造だったりする。正直その部屋は、ひじょうにアートな空間だった。けれどこういったものは、ただカルテ一行に書かれるのみである、毎日、毎日、毎日。仕方のないことなのかもしれない、誰も悪いわけではない、そうするしかない日々、けれど、思ってしまう、何もできないわたしだけれど、このお菓子の包み紙の部屋の先には、なにかの希望があるのだろうか。

 

たった1か月で終わってしまって、患者さんともあまり深くかかわれないでいた。入院しているその先には、いったいなにがあったのだろうか。いったいなにが、あるのだろうか。

そういえば、近くの百貨店の一画に、作業所でつくったクッキーや人形や絵などを売っているスペースがあることを思い出した。いつも、ちらっと横目でみるだけで素通りしていた。 今度そこへ行ってみようと思う、たぶん、これまでとは違った目線で見ることができるのではないかと思っている。

精神科のことを書けないでいる

精神科のことについて書かなくてはいけないなと思っている。

12月に1か月、精神科病院で研修をした。そこで見たこと、したこと、感じたこと、書かないといけないなと思っているのに、なかなか文章にできないでいる。

例えばそれをブログに書くことで、それを発信することで、わたしは何を伝えたいのか、未だに自分の中で答えが出ていないというのは、ひとつ、理由としてある。

あとは、どうしてもナイーブになってしまう、精神科という科のこと、精神科の患者さんのこと、正直に感じたことを書くということについて。100%、わたしが実際に感じたことを、ありのまま心の声を文章にすると、正直、それはネット上で発信できるような内容ではない、のだ。ただ、学んだことは確かにあるし、現在進行形で考えていることもある。『精神病患者』、そんな名前をつけることは差別しているようにも感じる、けれど、そうはいうけれど、確かに、精神科はどこか違うのだ、今まで内科や外科で研修してきたノウハウはほとんど使えなかったし、患者さんへの接し方もこれまでとは応用がきかなかったし、使っている薬もみたことのないものが多かった。うわべを撫でて終わった1か月だったのだ、悔しいことに。そもそも研修医ができることというのは限られているし、先生たちもわたしにそれほどの期待をしていないことは分かっている。でも、それにしても、あまりに何も出来なかった。この1か月で自分として満足いく仕事を出来なかったこともそうだけど、今後、『これをもうちょっと勉強したら、きっと自分にも出来るようになるだろうな』というビジョンですら立てることが出来なかった。

患者さんは、どんな患者さんでも、ひとりの人間として診たいと思っている。

もう寝たきりになって、食事やトイレも自力でできなくなった高齢の患者さんがいる。この患者さんがここまで生きてきた道のりを考えると畏怖の念がわく。この言葉は少しおおげさすぎるのかもしれないけれど、それでも、これまでの日本を何らかの形で支えてこられて、そのおかげでわたしがこうして生きていられるのだな、と思う。お疲れ様でした、これからはわたしに少しでも支えさせてくださいね、という気持ちになる。

自己管理ができず、好き勝手食べて飲んで、タバコを吸って、重症の糖尿病になって血管がボロボロになっている中年の患者さんがいる。それでもわたしよりも年上だ、自分よりも長く生きているということだけでもそれは尊敬に値することだと感じる、若造のわたしがここまで生きてくるだけでも何度も死にそうになっているのだから、生きてきただけですごいことだと素直に思う。だからこそ、健康になってもらって、身体も心もいきいきとした人生を送って欲しいと思う。そこまで重症になる患者さんは、たいてい心が不健康になっているからそうなるのだと感じることが多いし、タバコの吸いすぎによるCOPDはとても苦しい亡くなり方をする、それはみているこちらも辛い。

 

研修中に出会った、ある精神科に入院中の患者さんは言った、『私たちは幼稚園児みたいなもんよ。そうやって接してくれたらいいのよ。』

わたしはひどく驚いた、いや、そんな風にわたしは思えないです、とっさに思った、けれどでも、わざわざそう言った患者さんは、そうして欲しかったから言ったのだろうか。普通に接していたつもりだったけれど、とまどっていたのが伝わってしまったのだろうか。その患者さんが、何を思ってその言葉をわたしにかけてくれたのかは分からない。けれど、その言葉の意味をずっと考えている。なんだかすごく難問を与えられた気持ちだ、いつか理解することができるのだろうか、自分なりに解釈することができるのだろうか。それとも、解釈しようとすることは、必要ないことなのだろうか。わからない、むずかしい、何をすればその答えに近づくことが出来る?わたしはあなたのことを、どんな形で、理解したらいいのでしょうか?

精神科の患者さん、私にとっては未知との遭遇だった。そう思うことは、差別なのだろうか。わからない、ただ、これまでの他の科で学んだ患者さんとの接し方では駄目なようだった。

 

結局思ったようなことは、1割も言葉にできていない、また少しずつ書いていこうと思う。

 

今だから言える、センター試験の話

世間ではセンター試験みたいだ。

わたしがセンター試験を受けたのも、かれこれ8年前のことになる。あの頃と問題形式や配点、出題範囲は変わってしまったりしているのだろうか。

わたしが受けたセンター試験の日は、代々言われてきていたように、寒い日だった、雪が降っていたかどうかは覚えていないけれど、ホッカイロを数個カバンに詰め込んでいったのを覚えている。

自分がセンター試験を受けたころは、自分も家族も、学校も、友達も、塾の先生も、みんなそろって\センター試験!!/といっていたから、世間はこぞってみんなセンター試験を話題にしているものかと思ったけれど、それから1年経ってまったくそんな事はないということに気が付いた。成人式のときもそうだった。いつだって人間は、自分を中心に考えがちなのだ。

けれど、こうしてセンター試験のことを書いているだけで、わたしは身体が震えてしまうくらい、今でも思いだすと、緊張するというか、武者震いみたいなふるえがでるほど、センター試験の日のことはよく覚えている。センター試験は、確かにそのくらい、大切な日だった。

 

甲子園には魔物が住んでいるというけれど、センター試験にも、魔物が住んでいる。

それは、なぜか、どの年にもあらわれるようで、自分が気を付けていても防ぎようのない魔物が、忌まわしきセンター試験の問題製作者によって、試験用紙上に放たれているようだ。わたしが受けた年は、1匹は確か、英語に住んでいた。配られた問題用紙が例年の3倍以上の厚みがあった。普段の模試で配られるような厚みではなく、なんかすごく異様に厚い。しん・・とした教室の中、誰も声にはださないけれど、みんな分厚すぎる問題用紙を目の前にして『・・・・????』となっていた。

わたしは考えた、問題用紙が厚いということは、それはつまるところ、問題文が例年より増やされたということに他ならない。普段のペースで問題を解いたのでは時間が足りなくなってしまうのは明らかだ。ということは、簡単そうな問題から選別して解いていかなくてはならない、けれどおそらくこれほど問題文が増えたということは今まで出されたことのない新たな問題形式が付け加えられているに違いない、つまり新問題が追加されているに違いない、まずはその例年にはなかった『新問題』をみつけてその難易度の判断をしよう、センター試験は『大多数が正解する問題を落とさない』ことが重要だ、みんながつまづくとしたらそれは『新問題』、そこが難しければためらわずに後回し、そこが簡単そうなら心を落ち着かせるために新問題から解こう、わたしは『はじめ』の合図の前にこのことを考え、ひとまず試験が始まったら、全ページにざっと目を通すことから始めた。

 

センター試験では、何が起こるかわからない。普段と違うことが起きる可能性だって十分にある。その難易度を冷静に判断することが重要かな、って思う。特に新しい問題というのは、みんなびびるし、正答率は普段よりも落ちるはず、パニックにならずに『きっとみんなできてないでしょう・・・』って冷静になることが大事かなって思う。

センター試験は今でも青本と呼ばれる問題集で勉強しているのだろうか。わたしは特にセンター試験の勉強はしなくって、二次試験の勉強をしていればセンター試験は解けると教わっていたから青本を解いたのはセンター試験の直前の1ヶ月前くらいで、ささっと目を通した位だった。センターで8割、9割を目指しているひとなら、センター試験では、正答率を意識したらいいと思う。問題を解いてみて、この問題なら正答率はこのくらいかな、と予測してみるのだ。それがだいたい当たるようになると、見たことない問題、難しいと思える問題も、あ、これは多分正答率が悪いなと、かなりの自信を持って思えるようになるだろう、そうすると少し落ち着けると思う。これはすごく大切なことで、いくら9割目指していても1問2問落としたって大丈夫、それよりそれに引きずられて解ける問題を落としてしまうのが問題だ。

 

あとわたしの年のもう1匹は、英語のリスニングにいたらしい。わたしは気づかなかったのだけれど、リスニングでの音声に、出題者のすごく近い吐息が同時に吹き込まれていたらしい。たぶん、それに一回気づいちゃったらもうだめになっちゃうパターンの雑音だったようだ。わたしは幸運にもそれに気づかなかったからよかったけれど、気づいちゃった友達は、魔物に30分(だったかな?)追い回されたようだ。

 

それからというもの、例年のように、PAT様とか、スピンスピンスピンとかなんとか、いろんな魔物が性懲り無く放たれているみたいだ。受験生はほんとうにかわいそうに思う。今年は数ⅡBが鬼門だったようだ。だいじょうぶ、わたしたちの年も数ⅠAにちょっとした魔物がいてわたしは予想点数の2/3しか取れない大誤算が起きたけれど、それからおちこんだりもしたけれどわたしはげんきです。

 

 

 

センター試験を受ける、あの頃のわたしへ。

 

今だから言えるけれど、あなたのクラスのKくんは、センター成金長者になります。センター成金長者とは、普段の模試の予想より、運良く超いい点数をとる子のことです。こういうセンター成金長者も、ある意味センター試験の魔物かもしれません。

 

今だから言えるけれど、母の、医学部に入ったら何してもいい、という言葉は嘘です。手のひらを返したように、やっぱりうるさく口を挟んできます。もう高校3年生なんだから、自分のことは自分で責任をとりなさい。そんな言葉に自分の道を委ねているようでは、途中で路頭に迷います。それは自分で選んだ道、いつまでも母の言いなりになることが、親孝行ではありません。

 

今だから言えるけれど、センター試験で人生は決まりません。もしこれをセンター試験を受ける誰かが読んでくれたとしたら、もしかして、そんなの嘘だと思うかもしれません。大人はみんなそう言うけれど、このセンター試験で人生の大部分は決まるんだ、と思うかもしれません。かつてのわたしも、そう、思うでしょう。けれどこれはほんとうのこと、センター試験で人生は決まりません。確かにあなたが今から進む、ほんの少しの先に繋がる道は、センター試験で決まります。けれど、道はその先、とても長く長く続いています、今のあなたが想像なんて到底出来ないくらい長い道が、そしてその中では、予想もつかない出来事が、必ず起きます。一寸先は闇だし、棚からはぼた餅が落ちてくる、それが人生です。落ち込んでも、自分を否定されたように感じても、センター試験で測られるのはあくまで勉強の実力、人間性まで否定される訳ではありません。そこで心を強く持って、そこでぐっと耐えて、未来のあなたはきっと強くなる。

 

今だから言えるけれど、大事なことは何なのか、もう一度考えて欲しい。あなたにとって、ほんとうに大事なことはなんですか。あなたがほんとうにやりたいことはなんですか。センター試験で人生は決まらないけれど、ひとつの大きな区切りではあります。そこに来るまでの道のり、一歩一歩大切に歩んできましたか。その道のりは、意外と後から振り返るもので、意外とセンター試験の点数よりも、心の支えになるものです。もう目の前に門があるのなら、自分だけを信じて進むしかないです。でも門をひとつくぐっても、またその先には門があります。ひとつくぐったところで、体力がなくなってしまわないように、やる気がなくなってしまわないように、その先、ずっとずっと先を、見据えていてください。

 

 

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そうは言っても、今だから言えることは、今だから言えることなわけで。

偉そうなことを言ってみたものの、わたしの先にいる未来のわたしは、今のわたしをみて、今だから言えるけど…とかなんとか言っているのだろう。

 

受験生は、大人の言うことに耳を傾けず、自分だけを信じて後先考えずに突っ走ることができるパワーこそが強味‼︎だからこんな文章、素通りしちゃってください。

たぶん、予備校の先生なんかは、センター試験など通過点!勝負は二次試験なのだー‼︎とかなんとか言っている頃だろうし、大事なことはきっともう、自分でわかってるはず。

 

今のわたしも、もう少し先にいるわたしのために、次の門まで、一歩一歩大切に歩いていかないといけないな。

 

 

今年の受験生のみんなにすてきなサクラが咲きますように。

頑張れ受験生⁽⁽٩(๑˃̶͈̀ ᗨ ˂̶͈́)۶⁾⁾ 

 

トピック「センター試験」について

今週のお題「今だから言えること」

親友とは何かという長い話〜『過去10年で最高といわれた03’を上回る出来栄え』05’のシンユウ、Tokyo,Japan産でございます。〜

友達、という言葉がある。

そして、親友、という言葉がある。

 

とも-だち【友達】

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友。

 

しん-ゆう【親友】

互いに心を許し合っている友。特に親しい友。

ーgoo辞書より

 

正直、辞書を読んでもぜんぜん、ピンとこない。

そもそも『自分なり』にこの言葉の定義を考える際には、辞書という存在はあまり意味をなさないと思われるし、求める答えが書いてあるとは思えないし、辞書での定義では明確な答えが書いていないから、こうやって悩むことのなるのだ。

 

上の辞書を読むと、『友達』の意味にはまず、『互いに』心を許し合って、と書いてある。ということは、友達と呼ぶには、相手が心を許していることが前提となっている。これを確かめるのは非常に難しいことではないだろうか。自分が心を許していても、相手が心を許してくれているかどうかは、どう頑張っても確かめることなどできないように思う。そして次には、『対等に』と定義されている。友達というのは対等の存在なのだ。友達というのは対等な存在です、というと、まあそうだよね、と確かに思うけれど、では、対等でない関係といったらそれはどういった関係なんですか、といわれるとこれはまた難しい。上司と部下、親と子供、こんなわかりやすい関係ばかりではないのが人間関係であって、まあ、けど、どちらかが相手を下に見ているという関係は友達ではないような気がするから、なんとなく分からなくもないかな、と思う。

では親友は、というと、上の定義を読む限りは、友達とほとんど内容が変わりないように思う。しかし『特に』親しい友、と定義されていることから、友達のなかでも『特別』と思える存在が『親友』というものなのだろう。じゃあ特別ってどういうことなのだろう、と考えると、そこはやはり主観的な問題であって、自分が『この人は特別だ!』と思ったら親友と呼んでいいのかな、ということになるだろう。

 

うーん、友達を定義するのは非常に難しい。というより、わたしが悩んでいるのは、友達とはこういうものです、という定義よりも、実際に求められるのは、『果たしてあの人は友達と呼んでいい存在なのだろうか?』という一問一答形式の問題の答えであるような気がする。

 

この話を考えるきっかけとなったのは、以前のエントリ『グッドバイ・世界』でid:kkzy9さんがこんなコメントをくれたことだった。

友達ってなんだろ。胸を張って「友達だよね?」って言える相手なんかいない。嘘偽りなく「俺は友達だと思っているから」って言える相手もいない。

 

このコメントをくれたkkzy9さん(かわぞいさん)は、『Letter from Kyoto(今はトロントにいます)』というブログを書いている方で、よくわたしのエントリにB※くださって私はとても嬉しい。初めにブログを読んでいたのはわたしの方だったと思うのだけれど、その時かわぞいさんはすでにKyotoではなくトロントに住んでいて、トロントをはじめとする海外でのエントリをよく書かれていた。すごく読みやすい文章で、短すぎず長すぎず、内容もトロントの事から自分の過去の話、時事問題っぽいお話などなど、いろいろあって飽きない。かわぞいさん自身は自分のことをプロフィールに『特徴がない』と書いているけれど、決してそんなことはなくって、ブログを読むとその切り口は『あ、そこから攻めるんだ』といった、わたしからみると斜め上から、しかもずばーっと容赦なく切り込むのがかわぞいさんの特徴だとわたしは思う。自分を(無意識かもしれないけれど)すごくすごく客観的にみていて、あたかもどこか上の方から自分を眺めて書いているような文章が、飄々とした、ちょっとやそっとでは動じない印象を与えてくれる。わたしのエントリにもよくコメントをくださるのだけど、その内容は、結構、わたしとしては痛いところをついてくる、というか、あ、そこ気づかれちゃったか・・・という穴、みたいな、文章が脆弱になっている部分、を、的確に、ずびーーっとついてくることが多くって、かわぞいさんの天性の嗅覚を感じるのです。

 

で、このコメントをくれた『グッドバイ・世界』では、友達、と親友、わたしは両方の言葉使っていて、それは意識的にその2種類の言葉を使い分けて書いていた。

このコメントをいただいたあと、かわぞいさんとはTwitterで少し意見を交わしたのだけれど、かわぞいさんは、友達という言葉のハードルが、わたしより高いのだな、ということを感じた。いや、言葉のハードル、というか、なるべく定義が曖昧な言葉を使いたくないのだな、と感じた。かわぞいさんは、だいたい『知り合い』という言葉を使われるそうだ。そして、『親友』という言葉についても、『親友という言葉は、友達に格付けをしているようで、あまり好きではない』ということをおっしゃっていた。わたしはこれに、かわぞいさんの相手への気遣いを感じた。知り合い、というと一瞬少し冷たい印象を受けるけれど、かわぞいさんはきっと、みんなできる限り平等に、特別扱いをしない、ということを大事にされるのだな、と思った。これがかわぞいさんの友達への友情表現の仕方なのだろう。

たいしてわたしはというと、友達、と、親友、という言葉を使い分けている。そう、これはある意味、友達を格付けしているということだ。けれど、なんというか、自分の中では『格付け』しているという感覚はなくって、例えるなら秋になるにつれていつのまにか赤色に紅葉するもみじのような感じ、『いつ紅葉したんですか』と聞かれたらはっきりとした日にちや時間は言えないけれど、そういえばここ最近、紅葉しているなって気づきました、という感覚だ。親友はもともとはたぶん友達で、いつのまにか、あ、もうこれは親友といってもいいんじゃないかな、という風になっている、そんな感じだと思う。どうなったら親友なのか、っていうのは言葉にするのはひどく難しいように感じる、けれどわたしの辞書にある『親友』の場合は、ある程度の時間が必要なのは間違いなさそうだ。たぶん、お茶したり映画に行ったり、ザ・友達っぽいことをしている間は『友達』で、そこからだんだんと時間が経って、お互い別のコミュニティができたり、あるいは住む場所が離れたり、そんなことがあっても、定期的に、1年に1回とかそんな頻度だったりしても、『連絡をとりたいな』『元気にしてるかな』と近況を聞きたくなる、そしてその久しぶりに会ったときには心から相手の幸せを願えている、そんな感じかなって、自分では思う。ザ・友達っぽいことをしている間には、おそらくその相手に何か悩みを打ち明けたり相談にのってもらったり、偶然にも助けてもらったり、何らかの形でなにかその相手には肉体的なり精神的なり助けてもらっていて、そのまま自然に、『わたしも何か手助けができたらいいなあ』『支えになれたらいいなあ』という気持ちが芽生えていて、時が経って『もしかしたら親友なのかもしれない』と思う頃には、こんなことがあったんだよって話したい、というより、むしろ会えていない間にあなたは元気だったかな、悩みとかはないかな、どんなことがあったのかな、とどちらかというと相手の話を聞きたくなるような、親友には、そんな感じがある。

別に、この子は友達だけど親友じゃないな、とあえて考えたりすることはない。けれど、生きているうちに、なんとなく特別に思う子は、出来てしまった。その理由はいろいろで、別にみんながみんな青春漫画のような泣きながら語り合った間柄では決してなくって、こちらのタイミングと相手のタイミングが奇跡的なタイミングであったことのよる出来事とか、そんな偶然的な要素も絡んでいると思う。わたしが親友だと思っている子がすべて、相手もわたしのことを親友だと思ってくれているかどうかというのは確かめようがないことだし、そんなことはないだろうな、とも思っているけれど、わたしの中でその子が『特別』なのは揺るがない真実であるし、その子が例えわたしのことを友達とすら思っていなくてもわたしがその子に助けられていることは消えない事実であるし、ここまで書いて思ったけれど、一方通行だとしても胸を張って『親友だ』と言える存在こそが『親友』なのかもしれないな、とも思った。特別をつくることは、他の人は特別ではないといってしまうことである、けれど、これは仕方のないことだとわたしは思う、それは色んな偶然の積み重ねを含んでいるからだ。

で、そうであるからこそ、今まで書いてきたようなこと、こんなことは心の中にしまっておくもので、面と向かって言うべきことではないかな、とも思う。状況が許すのなら『親友』だとか『友達』だとか、そんな定義の話をするのもいいかもしれないけれど、あえて、あなたは親友だから、とか、あの子は友達だから、とか言うようなことはしないだろうな、と思う。

 

ちょっと昔は、自分には友達がいない、と思っていた。友達という言葉は主観的だから、自分で、自分には友達はいないと、定義していた、のだ。わたしの事を本当に理解してくれる人などいない、という思いが根本にはあった。みんな楽しそうに話してる、でもわたしは笑えない、わたしの気持ちなどわかってくれるひとはいないから、だから友達はいない、と思っていた。みんながするようなキャンプとか、旅行とか、わたしは楽しくなかった、一緒にいるのは『友達』ではないから、心から楽しむことができなかったのだ。けれど、今思うとそれは、わたしの事を理解してほしい、という欲求を満たしてくれる人を『友達』と定義していたことが原因のひとつで、いつだったか世の中には自分の事をすべて理解してくれる人なんていない、と気づいてから、そのハードルが一気に下がってしまった。世の中には自分の事を理解してくれる人なんていない、というのは絶望の言葉ではなかった。わたしには、期待しないことが必要だったのだ。1から10まで笑いのツボがあう必要はない(そんなことはできない)、何もかも包み隠さず話さなくてもいい(性格的にそれは出来ないことだったことに気づいた)、友達だって親友だって、一緒にいたくないと思う時はあるものだし、そうそう、こういうことは「~が合わない」といった減点方式で考えるよりも、加点方式で考えた方がいいっていうことを学んだのだ。

今のわたしがいる場所は、『友達はいない』と思っていた頃と、状況はなんら変わっていない。けれど、キャンプも旅行も、それなりに楽しめるようになった。自分の事を理解してもらうなんていう願いはおこがましいし、相手の事を理解できていると思うこともまた、おこがましい。そんなもんなんだ、という諦め、一種の悟りのような感覚は、『ありがとう』のハードルを下げた。要は、ものさしひとつなのだ、目盛りをどこに振るのか、それは一切を自分にゆだねられている。すごくシビアにしてもいいし、甘くしてもいい、それは自分の思いひとつなのだ。

 

そこは、無数のワインが並んでいる、ワインセラーだ。

無数に並ぶ『ワインのように見える』その飲み物のなかで、『本物』のワインは数本かもしれないし、何百本もあるかもしれない。それは自分で決めるのだ。ひとくち飲んでみて『あ、これはワインだ』と思えばワインだし、香りでワインかどうか確かめるもよし、色で確かめるもよし、自分で『これはワインだ』と決めたものがワインになる。別に『これらはすべて、”飲み物である液体”です』としてもいい。

そのワインセラーのなかで、温度や湿度、日の当たり具合、なにか偶然の要素や、まあ、よく手をかけて面倒をみたワインは、いつの日か、『特別』なワインになるかもしれない。どのワインも等しくおいしくなるかもしれない。もし『特別色がきれい』、『濃厚な味わい』、『芳醇な香り』とかそんな風に、特別だと自分が思うワインができたならそれは特別なワインだし、自分のワインセラーに並ぶものはぜんぶ等しく特別なのだ、とするのもまたよし、ソムリエのように厳しく評価するもよし、なんというか、友達とか親友とかって、自分のなかではこんな感じかなって思う。でもやっぱりわかんないな、主観的だから統一された答えなんてないものなんだろうな、って思う。まあけど、こういうこと、自分のなかで考えておくことは大事かなって思う、そう、そんな風に思う。

気持ちのカタチ、言葉のカタチ

最近、言葉の意味を考えることが多くなったように思うのです。

正確にいうと、自分の中でのその言葉の定義、というか、解釈のようなもの。

『水』と言ったらそれはH2Oの化学式で表わされる物質のもので、疑いようのないもので、世界中どこにいっても、もちろん日本でもガーナでもベルギーでも(咄嗟に出てきた国はなんかチョコレートの香りがする国、バレンタインが近いからかな)、北極でも南極でも火星でも、水=H2Oなんですけど、私が言いたいのはそういった類の言葉ではなく、前回の『親切にするということ』だったり、たとえば『生きるということ』だったり、『正義とはなにか』だったり、『私はシャルリー』なのか『私はシャルリ―ではない』のかであったり、そういった漠然とした、全人類で統一された解釈がされていないような『言葉』の意味です。

なんでこんなこと考えてしまうんだろうな、と少し考えると、このズイショさんのエントリ『お前は俺ちゃうんかい - ←ズイショ→』が、ぽわんぽわんと頭に浮かんできました。

 

関係ないですけど、ズイショさんは最近ほっぽりぎみのTwitterに気まぐれになにか書き込むとハイタッチしてくれるので嬉しいです。ズイショさんの文章ってホント独特で、最初は『なんだこれは』って感じで読み始めてたんですけど、テンポの良さによって一文がどれだけ長くてもしっくり頭に入ってくるような滑るような文章で、ああ一言で言い表せられない事って実はたくさんの単語とあらゆる比喩表現を使ったらここまではっきりとした輪郭を浮かび上がらせることができるんだと感動しながら読み進めて、白黒つけないグレーな感じの話題をひっぱって引っ張ってあの手この手で品替え言葉替え、ひとつのテーマについて繰り返すことで、繰り返し繰り返ししつこく言い方を替えて書くことで、すごく強い印象を読み手に残してくれると思うんですよ。そしてズイショさんの文章を読むスピードで自分の疲れ具合を判定する、みたいな試みもされてたりして、すごいなあと思うわけです。なんていうのかなあ、ここでこの言葉が欲しい、という読み手の希望に合わせて文章が用意されているような感覚です。すごいなあ。ズイショさんの文章はピクセル数の多い画像みたいな感じです。細かくて明るくて鮮やかに言いたいことの伝わる文章。言葉が思うがままに操られているのが感じられます、言葉って使いこなすことができればこんな便利なものなんだ。たいして私はというと、きっとイラストロジック程度なんだろうな、って思います。四角いマス目がみえちゃう文章、遠くから見ればまあ形がわかるかな、くらいのイラストロジック並みの文章です。たまにマス目ずれて塗られているから絵が不完全だったりもする。言葉が自由に動いてくれない。話がそれそうなのでこの話は置いとくんですけど、せっかくなので私が好きなズイショさんのエントリを紹介したいと思います。『ブログを書き続けるためにはうんたらみたいな話します。 - ←ズイショ→』 私がこの話のなかで一番好きなところは、二年という数字を指折り数えるのではなく、大胆にも肘折り数えることで、思わず『頑張るぞ』のポーズになってしまうところなんですけど、白のタートルネックを着てみたらすごい可愛いポーズしてるんじゃないか、というところなんですけど、たぶん、こんな説明だけじゃなんのこっちゃわからないし面白さも伝わらないと思いますので気になった方はぜひ読んでみてください。

 

で、書こうと思ってたことは『お前は俺ちゃうんかい』の話なんですけど、この『お前は俺ちゃうんかい』っていうのは、結局のところ自分と他人は違うものだっていうひどく当たり前のようなことなんですけど、文章で読んだら当たり前のようでも実際そういった場に置かれると分からなくなることってあって、『なんでこの気持ちが伝わらないんだろう』って思う、同じことをしても捉える人が違えば感じ方も違うっていう当たり前の事、生活してると忘れがち。同じ映画を観ても、泣く人もいれば、感動すらしないひともいる。自分の感情に自信があればあるほど、『この映画見ても感動しなかったの?』とか『絶対おすすめの音楽だから!』とか、そういった発言をしがちになるけれど、あるひとつの事象に対して人それぞれ違う感情を持つのは不思議なことでは全然なくって当たり前、お前は俺ちゃうから。だから、私がベイマックスをみて2回号泣しても、隣に座っているこのひとは冷静にポップコーンにいっぱいキャラメルがついているものを選んで食べているほど無表情なことも、全然、不思議じゃなかった、でも不思議って思ってしまった、こんなにもお前は俺ちゃうんかい!って思う瞬間、大人になった今でもいっぱいあって不思議と思う。

で、とは言っても、この、自分が感じた感情を誰かと共有したいっていう気持ちは少なからずあって、絶対に理解しあうなんて不可能だから最初から諦める、なんてこと(はたまにしてしまって、孤独を感じたり寂しい思いをしたり、自暴自棄な気持ちが生まれることもあるけれど)それでも理解しあうことはできないのなら、せめて同じ風景をみていたい同じものを食べて同じ音楽を聴いて同じ時間を共有したい、と思うのです。その、何とか自分の思っていることを、この、今自分が感じている感情を、他人に分かってもらうことができないのだろうか、と遠い遠い私たちのご先祖様たちが考え出したツールのひとつが『言葉』であって、その言葉には『水』や『親切』なんてものがあって同じように頭の中の『単語ボックス』に詰め込まれているんですけど、この『水』と『親切』では使用方法の難易度が全然違っていて、水っていうのはだいたい目で見ればわかるし、においや味でほぼ水だとわかるし、『ここで水っていう言葉使っていいのかなあ』と悩むことはあまり経験したことないんですけど、『あの人って親切だよね』っていう文章となると、途端にいろんなファクターが絡み合って、『いや、親切というより、あの人はただの自己満足だよ』みたいな論争が生まれて、『親切なんて所詮自己満足だ』というひとがいて、『あの人の親切はおせっかいだ』ていうひともいて、じゃあ、結局、親切ってなんなんだろう?、ってなるのです。私が思っていた『親切』と、相手が思っている『親切』って、なんか違うんじゃないか?って、なるのです。道端で困っているようなひとを見かけて、手を差し伸べてみたりして、自分は『親切にした』と思っても、相手は本当のところは一人で頑張りたかったのかもしれないし、どうせ手助けしてくれるならもっとやって欲しかったという欲求の高いひとだったかもしれないし、そうなってくると『自分が思っている親切って、もしかしたら他人は親切だと思っていないんじゃないか』という疑念が生まれて、その定義とか解釈とか、そういったものを考えてしまうのかなあと思うのです。お前は俺ちゃう、と気づいてしまったその時から、自分と相手との距離が一気に離れてしまうように感じ、これまで共有できたと信じていた感情はもしかしたら自分の思い込みだったのかもしれないと疑心暗鬼になり、お前の『親切』と俺の『親切』って一緒の形してる?って、言いたくなるのかなあというのが、最近の自分がやたら言葉の定義とか解釈に思いを巡らせてしまうのかを考えた自己分析の結果です。

別に、その『親切』という言葉が自分と相手で全く同じである必要はないと思うんです。ただ相手の『親切』はどんな形をしているのか、どんな色どんな手触りそれは柔らかいのか固いのか小さいのか大きいのか・・・そんなことが分かっていればなんかちょっと、だいぶ違うんじゃないかなって思う。そんな風に思うのです。

 

本当は、『友達』っていう言葉の解釈、それについて書こうと思ったんですけど、なんか違う話で長くなってしまったのでまたつぎに書こうと思います。あーっと。そうそう、最近ベイマックス観たんですけど、友人の話では『観てよかった、たぶん思っているのとだいぶ違った印象の映画だと思う』という前評判で、そうなんだと思って観たんですけどやはり同じ印象でした、がぜん、ベイマックスが欲しくなりました。私は日々シュールな笑いを求めて生きているといっても過言ではないくらいシュールな場面が好きなんですけれど、ベイマックスは前半そういった笑える場面が多かったように思えて非常に高評価、なんていうのかな、緊迫した場面にロボットの無機質な声、っていうコントラストが絶妙なシュールさをかもしだしてたんじゃないかな、って思います。で、昨日くらいにスタバでベイマックスに似たふんいきを持つタンブラーがバレンタイン仕様で置いてあって、ベイマックスに合わせてデザインしたかどうかは分からないんですけど、ベイマックス欲しいけれど手に入らない、という方はこのタンブラーはどうかなと思います、私も、がぜん、欲しいです。

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スタバホームページより。なんかベイマックスっぽくないですか!