世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

きりたんぽのこと

最近とある友人とご飯を食べる機会があり、そのお店の予約はわたしがとることになった。どんなお店がいいか友人に聞いたところ、『炭水化物をプッシュしていないお店』との返答であった。どうやら筋力トレーニングにはまっているらしく、肉体維持のため夕食には炭水化物を抜いているらしい。わたし自身は筋トレには全然詳しくないけれど、どうやら良い筋肉のために炭水化物はよくないらしかった。

わたしは焼き鳥屋と京料理屋を提示し、友人に選択してもらうことにした。友人は焼き鳥屋がいいと言った。たぶん、ささみとか、そういった脂身の少ないお肉を欲しているんだろうなと推測された。

いざ友人と焼き鳥屋に行き、メニューを広げ、何を頼もうかと聞いたところ、『この店、きりたんぽがあるやん。きりたんぽは外せないな。』との返事が返ってきた。ん?と思った、少し考えて、きりたんぽのことを思い出してみたけれど、わたしの記憶が正しければ、きりたんぽは炭水化物のはずだった。確か、お米かもち米みたいなものを竹の串に巻き付けて焼いた、五平餅のような食べ物だったと記憶していた。

実際のところきりたんぽはそれほどわたしの生活になじみがなく、自信もなかったし、『きりたんぽは炭水化物なんじゃないか』と言うことができなかった。結局、流されるままきりたんぽを2人前頼んだ。そうしてテーブルにやってきたのは、やはりわたしの記憶の中のきりたんぽであり、炭水化物だった。友人は特に驚きもせず、おそらく友人も思っていた通りの注文が来たという顔で、『きりたんぽやっぱり美味しいな』といってほおばっていた。初めて食べたきりたんぽは、確かにおいしかった。

食事が終わって友人と別れるまで、『きりたんぽは炭水化物だったのではあるまいか』と言い出すことは、最後まで、できずに終わった。友人は満足げな顔で帰っていった。わたしは友人と別れてからというもの、きりたんぽのことが頭から離れず、ずっと考えていて、ずっとそのことを考えていて、もしかしてと辿り着いた結論は、友人はきりたんぽを練り物の類の食べ物だと勘違いしているのではないか、という事だった。確かに形的に、きりたんぽは、ちくわに似ているといわれれば似ている。食べればきりたんぽはどう考えてもお米の味がしたけれど、友人が練り物だと思い込んでいたとすれば、あるいは友人には魚の味がしていたのかもしれない。

友人は少し間が抜けているひとだった。

そして、言えなかったけれど、わたしは、あの日イタリアンが食べたかったのだ。

 

あの夜、友人はきりたんぽを堪能しながら、イタリアンを酷評していた。友人はビールを飲んでいたので、少し顔は火照っていた。イタリアンのメニューはなんや、パスタにピザにパンに、炭水化物に、チーズみたいな脂肪分、どう考えてもからだに悪いやないか、対して日本料理はおかずが多いから、炭水化物をとらんくても腹いっぱいになる、やっぱり日本料理さいこうやな、うんぬん、かんぬん、わたしはそうやねと適当に相槌をうちながらほんとうはイタリアンが食べたかったことを考えていた、けれど炭水化物をとりたくないという友人の希望を叶えるためにはイタリアンは適さないと泣く泣く諦めたことを、きりたんぽをかじりながら考えていた。

 

友人は少し天然ボケだったけれど、わたしはこれを機にきりたんぽのことが好きになったのでまあよかったかなと今は思っている。そして友人の、美味しそうにきりたんぽを食べている姿を思うと、次に会ったときにも、たぶんわたしは、きりたんぽは炭水化物だよということは言いだせないと思う。