世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

小さな旅が必要だった

小さな旅が必要だった。ただ何をするでもない、時間が必要だった。

 

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いま電通の女性社員の自殺がニュースになっているが、様々な意見がネットに出回っていて、多くの人が賛同している意見にわたしも概ね賛同している。長時間労働以上に重要だった問題は、数値化されるものではなかったのだろうなと思う。多くの人がいうように、このような状況では『仕事を休む』という冷静な判断はできなかったのだと思う。ただ個人的に、彼女が仕事から離れることができていれば、状況はよくなっていたかもしれないと思う。これは自分が1か月仕事から完全に離れてみて、それがどれだけ自分に正の効力を与えてくれるかを実感したからだ。彼女を直接知っている訳ではないので何とも言えないけれど、わたしが1か月前に仕事を休むことが出来たのは、オーバードーズという目に見える行動を起こしてしまったからだった。逆に言えば、このようなきっかけでもなければ、たぶん、仕事を休むという選択は自分は出来ていなかったと思う。それは自分がどれだけ精神的に参っていたかということは目に見えないものであるということ、またこのくらいなら耐えることが出来るだろう思っていたこと、特にきっかけもないのに『休みを下さい』なんてとてもじゃないけれどいう事はできないということ、実際わたしは彼女ほど長時間労働をしていた訳ではないし、心を苦しめていた原因が1つではなかった(というか、ほとんどの苦しい思いをしている人は、1つの原因で説明することは出来ないのだと思う。その苦しみの所在がはっきりしないということは『問題を複雑にする』、そして認識、解決を難しくすると思う。)ので何がこんなに自分を苦しめているのかが分からずましてやその苦しみを人に説明することが出来なかったこと、などが『仕事を休む』という決断へ自分を進ませることができなかった理由だと思う。幸いオーバードーズした薬は命に関わったり、後遺症をのこしたりする薬ではなかった(1週間前後の記憶は曖昧だが)ので命拾いした。正直なところわたしにはこの大量の薬を飲んだ記憶がない、決して死ぬつもりはなかったと思うが、消えたい、逃げ出したい、誰か助けて、という気持ちはその頃ずっと抱いていたので、その気持ちがいよいよわたしのキャパシティを超えてあふれ出した結果なのだと思っている。後から思えばなんでそんなことをしたのだろうと思うけれど、本当に、そのような状況のときには、周りの人の意見や周囲の状況なんて何も目に入っていないし理解できていない、ましてや自分のことすら手に負えていない。そのときのわたしは扁桃体あたりに飼っている感情という小動物に支配されていた。大脳皮質という飼い主はもはや使い物にならず、感情という小動物の思うがままに操られていた。そのような状況のときには脳は正常に自分の置かれた状況を認識することはできていない。ただ、もう、その数か月前から自分がおかしいということには気づいていた。頭が思うように回らない、人と会話していても、相手の言葉を『理解』しそれに対して自分の『考えた意見』を言う、というプロセスが上手く出来ずあまり人と会話できなくなっていた、仕事にしても他の事にしても意欲が湧かなくなった、そして、ブログの文章が書けなくなっていた。

 

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1か月で仕事に復帰したが、その期間については正直なところ短かったのかどうなのかということは、まだ、わからない。いま、周りの人たちの優しさに支えられて、ゆっくりと仕事を増やし始めているところだ。1か月経過した時点で、仕事に戻っても大丈夫だろうという自信は少しずつつき始めていたし、心療内科の先生も『まあ、無理せず、もし何かあればいつでも来てくださいね』と一応のGOサインを出してくれた。この1か月の休養期間は、自分が思っていた以上に自分にとって有意義であり、これから進んでいくのに必要な『考え方の基礎』を作り始めるきっかけを与えてくれたと思う。

1か月のうちの最初の2週間は、正直なところ何の生産性もない日々を送っていた。起きて、母親が用意してくれたご飯を食べ、散歩などをし、気分がのれば映画などを観たり、漫画を読んだりし、お風呂に入って、眠る。そういったことをぼうっとしながら2週間くらい過ごした。自分のなかで『このままで大丈夫なのだろうか。仕事には復帰できるのだろうか。頭が以前のように冴えて働いてくれる時はくるのだろうか。』という不安はあったが、働くことも出来ない自分には、そういう行動をするしかなかった。

けれど、休養期間が3週目くらいになって、無性に一人旅をしたいと思う時期がやってきた。一人旅といっても実際に出来たのは、京都と東京という国内を日帰りで、あるいは数泊で、という短い期間であった。何か目的がある訳ではなかった、何となく『神社やお寺を巡って、ぼんやり考えて、御朱印を集めてみよう』と思っていたくらいだった。今いる場所を離れたいという気持ちはあったと思う。そして、そうしたら何か気分も好転するかもしれない、という、本当に何の保証もない漠然とした気持ちだった。時間は有り余っていたので、書店で地図がのった観光本を買い、どこにいこうか計画を立てた。京都と東京の平日(休日の日もあったけれど)の街をひたすら歩いて、学生やサラリーマン、海外の観光客や主婦の団体などを眺めた。東京では友人の家に泊めてもらったり、海外の観光客が利用するようなホステルに泊まってみたりした。純粋な好奇心だけで動いた。ひたすら歩いて、歩いて、歩いて、街ゆく人を眺めて、高層ビルの立ち並ぶ街並みを見上げてみたり、また他に観光客がいないひんやりとした神社の畳のうえに座って鹿威しの音を聴いてみたりした。ホステルでは深夜シャワーのお湯が出なくなったので冷水で髪の毛を洗った。まだ汗ばむような気温だったけれど、畳の上は涼しい風が吹き抜けていた。

 

まるで自分が存在しないかのような世界をみつめていた。

 

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その小さな旅の中で何を得ることができたかと言われると、多少その場所に土地勘がついたくらいとしか言えない。けれど、その時のわたしには、小さな旅が必要だった、そしてこれからも、そういった小さな旅は必要なのだろうなと思った。ひとつの場所にずっといると煮詰まる。ひとつのことをずっと考えていると底なし沼にはまる。今まで出来ていたことすら出来なくなる。畑で一種類の作物ばかり作っていると一定の養分だけが消費され、ある時突然その作物が実らなくなる、連作障害のように。

 

まだだいじょうぶ。いつだって立ち止まって振り返ることができれば、だいじょうぶなのだ。

 

立ち止まることは、勇気のいることだ。そして振り返る事もまた、勇気が必要だ。そしてその行為が必要だと気づくには、時間を、休息を、必要とするときがある。ぐしゃぐしゃになったパレットの色をほぐしてゆく。どす黒くなった悲しみの初めの色は?ゆっくりと考えればきっと思い出せる。青色と、赤色と、緑色と・・

原因に気づくことが出来れば、あとはそれをどう解決していくかを考えることができる、素晴らしい大脳皮質というものをわたしたちは持っている。耐えられると思って酷使していた大脳皮質を、いまは少し可哀そうなことをしたな、と思う。わたしは少し耐久性が弱かったのだろう、けれどそれも自分だ、付き合ってゆかなければならない。扁桃体にいる小動物もこのところ大人しくしている。飼い慣らすことが出来れば愛らしい動物のようだ。

休息するということ、ストレスから完全に離れてしまうということは、予想以上の結果をもたらしてくれる。それを自分で気づくのは難しいことだけれど、ある程度やはり自分のことは自分で管理できるようにしたいなと思う。時々メンテナンスをしてあげないと、この脳は正常に作用しなくなるということを改めて認識した。休息の時間をとること(つまり仕事を完全に忘れる時間を作る事、オンとオフの切り替えをすること)、文章としてでもよいから自分の感情をアウトプットすること、本を読むこと、映画を見ること、人と接すること、決まった時間に起きること(これはまだあまり出来ていないから今後の課題)。

自分の存在しないかのような世界をみつめることは心地よかった。その世界で生きてゆくのもよいかもしれない。けれどその一方で何となく、自分が存在する世界に戻りたいという、一種のホームシックのような気持ちにもなった。必ずしもどちらかに属さないといけない訳ではない、どちらかの時間が減ってゆくと、必然的にもう片側が必要になるのかなあ、と思ったりもした。

いまはまだ再び歩き始めたばかりで、少し慎重になっている。あまり飛ばしすぎると息切れして再び倒れてしまうかもしれないという不安はある。自分の考えにしてもかなり流動的だなあと思う。自分の記憶にないことをしたことで、自分が信用できなくなってもいる。けれど自分が信用できないからこそ、曖昧な自分という存在を少しでも強固なものにするという作業、保険をかけておく作業、そういったことをしてゆこうという気持ちになれた。

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なんとなく神様がみてくれているように感じたおみくじ。

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