世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

みどりのバケツについて。

以前書いた『みどりのバケツ』について、水輪ラテールにコメントを頂いていたことに気づき僭越ながら書かせていただきます。

 

というか、こんな戯言のようなブログをお読みいただいて恐縮です。コメントまで頂けると思っていなかったので大変嬉しく思っています。自分の書いた文章の解説をするのは本当に恥ずかしいのですがこれも表現の練習だと思い今回書いてみようと思います。ああ本当に恥ずかしい。

 

普段のブログもそうですがホント書くことに慣れていないもので、日本語がおかしかったり言いたいことがうまく表現できていないことも多々あると思います。

このブログを読んで頂いている方がおられるとしたら、会話が苦手な人間の表現の練習帳だと思って読んで下さい。

 

『みどりのバケツ』を水輪様はどのように捉えられたでしょうか?

 

私は『偏った見方をすれば世界が全部そう見えてしまう』ってことをエイケィちゃんを通して書きたかったです。バケツは色眼鏡や偏見を表しています。例えば世界は汚いっていうバケツをかぶったら汚い人間ばかりに見えてきてしまうし、綺麗だというバケツをかぶったら綺麗な人間にたくさん気づくという。

そして『みどりになったのはエイケィだということ』というのは、どちらにしても変わるのは自分であって世界ではないのだよって事を言いたかったです。恋をすると世界が色づいて見えるというけれど、周りからみたらバラ色なのは当の恋するその子なわけで笑。

あと、周りに文句ばっかり言ってる人間は、1番滑稽な自分に気づかないっていうそんなチクリとした毒を柔らかく表現したくて、絵本風に書きました。

 

 

こんな偉そうなこと書いてごめんなさい。

けれどコメントとても嬉しかったです。

また毎日思ったことをつらつら書いていこうと思います。

また、他にもこんな拙い文章をお読み頂いている方がおられましたら深く感謝いたします。