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世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

話を盛ることと、その弊害。

他愛もないこと

『面白いなと思った話があってそれが5くらいの面白さだったりしても、10くらいの面白さで伝えることができる人』っていませんか?

 

私の友達にもいました。何気ない日常生活の一コマを、すべらない話にでも登場させられるかのような面白さでもって話すことのできる人。この友達は、ふーん、で終わる話題を『盛って』話すから面白くなるのです。

 

今日書きたいのは『5の面白さを10にすること』、つまり『話を盛る』ことに関するお話です。

 

 

  •  友達との話のなかで話を盛ること

『5の面白さを10にする』というのはいわゆる『話を盛る』ということなのだけれど、友達に話をするときに話を盛ることは、多かれ少なかれ誰しも経験があることではないかと思います。ただ起きたことをそのまま話しても面白くなかったりして、多少の脚色を加えるのです。それはやはり根本に『相手に笑ってほしい』『面白いやつと思われたい』という気持ちがあるからでしょう。私もそうです。

芸人さんがテレビで話している面白話はたいていありのままの出来事ではないと思うのですが、盛りに盛っておもしろおかしく伝わっていますよね。それらがどこからどこまで本当にあった出来事かは定かではないけれど。しかし彼らはそれでお金を稼いでいるわけで、多少の脚色は仕方ないことだと思います。視聴者もそれを求めているわけで、ある種の芸人と視聴者の『暗黙の了解』がそこにはあります。芸人の話していることは100%本当じゃないだろうな、という暗黙の了解です。

 

 しかし我々は芸能人ではないわけで、この脚色の程度によっては嘘の話に化けてしまう可能性が大いにあります。もしかして付き合いの長い友達であれば、『こいつは話を盛る傾向にあるよな』という暗黙の了解があって、話半分に聞いてくれるかもしれません。そうすれば多少の誇張表現を使っても、それほど大げさには伝わらず問題にはならないでしょう。これは長年の付き合いによって生み出される暗黙の了解ですね。

しかしよく知らない相手だとそうはいきません。そこには暗黙の了解がありません。例えばあなたが初対面の人と会話をしていて、『10の話』を聞いたとします。しかし事実は『5』だったとしましょう。もし後日『本当に起きたことは5でしかない』という事実を知ることがあったりすれば、あなたはその相手に『あいつは嘘をつく奴だ』というレッテルを張るかもしれません。それとも『5を10に盛れる面白い奴だ』と考えるでしょうか。どちらにしても話を盛ることで、『5の話をそのまま5で伝えた』場合の伝言ゲームでは生まれなかったオマケのようなものが生まれます。そのオマケは『面白い奴だと思われる』という良いオマケだったり、はたまた『嘘つきレッテルを貼られる』という悪いオマケだったりするんですけれど。

 

 

  • ブログの文章を、盛ること

で、ここまで考えて思ったのは、この例にあげた『初対面の人』を『ブログを読む相手』だとして考えたらどうなのだろう、ということでした。

 

ブログを匿名でやっているのであれば、その記事を読む相手は『初対面の相手』が想定されます。もちろん長くブログを書いている人であればその人の事をある程度知っている読者も出てくるだろうけれど、多くの人に読まれれば読まれるほど『初対面の相手』が読むことになります。あらゆるところで拡散され、ブログの中で『その記事だけ』に目を通す相手も数多くいるでしょう。これらの読み手は、記事を書いた側にとってはすべて初対面の相手です。

 

そんなネット世界で記事をおもしろおかしく脚色することについて、私は悪いことではないと思っています。むしろ匿名であることの特権ではないかと思っています。話を盛るために実際の相手のキャラを少し変えてみたり、言ってはいないことを言わせてみたり。そうして記事をおもしろおかしく(時にはより悲惨に)して多くの人に読んでもらいたいという気持ちはよくわかります。特にただの日記ではなく、何か伝えたいテーマがある記事を書く人にとっては、多くの読み手にまず興味を持ってもらう事が肝心だからです。

しかしここで大切だと思うのは『その脚色が自分が書いた記事の中で伝えたいテーマに変な影響を与えない脚色であるかどうか』です。記事を通して伝えたいテーマが1つ2つあったりして、それをより多くの人に読んでもらうために、脚色というものを利用していきたいと思うわけです。

 

 

  •  なんだかひろがっているよ・・

で、私がなぜこんなことを考えたかというと、前々回書いた『人の彼氏を、笑うな』の記事がTwitterで多くの人にリツイートされていたからです。まさかこんな多くの人が読んでくださると思っていなかったので、とってもびっくりしました。

私がこの記事を通して伝えたかったテーマは、題名の通り『人の彼氏は笑ってはいけないよ』という事でした。なのでそのテーマに関すること以外の文章は、極論ぜんぶ作り話でもいいかなと思っていました。自分の失言経験を踏まえて、偶然同じことをいっている人に出会ったので、ふと思い出し文章にしたのです。で、これって誰がどんな言葉でリツイートしてくださったかを調べることができるんですね。さらにびっくり。多くの人が共感してくださるようなリツイートをしてくれていましたけれど、中には批判的な事をおっしゃっている方もおられました。

自分が印象的だったのは『結局、書き手(私)は失言した先輩を笑いたいだけ。学習した私カッコイイ!という自己陶酔。本当に学習したなら、失言した先輩に忠告すべき。』『わざわざブログで公開した意味がわからない。自分の中だけにとどめておけばいいのに。』という2つの意見です。

 

言われてからそういう目で記事を読むと、確かにそう捉えられてもおかしくないなあ・・と感じた訳です。おそらく『空気読めよBBA!』『彼氏や友達がおらず、結婚できない理由が垣間見えた』、ここらあたりの文章がいけなかったんでしょうね。これは私がブログの記事を読む相手を、初対面の人と考えずに書いていたからでしょう。

後出しじゃんけんみたいですが、実際のところ、私はその現場で『空気読めよBBA!』とは思っていませんでした。その時の心情は『え・・、え・・?こんなこと、言っちゃっていいのかな??後輩ちゃんは傷ついてないかな?』という感じ。もちろん、もやもやはありましたけど。でそのあと一連の出来事を友達に話して、『それはその先輩が空気読めてないとこがあるんじゃない』となったので、やっぱりそうなのかあ、と思ったわけです。すると自分も以前に同じ失言をしたことを思い出して、『ああ、おそらくあの時私も同じように、空気読めないウザい奴と思われたのだろうなあ』と感じました。そして私のことも同じように『だから彼氏できないんだよ』と思われたかもしれない。

 

 

  • 勝手にうごいちゃう人々・・

で、これを記事にしようとしていざ文章を書き始めると、するするっと現実世界で私が喋った本物の30代先輩は私の手を離れていき、『空気読めない30代BBA先輩』におもしろおかしく姿を変えて記事に誕生してしまったのです。こういう経験って、文章を書いているとありませんか?よく漫画さんが『主人公が独り立ちしてしまって、勝手に歩きだしている』ので『結末は私にはわからない』といっているのと同じような心情じゃないのかなと思うのですが、どうなんでしょうか。(一緒にするなって感じですかね。)

けれど、まあ、これは『自分の伝えたいテーマ』に影響を与えない程度の脚色かなと思ったのでよしとしました。100%の事を記事にしたって面白くないからです。

 

で、これも後出しじゃんけんなんですけど、罪悪感でもやもやしているので書きます・・この30代先輩のことは現実世界では尊敬している部分がたくさんあり、こんな一部分をみて『まぢKY結婚できないBBA』なんて判断したりしない訳です。けれど『人の彼氏を、笑うな』の記事の中で『この30代先輩は仕事もできて可愛くってスポーツもできる、私の憧れている先輩のうちの一人なんです!けれどお酒に酔って、すこし口が滑ったみたいで・・』なんて書いても、全然面白くないのです。面白くないどころか、自分を悪者にしないように言い訳がましく書いているように捉えられますよね。もう、そしたら、ほぼ脚色された人物に姿を変えてしまったけど、よりキャラが単純なほうが伝わりやすくていいだろう!ってなって、『空気読めない30代先輩』にGOサインを出したんです。これができるのも匿名の世界ならではの事だと思うのです。けれど、それが脚色されすぎて伝わった場合に、上のような捉えられかたになるんでしょうね。BBA先輩が記事の中で暴れすぎちゃった・・・・。これは文章を書く上ですごく反省するべき点です。脚色部分にばかり目をとられて、本当に伝えたいテーマが霞んでしまっている状況なので・・・・。脚色はある程度記事に彩りを添える程度がちょうどよくって、メインディッシュを邪魔しちゃいけないと思うんです。

(けど中には、脚色ちゃんがジョブ打ちまくって超面白いことになっている記事もありますよね。これはとても高度なテクニックだと思います。加藤はいねさんのブログなんて正にそうだと思います・・またはいねさんに関しても記事書きたいなあ)

あと、自分が上から目線で失言した先輩を貶めてるように伝わってしまったのもよくありませんでした。もっと初対面の人に話すつもりで、記事を書かないといけないなあと感じたわけです。友達へのおしゃべり感覚で書くのを、初対面の人が読むことになるわけですからね!

 

『結局、書き手(私)は失言した先輩を笑いたいだけ。学習した私カッコイイ!という自己陶酔。本当に学習したなら、失言した先輩に忠告すべき。』『わざわざブログで公開した意味がわからない。自分の中だけにとどめておけばいいのに。』

 

この、『自分の中だけにとどめておけばいいのに』というご意見なのですが、これは『失言した先輩に忠告すべき』な所を、私に忠告する勇気がなかったからです。10くらい離れた職場の先輩に偉そうに注意する勇気は私にはありませんでした・・ごめんなさい。なので、ブログという形で記事を書いて、数人でも読んで伝わる人がいたら嬉しいなあと思ったので、自分の中だけにとどめておかずにブログに書いたのです。

 

 

  • ブログって勝手なやつ・・

長々と反省文を書かせていただきました。とっても疲れた・・

けどこんな経験ができるのも、ブログを始めたからでしょうね。ありがたいことです。これでもう少し会話がうまくなればいいなと思います。『5の話』を『10の話』に盛ると、プラスとマイナスの弊害が起きるということが分かりました。いわゆる良いオマケと悪いオマケですよね。多くの人が読んでくれたという良いオマケと、批判という悪いオマケです。

で、これからは初対面の人と話している気持ちでブログを書いていこーと思います。これは結構心臓に悪いできごとだったので。細々と書いていくつもりなので、謙虚な気持ちで臨もうと思います。自分なりの振り返りとして、たぶん脚色部を自分を貶める内容にしたら、マイナスの弊害はもう少し減るんだろうなあと思いました。

 

けれど、読む分には脚色しまくっているものも好きだし、炎上しているブログも好きです。なので『みんな、ブログは謙虚なきもちで書こうぜ!』といった記事ではありません。んー、ブログって面白くて、難しい。自由度が高いがゆえに、自分で制限をかけないとどこでもフラフラと歩きまわってしまうんですね。勝手なやつー。