とある とげとげした 女医さんのはなし
女医の世界というと、どんな世界を想像しますか?
女医さんって、こんななんだよーってことを書こうと思ってブログを始めたのですが、なんとなくいつもずれた話になってしまいます。けれど、私の根本にあるのはいつでも『女医さんを好きになってほしい』という思いです。医者って何かと悪者にされがちな印象を受けるのですが、結構みんな、頑張ってます。儲けとか、わいろとか、そんなことばかり考えているのはほんの一部で、患者さんのために、命を救うために、それぞれの考える最善の医療を提供するために、頑張ってます。雨の日も、台風の日も、お盆もお正月も、患者さんは病院にやってきます。病院は、いつでもてんやわんやです。女医さんも、そんな悪くないですよ。こじらせちゃってる女の子も多いですけれど、なんか、日々、もがきながら働いています。そんな事を伝えられたらいいと思うのですが、うまく言葉にできず、ピザトーストのレシピとか、変な女の子の空想の物語とか、そんなことばかり書いてしまいます。
なので、気をとりなおして、今日は、とある女医さんとの思い出話を書こうと思います。
私が彼女と出会ったのは大学5年生の病院実習(通称ポリクリ)でのことでした。
彼女の名前はネイロといい、一風変わった名前であったことと、その冷徹なキャラクターもあいまって、学生の間ではけっこう有名な先生でした。
彼女は30半ばの、外科系の女医さんでした。ショートカットの黒髪で、切れ長の目と厚ぼったい唇の、派手ではないけれど美人風の先生でした。
ネイロちゃん(学生の間ではこう呼ばれていました)は小柄だったけれど、学生を寄せ付けない圧倒的なオーラを放っていました。口癖は『あっそ』『ふーん、で?』『はやくして』。いつも何かに追われているような、険しい顔をしていました。
ネイロちゃんは学生が嫌いでした。もちろん、直接『アナタたちのことなんて嫌いよ』と言われたわけではありませんから本当のところはわかりませんが、態度がそっけなく、そっけないを通り越して冷たく、もはや嫌いとしか思えないような対応でした。話しかければ顔をしかめ、質問をすれば『こんなことも知らないのか』というようなことを言われ、自然と私たちもよっぽど大事な用事がないとネイロちゃんには近づかないようにしていました。
当時ネイロちゃんが私たち学生のことをどう思っていたのかはわかりません。自分の仕事の時間を割いて、おバカな学生たちの相手をしなければならない訳ですから、単純に面倒で嫌だったのかもしれません。それでもほとんどの先生は、少々めんどくさそうでもそれなりに学生と仲良くしてくれましたから、やっぱりネイロちゃんはどこか特別学生嫌いだったように思います。
ネイロちゃんが人とコミュニケーションをとるのが苦手だったのかというと、そういうわけではなく、実際、患者さんや周囲の医者とは仲良く楽しそうに話していました。
実習中にこんな出来事がありました。
各科の先生が暇な時間に学生相手に講義をしてくれたりするのですが、その科を回っていた時に、ネイロちゃんが講義をしてくれるコマがありました。私たちは指定された時間に、指定された部屋で待っていたのですが、約束の時間を10分過ぎても20分過ぎてもネイロちゃんは現れません。30分が過ぎて、私たちはネイロちゃんのPHSに電話をかけてみることにしました。すると、PHSの呼び出し音が、となりの『仮眠室』から聞こえてきました。数回のコールの後電話に出たネイロちゃんは
『今日は仕事が忙しいから講義はなしで』ぶちっ
と言って、電話を切ってしまいました。
私たちはしばし顔を見合せて、ポカンとあっけにとられました。一言連絡が欲しかった。(しかもとなりで寝てるし。)けれど、まあネイロちゃんだしね、みたいな雰囲気になって、仕方ないね、みたいな結論になって、結局そのあとも実習中にネイロちゃんの講義が開かれることはありませんでした。埋め合わせの講義をどうするかの話しをしに行くのも怖かったですし、どうしようかねと言っているうちに、そのまま流れてしまいました。ちなみにネイロちゃんは講義の予定だった日の夕方、何事もなかったかのように回診に現れました。ふんふーん、悪びれないわよ私。
そんなネイロちゃんを、その後、一度オペ室の女子ロッカーで見かけたことがありました。ネイロちゃんはオペ着を着たまま、ロッカールームのすみっこで体育ずわりになってうつむいて泣いていました。掃除のおばちゃんが『だいじょうぶ?』としくしくと泣くネイロちゃんに話しかけていました。ネイロちゃんはおばちゃんの声にふと顔をあげると、学生の私がいることに気がつき、ぱっと立つとサッサとどこかへ行ってしまいました。
私はその瞬間、なぜかドキドキしていました。そのネイロちゃんの姿は、私の脳裏に強く焼き付いていて、その後もたびたび思い返すことがありました。ネイロちゃんの冷徹な仮面が、少しはがれていた、見てはいけないものを見てしまった時の、罪悪感と好奇心が入り混じった、そんな感じの気持ちでした。あの時ネイロちゃんは、何で泣いていたんだろう。
それから1年あまりが経ち、私たちは晴れて学生を卒業し、名ばかりとはいえ一応医者となりました。
4月、母校でのオリエンテーションに参加した私は、久しぶりにネイロちゃんと再会しました。再会といっても、気軽に話したりできるほどの仲ではないので、あ、いるな、と思ったくらいでしたけれど。
ネイロちゃんは、研修医に外科の基本である、縫合とかそういう手技を教えに来てくれていました。何となく、私たちが学生だったあの頃とは違う表情で私たちを見ているように感じました。
オリエンテーションに来てくれていた先生たちの挨拶のなかで、ネイロちゃんは私たちに言いました。
『国家試験合格おめでとう。社会人になると、学生の頃とは違って、いろいろなものから守ってもらえなくなります。学生の時、どんなに自分が周りから守ってもらっていたか、きっとわかると思います、辛いことがたくさんあると思いますけど、めげずに頑張ってください。』
私は、ああ、と思いました。いつもツンツンして、固くて重い鎧をかぶってたネイロちゃんが、攻撃される前に攻撃しまくっていたネイロちゃんが、ようやく私たちに仮面の下をみせてくれた、そんな風に感じました。
何人かの先生が私たちに素敵な言葉を贈ってくれたけれど、私が覚えているのはネイロちゃんのこの言葉だけです。
何となく、ネイロちゃんは自分に言い聞かせているようにも感じました。ネイロちゃんは、どちらかというと、もしかして学生に近い側の人間だったのかもしれません。まだ、ずっと守ってもらいたかった人間だったのかもしれません。私たちが学生ではなくなり、同じ土俵に立つことになって、学生への嫉妬心が消えたのかも知れません。結局直接聞くことはできないので、あくまで私の想像ですけれど。
私とネイロちゃんの思い出は、実習での2週間と、オリエンテーションでの1日しかありません。けれど社会経験を重ねていくにつれ、だんだんとネイロちゃんに親しみを感じてきている自分がいます。きっと、女医の世界で働くなかで、自分の中でどこか重なる部分が出てきているのでしょう。自分の中で芽生えた汚い感情から目をそむけ発散できずにため込んでしまう自分とは違い、素直に吐き出せる(それがいい事かは別として)ネイロちゃんの性格が、ある意味うらやましくもあるのだと思います。誰でも嫉妬心や自己中心的な考えを持つことはありますし、ストレスが極度にかかる職場では、いつでもスマートでいることはできません。女性びいきという訳ではありませんが、女の人は体力がない分、同じ仕事をしても男の人より早く限界が来ることも多いでしょう。体力の差は、仕事の精度の差になってあらわれ、どうしても男の人と比較してしまい、自分の不甲斐無さに苛立つことも多々あります。なんで私は男に生まれなかったのだろう、と運命を呪うことだってあります。ドロドロした感情だって、女性の専売特許です。ネイロちゃんは、憧れというわけではないけれど、なんとなく、私のなかで愛すべき存在なのです。綺麗なものだけが心を救うわけではないのだなあと思った、とある女医さんとわたしのお話でした。