世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

精神科のことを書けないでいる

精神科のことについて書かなくてはいけないなと思っている。

12月に1か月、精神科病院で研修をした。そこで見たこと、したこと、感じたこと、書かないといけないなと思っているのに、なかなか文章にできないでいる。

例えばそれをブログに書くことで、それを発信することで、わたしは何を伝えたいのか、未だに自分の中で答えが出ていないというのは、ひとつ、理由としてある。

あとは、どうしてもナイーブになってしまう、精神科という科のこと、精神科の患者さんのこと、正直に感じたことを書くということについて。100%、わたしが実際に感じたことを、ありのまま心の声を文章にすると、正直、それはネット上で発信できるような内容ではない、のだ。ただ、学んだことは確かにあるし、現在進行形で考えていることもある。『精神病患者』、そんな名前をつけることは差別しているようにも感じる、けれど、そうはいうけれど、確かに、精神科はどこか違うのだ、今まで内科や外科で研修してきたノウハウはほとんど使えなかったし、患者さんへの接し方もこれまでとは応用がきかなかったし、使っている薬もみたことのないものが多かった。うわべを撫でて終わった1か月だったのだ、悔しいことに。そもそも研修医ができることというのは限られているし、先生たちもわたしにそれほどの期待をしていないことは分かっている。でも、それにしても、あまりに何も出来なかった。この1か月で自分として満足いく仕事を出来なかったこともそうだけど、今後、『これをもうちょっと勉強したら、きっと自分にも出来るようになるだろうな』というビジョンですら立てることが出来なかった。

患者さんは、どんな患者さんでも、ひとりの人間として診たいと思っている。

もう寝たきりになって、食事やトイレも自力でできなくなった高齢の患者さんがいる。この患者さんがここまで生きてきた道のりを考えると畏怖の念がわく。この言葉は少しおおげさすぎるのかもしれないけれど、それでも、これまでの日本を何らかの形で支えてこられて、そのおかげでわたしがこうして生きていられるのだな、と思う。お疲れ様でした、これからはわたしに少しでも支えさせてくださいね、という気持ちになる。

自己管理ができず、好き勝手食べて飲んで、タバコを吸って、重症の糖尿病になって血管がボロボロになっている中年の患者さんがいる。それでもわたしよりも年上だ、自分よりも長く生きているということだけでもそれは尊敬に値することだと感じる、若造のわたしがここまで生きてくるだけでも何度も死にそうになっているのだから、生きてきただけですごいことだと素直に思う。だからこそ、健康になってもらって、身体も心もいきいきとした人生を送って欲しいと思う。そこまで重症になる患者さんは、たいてい心が不健康になっているからそうなるのだと感じることが多いし、タバコの吸いすぎによるCOPDはとても苦しい亡くなり方をする、それはみているこちらも辛い。

 

研修中に出会った、ある精神科に入院中の患者さんは言った、『私たちは幼稚園児みたいなもんよ。そうやって接してくれたらいいのよ。』

わたしはひどく驚いた、いや、そんな風にわたしは思えないです、とっさに思った、けれどでも、わざわざそう言った患者さんは、そうして欲しかったから言ったのだろうか。普通に接していたつもりだったけれど、とまどっていたのが伝わってしまったのだろうか。その患者さんが、何を思ってその言葉をわたしにかけてくれたのかは分からない。けれど、その言葉の意味をずっと考えている。なんだかすごく難問を与えられた気持ちだ、いつか理解することができるのだろうか、自分なりに解釈することができるのだろうか。それとも、解釈しようとすることは、必要ないことなのだろうか。わからない、むずかしい、何をすればその答えに近づくことが出来る?わたしはあなたのことを、どんな形で、理解したらいいのでしょうか?

精神科の患者さん、私にとっては未知との遭遇だった。そう思うことは、差別なのだろうか。わからない、ただ、これまでの他の科で学んだ患者さんとの接し方では駄目なようだった。

 

結局思ったようなことは、1割も言葉にできていない、また少しずつ書いていこうと思う。