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世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

(無題)

これは、今年、平成28年の2月~4月にかけて書いた、日記のようなものだ。

忘れてはいけない、という思いと、心の整理のために書いたものだ。

ブログという公の場に書くことは、どうなのだろう、と思っていたが、この3週間程度の休みの中で、わたしは『自分の弱さを認めること』そして『わたしが弱い人間であるという事を、隠さずにみせること』ということを学んだ。これは、わたしがあまりにも様々な問題を他人(家族や友人)に話さず、ひとりで抱える傾向にある、というわたしに対する母親の評価に由来する助言だった。昔から、自分の思いを『口から発する言葉にする』のが極度に苦手だった。けれど、文章でなら、少しは伝えることが出来ると思う。そういう思いで、ブログで書くことを決めた。本当のところ、少し緊張している。このブログの存在は、自分のリアル生活における友人には、誰にも話していない。もちろん家族にも。(最も、父親はブログなどといったインターネットの世界に興味がなく、また、母親はわたしの個人的な日記は読まないようにするということを信条にしているようなので、知ったところで読まれないのだが)

唯一、1年半前に、四国から愛知へ病院をうつる際に、このブログのことを話した後輩がいた。かなり赤裸々に、そして自分の中だけに隠している気持ちや考えを書いているブログなので、本当に、彼女ひとりにしか話さなかった。なぜ彼女にだけだったのかということは、そんな大きな理由があるかというとそれは一言では言えないのだけれど、何となく、雰囲気として、彼女であればわたしの想いを『共有』してくれるだろう、という気持ちがあったからだった。彼女とは約1年間の付き合いだったが、濃い時間を過ごした相手であった。たくさんの想い出がある。そうして、わたしが愛知へ帰る際に、餞別の品として、バスセットと、短い手紙を渡してくれた。その手紙には、『あかめ先輩がいなくなったら、これからどうやって生きていったらいいか分かりません(笑)』と書かれていた。まさかその言葉が、今になってどれほどの重みを持つことになったのかということは、その手紙をもらった時には想像なんて出来なかった。

 

彼女は、もういない。彼女は、もうこの世界に存在しない。

 

これは作り話なんかではない。書いていて自分でも、嘘のように思えるのだけれども。

 

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後輩が自殺した。

後輩というのはわたしが初期研修をしていた病院で、わたしが2年目のときに1年目として入ってきた、明るく(みえる)はきはきした聡明な女の子だった。彼女は現役で医学部に入学したが、途中1年留年をしていたので、年齢はわたしと同い年だった。彼女は開業医の娘だった。しかし娘と言ってもひとり娘ではなく、同じく医学部へ進学した兄がいて、その兄も医者の奥さんと結婚したとのことで、跡取りに困っているようなお家事情はなかった。条件だけ見れば何不自由なく生きてきて、これからも生きてゆけるようにみえる人種の人間だった。おまけに彼女はほっそりとした体、胸もそこそこ大きかったし、愛らしい目をしていてひいき目でなく可愛かったし、先輩から好かれるような正直な性格をしていた。

彼女は研修医としてこの病院へ入る前に、何度か病院へ見学に来てくれていた。その当時わたしは研修医1年目だった。大きな病院ではなく、わたしの学年には他に女子がいなかったこともあり、病院のこと、研修内容のこと、その他他愛ないことなど、彼女が見学に来てくれた時にはいろいろと話したことを覚えている。そうしてすぐに仲良くなった。彼女はわたしのことを気に入ってくれていたのが分かったし、わたしもぜひこの病院に入ってほしいと思った。いろいろ教えてあげたいと思ったし、後輩として可愛がってあげたい、おいしいご飯を一緒に食べて、飲み会もして、彼女が後輩としていてくれれば楽しい研修生活が送れそうだと思った。

ある種の親和性というか、第一印象で、あ、この子とは仲良くなれそうだ、という雰囲気を持つという経験ってあると思う。いま周りにいる同性の友達を思い浮かべた時、その子と初めて出会った時のことを考えてみる。中には初めて出会ったとき、その第一印象がかなり悪く(しかもお互いそう思っていた)けれどその後とても仲良くなれるという子もいる。それほどの印象はなく、可もなく不可もなく、という感じでも、同じ時間を過ごしていくうちに仲良くなる子もいる。逆に最初かなりよい印象を持って仲良くなっても、どうしようもなく巻き込まれてしまったしがらみにより絶縁状態になってしまった子もいる。それでも初めに持った印象というのが良いと、打ち解け合うスピードは速いのだと思う。お互いの第一印象が最悪だった友達は、同じ部活動で嫌でも一緒に過ごす時間が長かったために、お互いを深く知る時間を持つことが出来たために仲良くなれた。たぶん、そういう環境に置かれなければ仲良くなることはなかったのだと思うし、相手の事をよく知ろうという気持ちにならなかったと思う。

その点彼女とは初めて会った時から、何というか、初めて会った気がしない感覚、今思えばどこかしら生い立ちや積んできた経験が似ていたのかもしれないし、根本的な性分が似ていたのかもしれないけれど、そういう印象だった。そうして、彼女が正式にわたしの後輩となってから、わたしと彼女の距離が寄り添うように近づくまでそう時間はかからなかった。

 

言ってもわたしが彼女と過ごしたのは、1年強という時間だった。

27年という人生を考えるとそう長くなかったのかもしれない。

 

彼女は自分のことを話すときには、基本的に自虐的なスタンスだった。自分の意見はおそらく心の中に持っていた。けれど他人の目や批判を気にしてなのか、表に出すことはそれほどなかったようにわたしには見えた。とても賢い子だったと思う、わたしの理解できる範疇を超えるほどに、そしてたまにいう『自分の意見』などは、すべて彼女の中で計算されて発せられた言葉なのではないかとわたしは思っていたが、それが果たして本当にそうだったのか、それともわたしの深読みのし過ぎなのか、今となっては知る由もないし、聞いたこところで彼女は答えなかったとは思う。

ゆきすぎた謙遜、固められた自我、抑圧された感情、泣きそうな笑顔。そういった言葉が彼女を形容するのには似合っていたと思う。それはよくないことだと思ったが、それを治すことが出来るほど彼女はもう小さくなかったし、その中でずっと生きてきてそこに居場所があり、彼女がいた場所、そこは傍から見ても、何もかもを振りほどき、自由になれるような場所ではなかった、正直に言うと彼女はあまり恵まれた環境に置かれていなかった。履歴書などに書けるような、箇条書きの条件ではみえないもの。周りの大人たちが、彼女の自由を奪っていた。それもおそらく、小さいころから、心の内部を、じわじわと蝕むように。そういったことを大人たちは悪意を持ってしていたことではないと思うが、悪意がなければ許されるかというとそうではないとわたしは思う。いや許すとか、許せないとか、わたしが口を出せる範疇の問題ではないので、やはりどうしようもなかったとしか言いようがないのだ。持って生まれたもの、自分の力で変えられないもの、そういったものは他人が批判すべきではないし、口をはさむべきではないとわたしは思う。そしてそれは、この出来事に対してやり場のない悲しみと、答えのない問いへの虚無感を生んでいる。誰かが彼女のいた場所から、引きあげてあげることが出来ていたなら。彼女の浸かっていた深みは、きっとわたしが想像していた以上に深く、冷たいものだったのだろう。そうして、わたしは、また自分が大切なひとを失ったことへの絶望を感じている。2年前に一度失って、考えたのではないのか。どうすればよかったのか。何をすれば後悔しないのか。

 

大学在学中の留年について、彼女は『遅く来た反抗期』といったニュアンスの事を言っていた。何をしていたのかと聞くと、彼女は『缶詰工場でアルバイトをしていた』と言っていた。確か、海産物系の缶詰工場と言っていたと思う。それについてわたしはとても笑ったが、ああ、そういう子なんだな、とも思った。そういう子、という感触をうまく言葉にできないが、なんというか、『病んでる』、ひと言で言ってしまえばそうなるのだが、繊細で、自分の気持ちを抑圧してしまうタイプの子というか、たぶん、医学部に現役で入学して、1年間の留年を缶詰工場のアルバイトに使う女の子って、そういないと思う。とにかく、わたしの中で彼女が異色を放っていたことは間違いなかった。そしてこのエピソードは、わたしに彼女をますます好きにさせたのだった。

 

彼女の自殺を聞いたのは、今年のお正月明けの事だった。

 

わたしは通っていた大学のあった県で初期研修の2年を終えて、遠い県外の病院へでていた。なので彼女と仕事をしたのは実質1年間だった、わたしの初期研修2年目と、彼女の初期研修1年目。今から半年くらい前に一度古巣へ行く機会があり、突発的に飲み会を開催したのだが、彼女は笑顔で来てくれて、コンビニでビールやおつまみを買ってきてくれた。その時私は3年目、彼女は2年目になっていた。あの時わたしは彼女と何を話したのだろう。直接交わした最期の会話になってしまったのだが、悲しいことにわたしはその内容を覚えていない。確かなことには、その時の彼女は、一緒に仕事をしていた時の彼女とそれほど変わってはいなかった。だからといって、彼女が精神的に病んでいなかったかどうかと言われるとその答えは難しい。もともと不安定な子だったのだ。ずっとそういった空気は纏っていた。それは付き合いが長くなればおそらく感じ取れる(こちらに感受性があれば)空気で、初対面だったり、その場をやり過ごすことに長けていたので、もちろん表立って暗かったりめそめそしたり弱音を吐いたりしない、むしろなぜいつもこんなに笑っていられるのかというくらいケラケラしていたので、ぱっと見ただけでは分からないが、ある程度付き合ってみてこちらにそういう感受性があれば、『この子は少し不安定なところのある子だ』ということに気づく、そういった空気を纏っていた。基本的に自虐的なスタンスだったが、それはあの時の彼もそうだった、そういったところはよく似ていた、そうして『この子は放っておくと危ないかもしれない』という微かな危険にわたしは気づいていたのだけれど、そう、だから半年前に久しぶりに会った彼女が『自殺の前兆を思わせるような』『特別な』雰囲気を醸し出していたかというと、そんなことはなかった。きっと、誰に聞いてもそういう答えが返ってくるのだと思う。記憶が確かなら、いや、確実に、わたしが最期に見た半年前の彼女は笑っていた。

 

お正月に『あけましておめでとう、元気にしていますか』というLINEを送ったのに、3日経っても一向に既読にならなかった時、嫌な予感が心をよぎった。しかし、その時わたしは、まさか自殺してしまっているとは思わなかった。研修を一時的に中断してしまっているかもしれない、とは思った。初期研修時代も、様々な問題(家庭のことであったり、進路のことであったり、恋愛のことであったりその他もろもろの事に関して)を抱えては泣きそうな顔で笑って話してくれていた彼女を思うと、仕事が出来ないくらいの精神状況に追い込まれてしまっていると聞いても、正直なところそう驚かなかった。もちろんとても辛いことではあるけれど、誰にでもそういう事はあるし、自分を責めないでほしい、近いうちにそちらへ行って元気づけてあげないとな、と思った。そして彼女について詳しく状況を聞くべく、古巣に残ったわたしの同期に『彼女、最近元気にしてる?』というLINEを送ってみたものの、そちらの方も3日経っても一向に既読にならず、嫌な予感は、少しずつ少しずつわたしの心の中で広がっていった。一度回り始めた嫌な予感スパイラルは、自分の重力を糧にしてあっという間に加速して回り始めていた。不安という小さな粒は、目に見える大きさの粒子となり、まるで霧のように拡がり濃厚な恐ろしい空気となってわたしの周りを覆っているようだった。何かがおかしかった。

おかしいと思ったら、もう、とにかく誰かに彼女の動向について聞かなければならなかった。手当たり次第に、最近の彼女を知っているであろう人間に電話をかけてみた。よく覚えているが、あれは大きな最寄り駅にあるスタバでの出来事だった。わたしは焦っていた。嫌な予感は、小さな風船を膨らませるようにじわじわとわたしの心のなかを支配していき、ちょっとずつ大きくなるそれは、スペースの狭くなった居場所からするっと抜け出すように口から吐き出させられそうになり、わたしに本物の吐き気を催した。吐きそうになりながら電話をかけた。電話は長いコールのあと、彼女の同期のひとりだった女の子につながった。

『もしもし』

電話に出たその子は、眠たそうな声をしていた。どうやら当直明けだったようだ。こんな時にごめん、と謝り、ところでさあ、○○ちゃんって、元気にしてる?とわたしは聞いた。

少しの間があった。

わたしは、今ほど隣に誰かにいて欲しいと思ったことはないというくらい、誰かしらにそばにいて欲しいと思った。聞きたくない。次に発せられる言葉は、聞きたくない。こんな思い、2年前にもう二度としまいと誓ったはずだった。

『えっと』

とその子は落ち着いた口調で言った。今思えば、その子は彼女の死をもうかなり前に知っていたのだ。そして、わたしがそのことを知らないであろうことも分かっていて、丁寧に言葉を選んでくれているようだった。

『○○ちゃん、じさつしたんです。去年の、11月くらいに・・』

ああ、と思った。ああ、またか。

またか、という絶望と、信じたくないという拒絶が、わたしの心の中で相いれない風に渦巻いていた。

またお前は友人をひとり殺したのだ、と頭の中で誰かが言ったように思った。

 

 

低空飛行するように、心の奥底を漂っていた疑問があった。近しい人間が立て続けに2人自殺してしまったことにおける、自らの、彼らに対する(自殺に対する)親和性についてだった。

友人Aによれば『それは偶然だよ』とのことであった。わたしとしても、そのことに関して追及したところで得られるものは皆無だろうし、誰も得することではないという事は理解しているつもりだし、だから何と言われればそれまでだ。深追いしてもいいことではないから、この考えはここでおしまいにしなくてはならない、それでも考えてしまう、これがただの偶然なのだとしたら、わたしの人生を動かしている神様はなんて非情なのだろう。

 

 

一連の出来事について、詳しく知っているひとは数多くはいないようだった。家族にとっても、近しい病院関係者にとっても、言いふらすべき事柄ではないし、古巣においてもまだ知っている人は少ないと思います、というのが電話先の後輩の話だった。それでもどこからか情報は漏れるのだろうし、この話はそのうちにひっそりと広まってゆくのだろうなと思った。また別の人間から聞くことには、彼女は遺書をのこしていたらしく、その内容は主に感謝と謝罪の言葉であったらしく、そして練炭自殺だったらしかった。練炭自殺というのは辛かった。いや、どんな死に方でも辛いのだが、前々から準備をしていた死に方というのは彼女の死への願望が突発的なものではないことを物語っており、死へ向かわせないルートが残っていた可能性を示すものであり、そう思うとやりきれなかった、ただ、ただただ、やりきれなかった。

2年前に死んだ彼についてよく知る友人Aに、『また』友人が自殺してしまったことを話すと、彼はわたしが大丈夫かどうか一通り聞いてくれたあと、『きみの心情は察するに余りあるよ』と言ってくれた。心情は察するに余りある。わたしは彼のこういった言葉遣いがとても好きで、心地よく感じた。同じ痛みを知るひとに寄り添ってもらえることがどんなに幸せなことかと思った。しかし皮肉なことだと思う。大切なひとを亡くして、大切なひとを再確認する。失って初めて気づくありがたみ、という言葉に異論はないが、失わないと気付けない痛みというのはずいぶん子供な出来事のように思う。もう過去に過ぎているはず、学習している痛みのはずで、それを繰り返している自分が馬鹿みたいだった。2年前の友人の死は、ずいぶんわたしを変えたのだと思う。それは成長といえば成長だし、大人にさせたといえば大人にさせたし、痛みを鈍くしたといえば認めたくないがそのようであるようだった。自分はずいぶん、痛みに鈍感になったものだと思う。ひとは傷つく出来事を経験してゆくたびに、自分を守るために心に鎧を纏うことを覚える、使いまわされている比喩表現だと思うが本当にその通りだと思う。わたしは鎧を纏ったことで痛みに鈍感になっている。死んだ彼女のことも、どこか遠い国でおきた出来事のように感じている。

たぶん、どうしたらよいのか分からないのだ。2度の大きな失敗は、わたしの自信を喪失させるのに十分だった。

痛みに鈍くなった分、浄化も同時に鈍くなっているようだった。痛みはいつまでもくすぶっている、彼女の死は、近い将来に綺麗に浄化されることはないのだろうという確かな予感をはらんでいた。

 

(無題・2) - 世界を食べたキミは無敵。 へ続きます。