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世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

麻雀の思い出

他愛もないこと

はじめて麻雀を覚えたのは中学生の頃のことだった。といっても家にあったパソコンにたまたま父親がいれていた麻雀ゲームをやってみたくらい、それがわたしと麻雀との初めての出会いだった。でも相手はパソコンのAIで、わたしがルールをあまり分かっていなくても勝手に『リーチ』ボタンが点灯したり、『鳴く』ボタンが点灯してそれを押してみたりしたらあがろうと思っても役がなくてあがれなくなり何であがれないのか分からないとか、そんな感じで決して麻雀が上手くなることはなく、そして麻雀の楽しさを知ることもなく、その頃ほんのたまに暇つぶし程度にしたくらいで、大学生になる頃には麻雀のことは忘れてしまっていた。

 

大学生になると、浪人上がりや男子校出身の男の子たちが中心となって同級生が徹マンをしたりし始めて、そういえば昔ちょっとやったことがあったな、くらいのことを言ったらそのままメンツ探しのときに誘われるようになって、そうこうしているうちにルールや打ち方を覚えるようになって、麻雀が好きになっていった。

なんで麻雀を好きになったかという理由は色々あるけれど、ひとつは4人でいるけれどあまり喋らなくてもいいことだった。たいていてづみで誰かの家でやることが多かったけれど、テレビではひたすらアニマックスが流れていてドラゴンボールとかやっていて、わたしはあまりドラゴンボールとか知らなかったけれど知っているはずの男の子たちも別にそれを見る風でもなく、時折誰かが長考に入るとそれを眺めたりして、持ち寄ってきたポテチとか四角くて安いチョコレートを食べたりしながら次のテストのヤマとかをぽつぽつ話したり、誰かが早上がりした局では、他の子が跳満とかそのくらいの手のリャンシャンテンを開きながら『あ~これとこれが来ればな~』とかいって自分が引くはずだった牌を山からひとつひとつめくりながら言っていて、『こっちは役満手だったよ・・』とか思いながらわたしは流れた局で自分の手牌を晒すのが大嫌いなのでパタンと倒して『惜しかったね~』とか言ってザラザラ牌をかき混ぜたりしていた。最初の捨て牌が『北、西、北』と並んだ時その子が唐突に『ト、マ、ト』と言い始めて、ほんとうどうでもいい事なんだけれど、夜中のテンションになっていたわたしたちはなぜかそれがとてつもなくツボに入って爆笑したりして、『北、九萬、白、一索、西』の子が『コ、ロ、ン、ブ、ス』とか言ってそんなこと言い始めたら何でもありじゃんてことになってまた爆笑して、ほんとうどうでもいい事だったけれど可笑しいくらい楽しかった。

 

麻雀は運ゲーなのかそうではないのかという事に関してはわたしは個人的に100%運ゲーではないと思っている。ただ、運要素は他の将棋や囲碁などと比べると圧倒的に高い。一半荘くらいだったら、初心者が玄人に勝つことは十分ありうるだろう。けれど百半荘、千半荘とか統計をとればそれは絶対玄人の方が勝率は高くなって、それが麻雀が強い人という事になるのだと思う。モンド杯とかそういうのに出ているプロとかそれに準ずる人の強さはもはやわたしには判断ができない。麻雀の打ち方で大きく『オカルト派』と『デジタル派』に分けるとするとわたしは今風のデジタル派で、でも完全にデジタル派という訳ではなく、オカルト:デジタルが2:8くらいの打ち方をしていると思う。デジタル派というのが徹底的に牌効率をつきつめていく打ち方という認識でいいとしたらそれはコンピューターと変わらないのであって、別にそれを非難するつもりはないのだけれど、(天鳳などのネット麻雀はよく知らないけれど)実際目の前で一緒に打っている相手の癖とか弱点をついていくために、たまに牌効率を無視した打ち方をしたりはする。あと、わたしは大学生の頃に出た学生の麻雀大会でたまたまゲストで来られていたチートイ王子こと土田浩翔氏に偶然自分の局を後ろから見て頂けたことがあって、(王子は大会会場をうろうろと参加者が打っているのを見て回っていたのだった、なので本当にに偶然)今でも忘れられないのだけれど、わたしはその時トップ目で、逃げ切れればいっちゃという局で、対面の相手が早上がりの鳴きを仕掛けてきていて、わたしはベタオリすることはできた手牌だったけれど回す形で手を変え、対面から出たドラを鳴き、薄いところを捨て、その後は少々運だよりで数巡安牌を引き、最終的にもう一回対面から出たドラで上がったという結末を迎えて無事いっちゃをとれた。リスクはあったけれど、そこで対面の仕掛けに乗じて仕掛けなければいっちゃはとれていなかったと思う。その後になんと土田氏から『素晴らしい上がりでしたね』と声を掛けて頂けたのだった。わたしは舞い上がるくらい嬉しくて休憩時間に近くのコンビニで色紙を買ってきて土田氏にわたしの名前入りのサインをもらった。そこからさらに少し打ち方がオカルト寄りに染まってしまったと思う、そしてチートイも以前より積極的に狙うことが増えたような気がする。

 

その時の全国大会での局はなぜかどれも劇的で、今でも忘れられないでいる。その大会は大学対抗というスタンスで、地方大会を勝ち上がった同大学のペアが、2人合わせたスコアで競うというペア戦の大会だった。そして、その大会だけのルールというものがあって、細かいことはたくさんあったけれど、まず、戦う相手がはじめから番号で決まっていた。もちろん同じ相手とは二度は当たらないようになっている。四半荘戦で、起家が一回ずつずれていくというもので(つまり四半荘のうち一回は起家スタート、そして南家スタート、西家スタート、北家スタートということになる)ただ一半荘50分という時間制限があるので、北家スタートだと親が来ないままその半荘が強制的に終わってしまうということがあった。これはかなり恐怖で、最終戦(四半荘目)で上位の人たちは残り時間を気にするため、早く切らない相手にピリピリするということになるのだった。参加者は80人前後だったように思う。わたしは麻雀がそう強い方だとは思っていないけれど地方選を運ゲーで勝ち進むことができた。そして、全国大会でもその土田氏にみて頂いた半荘を含め順調にいっちゃを重ねてゆき、全国大会も三半荘終えた時点で暫定順位が張り出されたのだが、なんと三位だったのだった。それはつまり、最後の半荘戦でいっちゃをとれば個人入賞できる(ペア戦だけれど個人戦三位以内は表彰されるのだった)位置につけていたのだった。思ってもいないことだったけれど、ここまできたら個人入賞したいと思った。

最悪なことに最終戦(四半荘目)は北家スタートだった。何としてでも自分に親を回さないといけない。けれどこの時点でだいたいの順位は決まっているので、同卓した人たちはどうやらそれほどの順位ではなかったようで、もういいよね~疲れたね~みたいなムードになっていた。これはいけない、と思ったけれど同卓した人たちはわたしが個人入賞を狙っているということなんて分からないため、のほほんムードの中『早く切って下さい』とも言えるはずもなく、ひとり悶々としていた。と、最初の局で親が早めのリーチをかけてきた。わたしもそれなりのいい手だった。捨て牌一列目くらいのリーチだったので安牌らしき安牌もない。ただ、最初の局から大へこみする訳にもいかない。困ったときの西だ。リーチ後一発目、わたしはこんなときのためにとっておいた左端の西をためらうことなく切った。すると間髪おかず、

『あ、すいません・・それ、ロンです・・』

パタン、とリーチ者が申し訳なさそうに手牌を倒した。

えええ~~~~!!西があたるということは・・まあ、七対子だった。一発、しかも裏も乗って(チートイは必然的に裏うらになるし)わたしは愕然とした。つちだぁ~~~~!!(これはやつあたり)

『そっかぁ・・西があたっちゃうなら仕方ないですね~、はは』とか笑顔で点棒を渡したけれどわたしははらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りを抱えていた。西なんかであたるなよ!!でもそれはわたしもやることであるし、自分が相手の立場だったら絶対西で即リーだし、誰を攻めるわけにもいかない(もちろん王子を攻めるわけにもいかない)。ただ、この振り込みは大きかった。わたしはかなり焦っていた。けれど焦るほど、そして欲を出すほど麻雀の女神はこちらを振り向かなくなり、のほほんとしたムードのまままったり進んだ最終戦はわたしに親が回ることなく、時間切れであっけなく終了を迎えたのだった。

 

全国大会は、結局個人戦7位で終わってしまった。ただこれはペア戦で、たいてい片方が個人戦一桁順位をとっていればペアでは入賞できるくらいの位置にはいけるはずなのだけれど、わたしのペアは不運なことに『役満卓に二回同卓した』と死にそうな声で言っていて可哀そうなくらい悲惨な順位をたたき出していて、わたしの怒りや悲しみはどこかへ行ってしまった。ペアの彼はわたしよりはるかに麻雀がうまく、オカルト:デジタルが0:10くらいのストイックな打ち方をする人だったので、ほんとうに仕方なかったんだろうなと思ったし、王子にもサインをもらったし、そもそもわたしに不相応なくらいの上出来な順位だったので、彼の役満に二回も同卓したという面白おかしいエピソードを延々と聞くことができたので総じていい思い出になったのだった。

 

社会人になってからほとんど麻雀をする機会がなくなってしまったのが少し悲しい。麻雀はいつでもわたしの味方でいてくれるような気がする。麻雀は少し悪いことを教えてくれる悪友のような夜の住人だ。たまに心が不安定な夜はわたしを手招きして呼んでいる。