名づけるという、愛。
『いいこと教えてあげるね。名前って親が子供にくれる最初の愛情なんだよ。
私はそれに気づいたんだよ。素敵だね。名前があるだけで愛されていない子はいないんだ。』
あなたは自分の名前が好きですか。
私は自分の名前が好きですし、人の名前を見るのも好きです。しかし、あるいは、自分の名前が大嫌いな人もいるかもしれませんね。ちょっと名前いいよね的なお話なので、どうしても自分の名前が好かない方は、読まれないほうがいいかもしれません・・・
日本人の名前というのは同じ響きでも違う漢字が充てられていたり、ひらがなだったり、あるいはカタカナだったりします。漢字とひらがなとカタカナを使い分けるという、日本独特の文化ですよね。
それぞれの名前にはそれぞれの形で親(または親ではない大切な誰かかもしれませんね)からの愛情が込められています。それはお母さんが中学生の頃から温めていた名前かもしれませんし、両親が好きなバンドのボーカルの名前かもしれませんし、お父さんが好きだったマンガの主人公の名前かもしれません。はたまた、お寺にお願いしてつけてもらった名前かもしれないし、画数鑑定に出して判断した名前かもしれません。お父さんがナイター中継をみていたらふとひらめいて一瞬で決まった名前かもしれませんし、何日も親戚一同が集まり家族会議が開かれて話し合いの末決まった名前かもしれません。
もう、たった数文字の事を決めるだけのことなのに、あれがいいこれがいいと頭を悩ませます。たくさんの人が、たったひとりのために。あるいは、たったひとりが、唯一無二のひとりのために。一生の贈り物を考えるのです。
時間をかけることが、必ずしも愛情の大きさを表すわけではありません。例えば福沢諭吉は、自分の息子に『一太郎』『捨次郎』『三八』などと名づけたそうです。最初、次、三番目、といういたって単純な名前の付け方。彼らは、『男の個性は生き方で表すものだ、名前はただの符丁で良い。』という諭吉の考え方により名付けられたようです。これもまた、ひとつの愛情表現ですよね。
名簿などで他人の名前をみていると、どういう経緯でこの名前が付けられたのかとても気になったりします。その名前の裏側にある、その家族しか知らない人間ドラマが隠されているようで。
兄弟で名前を並べてみると、なんとなく似た系統が並んでいたりしますよね。漢字一文字兄弟、海に関係する名前兄弟、つなげるとしりとりになっている兄弟。
なんだか不思議だし、とっても愛おしい名前。
最近だと、『キラキラネーム』といわれる名前が流行っているのですよね。どこからどこまでがキラキラネームといわれるのかは分かりませんが、あまりいい評判ではないようですね。まあ、けれど、この文章の流れでいくと、『どの名前にも思いが込められているのでいいと思いますけどね』。いや、ホントに。
ただ読んでもらいにくい名前は、生きていくうえで少々苦労しそうですね。結構日常生活でフラストレーションを感じそうです。
私が年寄りの考えなのかもしれませんが、いわゆるキラキラネームは『硬い』イメージがあります。
どういう事かといいますと、例えば『えりか』という名前の子がいるとします。えりかちゃんは、NOTキラキラネーム代表で書かせて頂きます。えりかちゃんは、『えりかちゃん本体』が大きくなるにつれて、あれが得意これが苦手と個性がでてきて、それに合わせて名前がなじんでゆく、というイメージ。えりかちゃん本体に合った『えりか』が作られていくというか育てられるというか、名前が本体色に染まっていくというか。なので、『えりかちゃん』は『あー、えりかって名前っぽい!』と思うみたいな感じです。なので私のイメージでは『柔軟性を持った名前』です。
キラキラネームはというと、まあ、Googleで最初に出てきた名前を拝借させてもらって『嘉緒翠(カオス)』という名前を代表にしましょう。『振門体(フルモンティ)』でもいいのですが。これらの名前は、なんというか、ホント、硬くて、なじんでこないイメージがあるんですよね、カオスくん(あるいはフルモンティくん)本体と。名前の主張が強すぎるのでしょうか。彼らが大きくなって、『あー、フルモンティて感じするわー!』ってならなさそう。(いや、なるのか・・?)
ま、こんなのもおばさん思考なのかもしれませんね。どんな名前も、いろんな想いがつまってて素敵です。名前が好きなので、TPOがあまりにふさわしくない場合を除いて、なるべく人のことは苗字ではなく名前で呼ぶようにしています。なんとなく、距離を近づけられるような気もします。初対面だと気持ちわるってなるから注意が必要なのですけれどもね。いや、ホントに。