世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

選んで、選んで、落とし穴に落ちる。

(少し、暗く、残酷なお話になってしまいました。動物愛護の考えをお持ちの方は、心を痛めてしまうかもしれないお話です。)

 

大学生の頃、とある先生からネズミをもらった。

そのネズミは白くて尻尾の長い、いわゆる実験動物として使用されるはずのネズミだった。殺処分されるはずだったものを貰う形になった。先生は『一番かわいいものを選んできたよ。』と言って私に1匹のネズミをくれたのだが、後からよく考えてみれば、結構、残酷な話である。可愛いから命拾いした、1匹のネズミ。私は名前をつけて可愛がった。

その他の処分されたネズミのことを考えると相当恨まれていそうなのだが、本当にその罰が当たったのか、私はこの後裁きを受けることになった。何も考えずにネズミを飼い始めたのだが、飼い始めて半年後、薬理学の実習でネズミを使った動物実験をすることになったのだ。そのネズミはもちろん動物実験で使う用のネズミであり、それはまさしく、私が飼っているネズミと、同じ色形、顔をした白いネズミだった。

机に上には、自分の飼っているものと区別がつかない顔のネズミたちが、磔にされてずらっと眠らされていた。私達はそれらにあらゆる薬を注射して、その心拍数の変化を記録したり、行動の変化を記録したりした。あるネズミはレセルピンを投与されて微動だにしなかったし、あるネズミはアンフェタミンを投与されて辺りを猛スピードで走りまわっていた。

はじめは何とか実験に参加して、注射したり記録をつけたりしていた。でも正直、こんなやり方でなくとも薬理作用を学ぶ方法はあるのではないか、と思っていた。けれど私は自分の意思でこの道を選び、ここにいるわけなので、先生の言う事には従わなければならなかった。さもなければ、勝手に辞めてもいいのだと、『自由』が真っ黒な手を広げて私を待っていた。

注射をされすぎたネズミの中には、途中で目を醒ましてしまうものもいた。その眼は文字通り血走っていた。投与量オーバーで動かなくなってしまったネズミは、先生が代わりのネズミを持ってきてくれた。私はついに限界がきて、それ以上手が動かなくなってしまった。そして結局、その日の実習を私は最後までやりきることが出来なかった。

 

私は『ふるい』にかけられていることを理解した。

ふるいにかけられていて、私は、脱落していく人間なのかなとぼんやり思った。

世間は時に気まぐれに、人を試す。優しさにまぎれてひっそりと生きている弱い人間を、白日の下に晒す。弱い人間はいつでも、望むような救いの手を差し伸べてもらえるとは限らない。

私はその時、高層ビルの窓枠をつかんでいて下に落ちそうな状態で、できるのなら手をつかんで上に引き上げてほしかったのだけれど、下にクッションを敷いてあるから安心して落ちておいで、と言われているようだった。

世間はそんなに甘くなく、その高さにとどまりたいのなら自力で窓から這い上りなさい、という事だった。私は自分の身体と精神と時間を犠牲にして、ふるいに振り落とされないようにしがみついた。もしパラレルワールドがあるとしたら、ふるいに落された私は、今どこで何をしているのだろう。

 

ネズミを飼ったことも、無理してその場にしがみついたことも、すべて自分の選んだ選択なのだから、何かや誰かにその責任を求めるつもりはない。いつだって、私たちは何かを選択して、何かを選ばずに、生きている。願わくば、その選んだ選択肢が『正解』でありますように、と。ゲームのように、『右の道へ行く』を選んだら落とし穴があって落ちた、なんていう理不尽な選択肢はあって欲しくない。けれども大人になって少しは頭を使うようになって、先のことを予測して選択肢を選ぶのだけれど、時として回避しようのない落とし穴にはまることがある。どんなに大人になっても。

落とし穴の中でしりもちをつきながら、空を見上げて、『空を見上げるためにわざと落とし穴にはまってやったんだ。』と誰に届くでもない言い訳をつぶやきながら、『ああ。今日も月が綺麗だなあ。』と何度目かわからない負け惜しみを言うのだった。

 

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