世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

きまぐれ☆ホットペッパー少女

大学時代の友人”あっちゃん”にいわれたセリフを今でもよく覚えている。

『あかめはさぁ、オチのつく話題を選んでしゃべってるよね。それって疲れちゃわない?無理して話題、選ばなくていいんだよ。風が涼しいね、とか、このごはんおいしいね、とかそういう他愛ない話、もっとしていいんだよ』

 

会話って疲れるなあと感じていた、その原因のひとつを解明できたシュンカン。

気づかないうちに、面白いって思ってもらえるような話題を、選んでいたんだな。だから疲れるし、会話って難しいと感じてしまっていたし、話題に困って沈黙に窮屈な思いをすることが多かったんだな。”あっちゃん”は、いつもわたしの心を的確についてくる。

でも、それに感動して”あっちゃん”に『このアジサイきれいだね!』って言ったら『で?オチは?』と言われるという一連の流れ。というオチ。

 

★★

ブログを書くときに似ていると思った。

オチだとか、勉強になることとか、そういうの選んで書き続けると、会話が疲れてくるように、きっと書くことに疲れてくるんだと思う。大阪人なんかは『オチのない話はするな』って言われて育つと聞いた。スパルタ教育や。スパルタ教育受けてないパンピーのわたしは『で、その話のオチは?』と言われると、オチのない話はしちゃいけないのかな、と無意識的に話題を選ぶようになってしまっていたんだろうな。

会話がそうであるように、ブログも、オチがなくても勉強にならなくても、ただただつらつらと読んでいたい、そんな気分のときも多いんだ。ふんふんとどうでもいい話を、秋の涼しい風に当たりながら聞くのが気持ちいいように、ホットコーヒーを片手に、ただ呼吸をしているような、ふうっと息を吐き出すように書かれたどうでもいいはなしを、眺めるのがすきなんだ。

 

★★

スターとか、ブクマとか、はずしちゃってもいいかなとも思うけど、最初からなければいらないけど、あるものを外すのもなんか違う、なんとなくそれは寂しい感じもするので、街角にあるホットペッパーみたいに、好きな時に読んでください、必要なければわざわざとらなくて結構ですよ、という感じでいたい。ホットペッパー少女でいたいんや。もう少女じゃないけどそういうこと言いたい気分。

なので小学校のときの読書カードみたいに読んだという形だけのハンコ、そんなのだいじょうぶ、わたしズボラだから誰がスターくれたとかみてないです。みてないわけじゃないけど、チェックしてないというか、どうぞなんでもどうぞという感じです。ブクマ書いてくれたらそれはみてます。わたしも毎日目を通すことができないので、そんな感じでつけてる、そんな感じのきまぐれスターでご勘弁を、と思う。