世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

かわぞいさんに会った

先週の土曜日にかわぞいさん(id:kkzy9)にお会いしました。詳しいことはかわぞいさんが記事にしてくれています。ちなみにお会いしたのは土曜日の夜で、金曜日の夜から京都入りしており、その夜は友人(39)と京都のレズバーに行っていた。かわぞいさんに言わせるとこういう行動は『わけがわからない』ようだ。

lfk.hatenablog.com

記事にも書いてあるように、以前からお互いのブログの存在は知っていて、かわぞいさんはよくわたしのブログにかなり鋭く的確な突っ込みをしてくれており、またその多くはわたしの拙い、あるいは意図的に文章の流れにある穴、そんなものを埋めるような質問をされたりしていて、なんて分析力の高い方のだろうと思っていた。そしてこんなにも丁寧にわたしのブログを読んでくださっていることが素直に嬉しかった。

かわぞいさんのブログ更新頻度はかなり高く、海外情勢のお話や読まれた本の感想、ワーキングホリデイや海外放浪の旅のこと、大概はわたしの狭い世界では遭遇しないような話ばかりで、かなり興味を持って眺めていた。

 

会うまではとっても緊張してました

実際にお会いすることになることが決まった時、わたしは正直なところ幻滅されるのではないかと恐れていた。かわぞいさんは上記の記事にあるような印象を、わたしのブログから受けておられたとのことであった。

人物の印象としては、多分善人なんだろうなとか、頭がクリアな人なんだろうなとか、物事を公平に見て人の気持ちを尊重しつつ、他人の気持ちは理解できないという前提も忘れない明晰な人なんだろうと感じていた。医者だし頭いいし、それでいて他人に対してフェアで人の気持ちを尊重する人格者、わりとスーパーマンなイメージだった。 

 お会いする前に何度か『話すのが極度に苦手です』ということはお伝えしていた。実際の会話となると、うまく自分の言いたいことが伝わらないのだ。あれから少し考えてみたのだけれど、どうもおそらくわたしの感情というものはかなり遅れてやってくるようだ。悲しみも、喜びでさえも、自分の感情というものを理解するのにかなりの時間を必要とするのだ。文章にしていると自分の中で徐々に感情や思考が整理されてきて、わたしはこう思っていたのだということが分かって、逆にそれはそういう過程を経ないとなかなか自分のことであるのに、自分の感情が理解できない。

 まあ、そしてもちろんのことであるがわたしは全くスーパーマンではない。ただ物事をフェアにみるだとか、自分というものを他人に全くすっきり理解してもらうなんていうことは幻想で、けれど少しでもそこに近づけるように相手の気持ちを慮って接するだとか、結果に対して常に原因を求める思考回路だとか、そういうものは確かに持ち合わせて(いようと努力して)いるつもりだ。そういう部分はブログにするとまずまず伝わっているのだと嬉しかった半面、やはり直接お会いした時にそれが果たして初対面のかわぞいさんにうまく伝わるのだろうかということは最大の懸念材料だった。

 

わたしと『鈴木あかめ』とのギャップ

文章と人物の印象がここまで違うものかと思った。会ってさらっと話してみただけだと、ブログとイメージが一致しません。同一人物だとわからないと思う。

僕がいつも通りすごくいろいろ質問をして相手の目を見ていたから、目が印象的だった。お疲れなのか、でかい目が血走っていた。もしかしてアカメって名前そこからとったのか?お母さんが美人だという話をブログに書かれていたから、多分この目はお母さん譲りなんだろう、まつげもすごかった。ほうきみたいだった。

 かわぞいさんは実際にわたしの顔面をみられた訳なのでよくお分かりだと思うけれど、やっぱりそうかと予想はしていたれど、実際のわたしという人物と、ブログ上の鈴木あかめにはかなりの乖離が存在することがこれではっきりとした。

自分の顔は鏡でしかみられないけれど、毎朝鏡を見るたびに『これが本当にわたしなのか』と思う。そして内面の自分と外見の自分に大きなギャップ、違和感を感じている。これが白髪交じりの神経質そうなおっさんが鏡の中にいたら、何となく納得できる。たまに、本当はわたしは白髪交じりの神経質そうなおっさんで、何かの拍子にこの体に入り込んでしまったのではないかとすら思う。世界のどこかで28歳の女の子がわたしの代わりに白髪交じりのおっさんになっていて毎日嘆いている姿を想像すると胸が痛む。見た目は28歳の女の子なのでそのようなメイクやファッションをしているけれど、内面はどう考えても28歳の女の子ではないような気がしている。これは自分の中でかなり大きな問題で、端的に言うとわたしはわたしの外見があまり好きではない。あまり好きではないどころか、大きなコンプレックスだ。このブログに書いているようなことを自らの口から発するところを想像すると、無性に違和感を感じ、おそらくうまく伝わらないだろう、もしくは何言ってんだこいつくらいにあしらわれそうで、結局黙ってしまう。実際そういう経験を何度もしてきて、もう自分の意見をうまく言えない人間になってしまった。例えるなら、ローラのような風貌の喋り方を持つ人が、池上彰風に世界情勢について論じている感じだと思う。たぶん視聴者は『ローラ頑張ってるな』とか『台本見てやっているのかな』と思うだろう。それはローラの見た目に惑わされている、雰囲気にのまれて第一印象で中身を連想しているせいなのだ。人は見た目が9割とか10割とか言われているけれど、確かに人は、ましてや初対面であれば、ある程度その人の容姿からその人の持つ思考回路や知識量、経験値や無意識下であれ自分との上下関係のような立場でさえ、決めてしまっているように思う。

雰囲気が本人の中身と不釣り合いなのだ。それが良いとか悪いとかそういう話ではない。ただその雰囲気に惑わされて、超理性的な中身にまで到達しなかった人は、この人のことを誤解するだろうなと思った。

(中略)

あかめさんの感情表現は、ブログ上の文章においていかんなく発揮されている。だから、ブログ上のあかめさんと眼の前にいる人物を重ねて、その言葉から感情を補完してみようとするが、うまくいかない。むしろ、文章における感情のほうが擬態でないかとさえ思えてきた。

 かわぞいさんはこのように表現してくださっている。けれど自分が超理性的という評価を与えられるべき人間である自信は一貫して無い。

会話中、ところどころ相手のペースについていけなかった。相手の中では首尾一貫している話が、こちらからは飛んでいるように聞こえる。そして最後に話がつながると「あ、今の話全て繋がっていたんだ」ということになって驚く。

 話がとぶということについては、たまに指摘を受けることがある。書かれているように自分の中ではいくらかの過程を経て出た言葉であっても、どうやら相手には唐突に発せられたずれた言葉に聞こえるらしい。流れるような会話の中でよくその流れを止めてしまうことがあるので、大勢の人と喋るのは苦手だ。黙ってみんなが笑っているところでワンテンポ遅れて笑っているのがわたしです。一対一ならそれなりに喋ることはできると思う。ただそれでも喋るとあほっぽいと言われるし、もう色々諦めている。わたしの周りの友達の多くは、あほっぽいけど意外と喋ってみると普通とか、あんまり何考えているか分からないけれど行動だけ見るとぶっ飛んでるやつ、なのになぜかちょっと病んでいて結局よくわかんないやつ、とかそんな印象を持っているのだと感じる。もう、色々と諦めている。

 

文章ほど洗練されていてクリアな人ではない!!

一つわかったのは、本人は文章ほど洗練されていてクリアな人ではなかった。その粗が魅力的でおもしろかった。でもそういう部分まで表に出してしまうのは、おそらく生き方として向いていないと思うから、そのあたりは慎重なままでいいと思います。

 かわぞいさんが最終的にこのような評価をしてくれたことは素直に嬉しく思った。文章がそれほど洗練されている自信はないし、わたしは極度に自己評価の低い人間なのだ。

話している間はほぼ終始かわぞいさんから受ける質問についてわたしが答えるという形式だったので、それなりに喋ることができた。というか、携帯のメモにずらーっと質問が並んでいて驚いた。未だにわたしの何がかわぞいさんにそれほどの興味を持たせているのかどうか不思議で仕方がない。質問はこれまでしてきた経験や周囲の人、好きなことや嫌いなこと、医者としての患者への接し方、質問を聞く感じだと、『超理性的』なわたしが患者さんを助けたいと特に報酬なく奉仕しているということにかなり疑問を持たれているようだった。あるいはわたしの『感情の振れ幅』つまり理性的でないことについては深く突っ込まれた。かわぞいさんのブログの印象から、わたしはクールな口数が少ない方という印象を持っていたので、まくしたてるように喋る姿は少し意外だった。(それはこの会話が面白すぎたからとのことではあったようだ、普段はやはりそれほど喋る方ではないらしい。)わたしの方はわたしの方で、1か月分くらいは喋ったのではないかと思う。

お話した内容や、それに付随することなど、何となく書きたいことはまだあるけれど、おいおい時間をかけてまた記事に出来たらいいなと思う。このようにブログを通じて知り合った人と直接お会いして喋るという機会は初めてだったけれど、とてもいい経験になった。楽しかったです。またこんな機会があればいいと思う。そういえば途中でお気に入りのネックレスが切れてしまうというハプニングが起きたのだけれど、かわぞいさんはそれを直してくれるお店があるということまで教えてくれてとても親切だった。本当にありがとうございました。