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世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

I’m

朝布団から出るのが心苦しいくらいになった寒さのなか、起床時間がいつもより遅くなりつつあるところに冬の気配を感じている。ただ今日はまだ風が強くないせいもあってか暖かく、心も軽くほんのちょっぴりだけれど優しい気持ちになる。

土日の名古屋駅はいつ行っても旅行者で賑わっている。大きなボストンバッグをひきずりながらカップルだったり、女の子3人組だったり、家族だったり、出張中のスーツを着たサラリーマンの軍団だったりが足早に歩いていてぶつかりそうになる。ここは彼らにとっての通過点なのだと感じる。どこへゆくのだろう。何を考えているのだろう。汚れて細かい傷のついた遠目には可愛らしいボストンバッグをひいているスナイデルとかロイヤルパーティーとかそういったブランドらしいピンクフリルのコートを羽織った巻き髪の、口には少し前から流行っているらしい赤の強いグロスをひいた女の子がいる。そういった子を実際にわたしが見たのかどうかは分からないのだけれど、そういった子ばかりがいるように思う、けれどそれはわたしが勝手に想像しているだけで実際にはいないのかもしれないけれど、そういった子ばかりがいるように思う。寒くなってきたのだし本当はもっと暗い色のコートを羽織ってでも足は素足で短いフリフリのスカートを履いてゴスロリを薄くしたようなファッションのまだあまりあか抜けていない印象の成長途中の女の子の方が多いのかもしれない。いずれにしてもここは通過点なのだと感じる。

わたしはいつものようにイヤホンで耳を塞ぎスタバでパソコンに向かっている。今日はこの後髪の毛を切りに行こうと思っている。1年位前のわたしは髪の毛を伸ばしていて、それを切れないでいた。何かを隠すように、そして何かを守るように。いまはその隠していたものは概ね明らかになり世界へ解放されたし、守るものもわたしひとりで守るものではなくなりつつあった。世界という大海へ解放された凝縮された淀みは、息苦しさから逃れて大きく息を吸い始め、確かな鼓動を刻みだし、彼らなりの成長をし始めた。彼らはわたしの所有物なので完全に離れていったりはしないのだけれど、放し飼いの猫のようにじゆうきままに動いているようなのがわたしとしては楽だ。支配というのはぎゅうぎゅうに囲い込むことではなく、必ず帰って来るという確信のもと放し飼いにすることなのかもしれないとぼんやり考える。その方が支配する側も支配される側も楽にやってゆける。

髪の毛は一度、脳外科をやめて神経内科へ転科するのを決めた時くらいに切った。やっぱり、というか、思っていた通り、ショートヘアの方がわたしらしかった。自分から何にかを切り離すときにそれに心を傷めないような血も涙もない人間ではない。でも必要でないのにそれに執着することか、すっぱり切り離してしまいずっとその傷を抱えてゆくことを比べたとき、わたしは後者を選ぶ人間なのだ。傷は目に見えるものであっても、目に見えないものであっても、それを恥じる必要はないし、けれどそれに支配されてもいけないし執着してもいけないと思う。傷はわたし自身なのでもちろん生きていて、勝手に大きくなったり、治ったとおもったら再発することもあるやっかいなものだ。けれどすっぱり切り離した『必要ないもの』は文字通り必要ないものなのであって、わたし自身ではないのであるし、そう考えるとわたしはやはり傷を選ぶのだった。

体重の増減が激しくて、この1年間でも5㎏くらいの振れ幅はあったと思う。激しいダイエットとかはしていないし、したとしても痩せようと思った時には痩せない。特に痩せようと思っていなくても自然に体重が落ちるときがきて、その時にはたいてい食事をあまり摂らなくても平気なのだけれど、だいたい自分で把握していないストレスが裏に隠れていて、ご飯がいらないというのは脳から発せられているアラートで、でもそれが分かっていても、食欲がないのだから仕方ない。もともとジーンズが好きなのだけど、あまりにサイズが変わりすぎるから買うのが躊躇われる。今シーズンも夏にはMサイズだったのが、いまはXSになってしまって困った。あと個人的にジーンズがあまり似合わない顔立ちなのでそのあたりはギャップがあってそれも困る。

 気分が乗った時には、本を読んだり映画をみるのが好きだ。本はブログにもたまに書くように村上春樹は好き(といっても読み始めたのはここ1年くらいのできごとだ)、でも村上春樹は読もうという気持ちが湧くときと湧かない時があって、いつでも読みたいというわけではない。江國香織も好き。でもこれもいつも読みたいという訳ではない。一番好きな作家さんは梨木果歩で、実際にありそうでない世界、みたいな、そういうところにトリップできるような本が好きだ。そのトリップはいつでもできる訳ではなく、こちらの体調や心情や天気とかそういったものがうまく合わされないと上手くトリップ出来ない。現実社会はあまりに現実的過ぎて、ずっといると疲れてしまう。なぜこんなにも現実的なのだろう。何もかもが理屈で説明できる世界、わたしはそれを解明しようと翻弄する、頭が計算を始める、パンドラの箱を開けろと隠れているものはすべて暴けという声が聞こえる。『知らない方が幸せなのだよ』という声はあまり当てにならない。パンドラの箱には希望が入っているのだから、と、あれは神話であってそんな確証などどこにもないのに。あまり深入りしてもいいことはない、他人にも、他人にとってのわたしにも。でもそれは寂しいとも思う。現実的過ぎるものはどこか寂しい。

食べ物にはあまりこだわりがなくって、高い料理を食べるときには絶対にひとりでは食べない。誰かとご飯に行くときはせっかくだから話題のお店とか、誰かがおいしいといっていたお店とかに行ってみたりもするけど、それはあくまで誰かがいるからだ。こだわりがないからコンビニご飯が好きかというと別にそういう訳ではなくって、コンビニご飯はちょっと高めだからおいしいとは思うけれどあまり好んで買ったりはしない。特に予定のない日はちょっとした野菜とお肉とか豆腐とか買って、1品2品作って食べている。食べない時もある。アイスで済ますときもある。でもあまりに食べないと夜お腹がすいて眠れなくなる時があるから、クッキーとかチョコレートとか睡眠薬替わりにストックしている。

 

そろそろ予約の時間になったから髪の毛を切りに行こうと思う。最近のスタバラテはクリームの量が多くなったのか、前よりもおいしく感じる。

 

後輩は可愛いものだと思う

仕事関係のこと

わたしが今働いている病院は200床ないくらいの中規模病院であり、毎年受け入れている初期研修医は5人と決まっている。病床数からいくと研修医の人数は少し多いかなというくらいの人数だ。わたしがこの病院に赴任してから2クールの研修医(つまり現2年目と、現1年目)をみてきたことになる。10人も研修医がいるのに女子はたったひとりで、今の学年の医学部の男女比から考えると圧倒的に女子が少ない。そしてただでさえ数の多い男子が、さらにその中の3人くらいは1人あたりの物理的なボリュームが2人くらいあるので実質男子12人に女子1人という感じで、朝のカンファルームが一気に狭くなった。そして部屋の中が寒くなってきた今の時期でも暖かいどころか少し暑いため、わたしはさりげなくドア近くの風通しのいい場所をポジショニングするようにしている。彼らも暑そうにしていて長袖の白衣を上げられるところまでめくりあげているが、ひじの下あたりで止まっている。

CPA(心肺停止)の患者が運ばれてきたときにはさながらライザップのようであり、滝のような汗を流しながら心臓マッサージをしている。心臓マッサージは主に1年生の仕事なので彼らは積極的に動いてくれるが、一向に痩せる気配がないのが不思議で仕方がない。

ただそうはいってもやはり後輩というだけで可愛いものだ。当直のときには夕食に上級医が出前を頼むのがこの病院の慣習になっているのだけれど、彼らは満面の笑みで『俺丼のスタミナ丼メガ盛りで!』というから痩せない理由が分かった。でもわたしがぐったりしているときでもガツガツと俺丼をかき込んでいる姿をみるとなんだか癒されるのでやはり後輩は可愛いものだと思う。

明日は暇な後輩を誘って映画に行こうと思っている。『インフェルノ』がみたくて、今日仕事終わりにその物理的ボリューム2人分くんのひとりに院内PHSで明日映画に行かないかどうか誘ってみたら、安田大サーカスのクロちゃんのような声で『はいよろこんで~‼』と寿司屋の大将さながらの返事が返ってきた。もしかしてきみ土日は寿司屋のバイトでもしているのかな?まあそれでも間髪入れず『はいよろこんで』が返ってきたので後輩としては花丸だし寿司屋の大将としても上出来だろう。というか、はいよろこんでなんていう返事はじめてきいたぞ。これは尊敬語なのかな?でもやはりよくわからない敬語を使うあたりが後輩というものは可愛いものだと思う。

かわぞいさんに会った

他愛もないこと

先週の土曜日にかわぞいさん(id:kkzy9)にお会いしました。詳しいことはかわぞいさんが記事にしてくれています。ちなみにお会いしたのは土曜日の夜で、金曜日の夜から京都入りしており、その夜は友人(39)と京都のレズバーに行っていた。かわぞいさんに言わせるとこういう行動は『わけがわからない』ようだ。

lfk.hatenablog.com

記事にも書いてあるように、以前からお互いのブログの存在は知っていて、かわぞいさんはよくわたしのブログにかなり鋭く的確な突っ込みをしてくれており、またその多くはわたしの拙い、あるいは意図的に文章の流れにある穴、そんなものを埋めるような質問をされたりしていて、なんて分析力の高い方のだろうと思っていた。そしてこんなにも丁寧にわたしのブログを読んでくださっていることが素直に嬉しかった。

かわぞいさんのブログ更新頻度はかなり高く、海外情勢のお話や読まれた本の感想、ワーキングホリデイや海外放浪の旅のこと、大概はわたしの狭い世界では遭遇しないような話ばかりで、かなり興味を持って眺めていた。

 

会うまではとっても緊張してました

実際にお会いすることになることが決まった時、わたしは正直なところ幻滅されるのではないかと恐れていた。かわぞいさんは上記の記事にあるような印象を、わたしのブログから受けておられたとのことであった。

人物の印象としては、多分善人なんだろうなとか、頭がクリアな人なんだろうなとか、物事を公平に見て人の気持ちを尊重しつつ、他人の気持ちは理解できないという前提も忘れない明晰な人なんだろうと感じていた。医者だし頭いいし、それでいて他人に対してフェアで人の気持ちを尊重する人格者、わりとスーパーマンなイメージだった。 

 お会いする前に何度か『話すのが極度に苦手です』ということはお伝えしていた。実際の会話となると、うまく自分の言いたいことが伝わらないのだ。あれから少し考えてみたのだけれど、どうもおそらくわたしの感情というものはかなり遅れてやってくるようだ。悲しみも、喜びでさえも、自分の感情というものを理解するのにかなりの時間を必要とするのだ。文章にしていると自分の中で徐々に感情や思考が整理されてきて、わたしはこう思っていたのだということが分かって、逆にそれはそういう過程を経ないとなかなか自分のことであるのに、自分の感情が理解できない。

 まあ、そしてもちろんのことであるがわたしは全くスーパーマンではない。ただ物事をフェアにみるだとか、自分というものを他人に全くすっきり理解してもらうなんていうことは幻想で、けれど少しでもそこに近づけるように相手の気持ちを慮って接するだとか、結果に対して常に原因を求める思考回路だとか、そういうものは確かに持ち合わせて(いようと努力して)いるつもりだ。そういう部分はブログにするとまずまず伝わっているのだと嬉しかった半面、やはり直接お会いした時にそれが果たして初対面のかわぞいさんにうまく伝わるのだろうかということは最大の懸念材料だった。

 

わたしと『鈴木あかめ』とのギャップ

文章と人物の印象がここまで違うものかと思った。会ってさらっと話してみただけだと、ブログとイメージが一致しません。同一人物だとわからないと思う。

僕がいつも通りすごくいろいろ質問をして相手の目を見ていたから、目が印象的だった。お疲れなのか、でかい目が血走っていた。もしかしてアカメって名前そこからとったのか?お母さんが美人だという話をブログに書かれていたから、多分この目はお母さん譲りなんだろう、まつげもすごかった。ほうきみたいだった。

 かわぞいさんは実際にわたしの顔面をみられた訳なのでよくお分かりだと思うけれど、やっぱりそうかと予想はしていたれど、実際のわたしという人物と、ブログ上の鈴木あかめにはかなりの乖離が存在することがこれではっきりとした。

自分の顔は鏡でしかみられないけれど、毎朝鏡を見るたびに『これが本当にわたしなのか』と思う。そして内面の自分と外見の自分に大きなギャップ、違和感を感じている。これが白髪交じりの神経質そうなおっさんが鏡の中にいたら、何となく納得できる。たまに、本当はわたしは白髪交じりの神経質そうなおっさんで、何かの拍子にこの体に入り込んでしまったのではないかとすら思う。世界のどこかで28歳の女の子がわたしの代わりに白髪交じりのおっさんになっていて毎日嘆いている姿を想像すると胸が痛む。見た目は28歳の女の子なのでそのようなメイクやファッションをしているけれど、内面はどう考えても28歳の女の子ではないような気がしている。これは自分の中でかなり大きな問題で、端的に言うとわたしはわたしの外見があまり好きではない。あまり好きではないどころか、大きなコンプレックスだ。このブログに書いているようなことを自らの口から発するところを想像すると、無性に違和感を感じ、おそらくうまく伝わらないだろう、もしくは何言ってんだこいつくらいにあしらわれそうで、結局黙ってしまう。実際そういう経験を何度もしてきて、もう自分の意見をうまく言えない人間になってしまった。例えるなら、ローラのような風貌の喋り方を持つ人が、池上彰風に世界情勢について論じている感じだと思う。たぶん視聴者は『ローラ頑張ってるな』とか『台本見てやっているのかな』と思うだろう。それはローラの見た目に惑わされている、雰囲気にのまれて第一印象で中身を連想しているせいなのだ。人は見た目が9割とか10割とか言われているけれど、確かに人は、ましてや初対面であれば、ある程度その人の容姿からその人の持つ思考回路や知識量、経験値や無意識下であれ自分との上下関係のような立場でさえ、決めてしまっているように思う。

雰囲気が本人の中身と不釣り合いなのだ。それが良いとか悪いとかそういう話ではない。ただその雰囲気に惑わされて、超理性的な中身にまで到達しなかった人は、この人のことを誤解するだろうなと思った。

(中略)

あかめさんの感情表現は、ブログ上の文章においていかんなく発揮されている。だから、ブログ上のあかめさんと眼の前にいる人物を重ねて、その言葉から感情を補完してみようとするが、うまくいかない。むしろ、文章における感情のほうが擬態でないかとさえ思えてきた。

 かわぞいさんはこのように表現してくださっている。けれど自分が超理性的という評価を与えられるべき人間である自信は一貫して無い。

会話中、ところどころ相手のペースについていけなかった。相手の中では首尾一貫している話が、こちらからは飛んでいるように聞こえる。そして最後に話がつながると「あ、今の話全て繋がっていたんだ」ということになって驚く。

 話がとぶということについては、たまに指摘を受けることがある。書かれているように自分の中ではいくらかの過程を経て出た言葉であっても、どうやら相手には唐突に発せられたずれた言葉に聞こえるらしい。流れるような会話の中でよくその流れを止めてしまうことがあるので、大勢の人と喋るのは苦手だ。黙ってみんなが笑っているところでワンテンポ遅れて笑っているのがわたしです。一対一ならそれなりに喋ることはできると思う。ただそれでも喋るとあほっぽいと言われるし、もう色々諦めている。わたしの周りの友達の多くは、あほっぽいけど意外と喋ってみると普通とか、あんまり何考えているか分からないけれど行動だけ見るとぶっ飛んでるやつ、なのになぜかちょっと病んでいて結局よくわかんないやつ、とかそんな印象を持っているのだと感じる。もう、色々と諦めている。

 

文章ほど洗練されていてクリアな人ではない!!

一つわかったのは、本人は文章ほど洗練されていてクリアな人ではなかった。その粗が魅力的でおもしろかった。でもそういう部分まで表に出してしまうのは、おそらく生き方として向いていないと思うから、そのあたりは慎重なままでいいと思います。

 かわぞいさんが最終的にこのような評価をしてくれたことは素直に嬉しく思った。文章がそれほど洗練されている自信はないし、わたしは極度に自己評価の低い人間なのだ。

話している間はほぼ終始かわぞいさんから受ける質問についてわたしが答えるという形式だったので、それなりに喋ることができた。というか、携帯のメモにずらーっと質問が並んでいて驚いた。未だにわたしの何がかわぞいさんにそれほどの興味を持たせているのかどうか不思議で仕方がない。質問はこれまでしてきた経験や周囲の人、好きなことや嫌いなこと、医者としての患者への接し方、質問を聞く感じだと、『超理性的』なわたしが患者さんを助けたいと特に報酬なく奉仕しているということにかなり疑問を持たれているようだった。あるいはわたしの『感情の振れ幅』つまり理性的でないことについては深く突っ込まれた。かわぞいさんのブログの印象から、わたしはクールな口数が少ない方という印象を持っていたので、まくしたてるように喋る姿は少し意外だった。(それはこの会話が面白すぎたからとのことではあったようだ、普段はやはりそれほど喋る方ではないらしい。)わたしの方はわたしの方で、1か月分くらいは喋ったのではないかと思う。

お話した内容や、それに付随することなど、何となく書きたいことはまだあるけれど、おいおい時間をかけてまた記事に出来たらいいなと思う。このようにブログを通じて知り合った人と直接お会いして喋るという機会は初めてだったけれど、とてもいい経験になった。楽しかったです。またこんな機会があればいいと思う。そういえば途中でお気に入りのネックレスが切れてしまうというハプニングが起きたのだけれど、かわぞいさんはそれを直してくれるお店があるということまで教えてくれてとても親切だった。本当にありがとうございました。

麻雀の思い出

他愛もないこと

はじめて麻雀を覚えたのは中学生の頃のことだった。といっても家にあったパソコンにたまたま父親がいれていた麻雀ゲームをやってみたくらい、それがわたしと麻雀との初めての出会いだった。でも相手はパソコンのAIで、わたしがルールをあまり分かっていなくても勝手に『リーチ』ボタンが点灯したり、『鳴く』ボタンが点灯してそれを押してみたりしたらあがろうと思っても役がなくてあがれなくなり何であがれないのか分からないとか、そんな感じで決して麻雀が上手くなることはなく、そして麻雀の楽しさを知ることもなく、その頃ほんのたまに暇つぶし程度にしたくらいで、大学生になる頃には麻雀のことは忘れてしまっていた。

 

大学生になると、浪人上がりや男子校出身の男の子たちが中心となって同級生が徹マンをしたりし始めて、そういえば昔ちょっとやったことがあったな、くらいのことを言ったらそのままメンツ探しのときに誘われるようになって、そうこうしているうちにルールや打ち方を覚えるようになって、麻雀が好きになっていった。

なんで麻雀を好きになったかという理由は色々あるけれど、ひとつは4人でいるけれどあまり喋らなくてもいいことだった。たいていてづみで誰かの家でやることが多かったけれど、テレビではひたすらアニマックスが流れていてドラゴンボールとかやっていて、わたしはあまりドラゴンボールとか知らなかったけれど知っているはずの男の子たちも別にそれを見る風でもなく、時折誰かが長考に入るとそれを眺めたりして、持ち寄ってきたポテチとか四角くて安いチョコレートを食べたりしながら次のテストのヤマとかをぽつぽつ話したり、誰かが早上がりした局では、他の子が跳満とかそのくらいの手のリャンシャンテンを開きながら『あ~これとこれが来ればな~』とかいって自分が引くはずだった牌を山からひとつひとつめくりながら言っていて、『こっちは役満手だったよ・・』とか思いながらわたしは流れた局で自分の手牌を晒すのが大嫌いなのでパタンと倒して『惜しかったね~』とか言ってザラザラ牌をかき混ぜたりしていた。最初の捨て牌が『北、西、北』と並んだ時その子が唐突に『ト、マ、ト』と言い始めて、ほんとうどうでもいい事なんだけれど、夜中のテンションになっていたわたしたちはなぜかそれがとてつもなくツボに入って爆笑したりして、『北、九萬、白、一索、西』の子が『コ、ロ、ン、ブ、ス』とか言ってそんなこと言い始めたら何でもありじゃんてことになってまた爆笑して、ほんとうどうでもいい事だったけれど可笑しいくらい楽しかった。

 

麻雀は運ゲーなのかそうではないのかという事に関してはわたしは個人的に100%運ゲーではないと思っている。ただ、運要素は他の将棋や囲碁などと比べると圧倒的に高い。一半荘くらいだったら、初心者が玄人に勝つことは十分ありうるだろう。けれど百半荘、千半荘とか統計をとればそれは絶対玄人の方が勝率は高くなって、それが麻雀が強い人という事になるのだと思う。モンド杯とかそういうのに出ているプロとかそれに準ずる人の強さはもはやわたしには判断ができない。麻雀の打ち方で大きく『オカルト派』と『デジタル派』に分けるとするとわたしは今風のデジタル派で、でも完全にデジタル派という訳ではなく、オカルト:デジタルが2:8くらいの打ち方をしていると思う。デジタル派というのが徹底的に牌効率をつきつめていく打ち方という認識でいいとしたらそれはコンピューターと変わらないのであって、別にそれを非難するつもりはないのだけれど、(天鳳などのネット麻雀はよく知らないけれど)実際目の前で一緒に打っている相手の癖とか弱点をついていくために、たまに牌効率を無視した打ち方をしたりはする。あと、わたしは大学生の頃に出た学生の麻雀大会でたまたまゲストで来られていたチートイ王子こと土田浩翔氏に偶然自分の局を後ろから見て頂けたことがあって、(王子は大会会場をうろうろと参加者が打っているのを見て回っていたのだった、なので本当にに偶然)今でも忘れられないのだけれど、わたしはその時トップ目で、逃げ切れればいっちゃという局で、対面の相手が早上がりの鳴きを仕掛けてきていて、わたしはベタオリすることはできた手牌だったけれど回す形で手を変え、対面から出たドラを鳴き、薄いところを捨て、その後は少々運だよりで数巡安牌を引き、最終的にもう一回対面から出たドラで上がったという結末を迎えて無事いっちゃをとれた。リスクはあったけれど、そこで対面の仕掛けに乗じて仕掛けなければいっちゃはとれていなかったと思う。その後になんと土田氏から『素晴らしい上がりでしたね』と声を掛けて頂けたのだった。わたしは舞い上がるくらい嬉しくて休憩時間に近くのコンビニで色紙を買ってきて土田氏にわたしの名前入りのサインをもらった。そこからさらに少し打ち方がオカルト寄りに染まってしまったと思う、そしてチートイも以前より積極的に狙うことが増えたような気がする。

 

その時の全国大会での局はなぜかどれも劇的で、今でも忘れられないでいる。その大会は大学対抗というスタンスで、地方大会を勝ち上がった同大学のペアが、2人合わせたスコアで競うというペア戦の大会だった。そして、その大会だけのルールというものがあって、細かいことはたくさんあったけれど、まず、戦う相手がはじめから番号で決まっていた。もちろん同じ相手とは二度は当たらないようになっている。四半荘戦で、起家が一回ずつずれていくというもので(つまり四半荘のうち一回は起家スタート、そして南家スタート、西家スタート、北家スタートということになる)ただ一半荘50分という時間制限があるので、北家スタートだと親が来ないままその半荘が強制的に終わってしまうということがあった。これはかなり恐怖で、最終戦(四半荘目)で上位の人たちは残り時間を気にするため、早く切らない相手にピリピリするということになるのだった。参加者は80人前後だったように思う。わたしは麻雀がそう強い方だとは思っていないけれど地方選を運ゲーで勝ち進むことができた。そして、全国大会でもその土田氏にみて頂いた半荘を含め順調にいっちゃを重ねてゆき、全国大会も三半荘終えた時点で暫定順位が張り出されたのだが、なんと三位だったのだった。それはつまり、最後の半荘戦でいっちゃをとれば個人入賞できる(ペア戦だけれど個人戦三位以内は表彰されるのだった)位置につけていたのだった。思ってもいないことだったけれど、ここまできたら個人入賞したいと思った。

最悪なことに最終戦(四半荘目)は北家スタートだった。何としてでも自分に親を回さないといけない。けれどこの時点でだいたいの順位は決まっているので、同卓した人たちはどうやらそれほどの順位ではなかったようで、もういいよね~疲れたね~みたいなムードになっていた。これはいけない、と思ったけれど同卓した人たちはわたしが個人入賞を狙っているということなんて分からないため、のほほんムードの中『早く切って下さい』とも言えるはずもなく、ひとり悶々としていた。と、最初の局で親が早めのリーチをかけてきた。わたしもそれなりのいい手だった。捨て牌一列目くらいのリーチだったので安牌らしき安牌もない。ただ、最初の局から大へこみする訳にもいかない。困ったときの西だ。リーチ後一発目、わたしはこんなときのためにとっておいた左端の西をためらうことなく切った。すると間髪おかず、

『あ、すいません・・それ、ロンです・・』

パタン、とリーチ者が申し訳なさそうに手牌を倒した。

えええ~~~~!!西があたるということは・・まあ、七対子だった。一発、しかも裏も乗って(チートイは必然的に裏うらになるし)わたしは愕然とした。つちだぁ~~~~!!(これはやつあたり)

『そっかぁ・・西があたっちゃうなら仕方ないですね~、はは』とか笑顔で点棒を渡したけれどわたしははらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りを抱えていた。西なんかであたるなよ!!でもそれはわたしもやることであるし、自分が相手の立場だったら絶対西で即リーだし、誰を攻めるわけにもいかない(もちろん王子を攻めるわけにもいかない)。ただ、この振り込みは大きかった。わたしはかなり焦っていた。けれど焦るほど、そして欲を出すほど麻雀の女神はこちらを振り向かなくなり、のほほんとしたムードのまままったり進んだ最終戦はわたしに親が回ることなく、時間切れであっけなく終了を迎えたのだった。

 

全国大会は、結局個人戦7位で終わってしまった。ただこれはペア戦で、たいてい片方が個人戦一桁順位をとっていればペアでは入賞できるくらいの位置にはいけるはずなのだけれど、わたしのペアは不運なことに『役満卓に二回同卓した』と死にそうな声で言っていて可哀そうなくらい悲惨な順位をたたき出していて、わたしの怒りや悲しみはどこかへ行ってしまった。ペアの彼はわたしよりはるかに麻雀がうまく、オカルト:デジタルが0:10くらいのストイックな打ち方をする人だったので、ほんとうに仕方なかったんだろうなと思ったし、王子にもサインをもらったし、そもそもわたしに不相応なくらいの上出来な順位だったので、彼の役満に二回も同卓したという面白おかしいエピソードを延々と聞くことができたので総じていい思い出になったのだった。

 

社会人になってからほとんど麻雀をする機会がなくなってしまったのが少し悲しい。麻雀はいつでもわたしの味方でいてくれるような気がする。麻雀は少し悪いことを教えてくれる悪友のような夜の住人だ。たまに心が不安定な夜はわたしを手招きして呼んでいる。

童顔と鳥貴族

他愛もないこと

昨日初めて鳥貴族というお店に行ってみた。

なぜ鳥貴族を選ぶことになったかというのはたまたま歩いていたら目に入ったからというのもあるのだけれど、わたしも、そして隣を歩いていた友人(若槻千夏に似ているのでちーにゃんとする)も金欠だったからというのが大きな理由だった。

ちーにゃんは同じ病院で働いている看護師さんだ。ちーにゃんはわたしが関わっている神経内科の病棟で働いていて、わたしと同い年の28歳だ。去年の4月に初めてこの病院に赴任して、誰も知り合いのいないナースステーションでわたしがひとりオロオロしていたところを(初めての職場でのナースステーションという場所はとてつもなく精神力を削られる場所なのだ)一番最初に話しかけてくれたのがちーにゃんだった。

ちーにゃんは人懐っこい笑顔と裏表のない性格で花に例えるならひまわりのような女の子だった。背が小さくてリスのようにもみえる。そしてかなりの童顔だ。昨日は笑点が好き(しかも毎週録画をしているらしい)ということをカミングアウトしてきて、最近は『木久扇さんが新しい話題についていけていないようで見ていて辛い』と言っていた。童顔の悲しそうな顔で木久扇さんの心配をしている姿はなんだか笑えて吹き出してしまった。

ちーにゃんのおかげで得をしていることといえば、ついでに一緒にいるわたしも若くみられることだった。

昨日鳥貴族に行ったとき、わたしたちのテーブルを担当してくれた店員さんは、インド系の顔をした、おそらくわたしたちよりも若そうな、『ミジェル』という名札を付けた男の子だった。ミジェルは若くて日本語もままならない感じだったけれど、衛生管理責任者の名札も付けていて驚いた。他に接客対応をしていた店員さんも軒並みインド系の顔をしたひとたちで、グローバルな雰囲気だった。メニューには『全商品国産です!!』と大きく書かれていて、なんとなく複雑な気持ちになった。

わたしたちはまず、シャンディガフを頼むことにした。ミジェルに『シャンディガフ2つください』と伝えると、わかりました、といって一度厨房の方へ戻っていったかと思うと、すぐに再び戻ってきて、『年齢確認のために身分証明書をみせてください』と言った。え、と思って、みんなに確認しているのかと思ったけれどそんな雰囲気もなさそうで、『もしかして私たち未成年に思われたのかな・・』とわたしもちーにゃんも同じ思いで無言でちらっとふたりで目を合わせ、財布から免許証を各々取り出した。若く見られることは確かに嬉しい、それは嬉しいのだけれど、さすがに未成年には見えないだろう。もうわたしたち28ですよ、28。

そしたらわたしたちの免許証をみたミジェルが、怪訝そうな顔をして、困ったように免許証とわたしたちの顔を見比べてきた。

わたしたちの誕生日は、ともに『昭和63年』である。

あ、と思った。ミジェルは、『昭和』という字が意味するところが分からないのだ。たぶん、これまで免許証で確認した未成年もしくは未成年と思われる人々は、みんな平成生まれだったのだろう。

わたしたちは、あまり日本語が堪能ではなさそうなミジェルに、『これは、しょうわ、って読みます!!』『わたしたち、ふたりとも、28さい!!』と日本語で一生懸命伝えた。店内は騒がしかったので、大声で『わたしたち28さい!!』とふたりで叫んだ。嬉しい誤解だったはずなのに、なんだかみじめな気持ちだった。外人の人から見ると、日本人は童顔にみえる、ということをどこかで聞いたことがある。ミジェルはいったいわたしたちがいくつに見えたのだろう。

 

ともあれミジェルに昭和という年号が持つ意味について伝わったところで、クリーミーな泡が乗ったおいしそうなシャンディガフが運ばれてきた。わたしたちはシャンディガフとおいしい国産の焼き鳥を食べながら、今後の婚活について作戦会議を始めたのだった。

明かりの消えたよるに(空想のこと)

空想のこと

『バチッ』という音とともに、この家じゅうの光が消えたことが分かった。停電が起きたのだ。

夜になったけれど、今日は1日中、朝なのか真昼間なのか分からないようなどんよりとした天気だったらしい。雨がわんわんと泣くように降り続けていた。けれども家の中ではそれほど湿気は感じなかった。台風が近づいていることは分かっていたので、朝から部屋中全ての雨戸が父の手によって閉められていた。バチバチと大粒の雨が雨戸を打ち付ける音がする。家の前にはそれほど大きくない川が流れていて、普段はブラックバスか鯉のような魚が泳いでいるのを見ることができるらしい。川はきっと水位を増しているに違いない。彼らはどうしているのだろうか、流れの穏やかな場所に避難でもしているのだろうか。

わたしは温まり始めたシチューのにおいを感じていた。母が夕飯に作っていたものだった。わたしは今キッチンの傍のダイニングルームに座っている。シチューは母の得意料理だった。この家では何かお祝い事があると、母は決まってシチューを作った。誰かの誕生日や父と母の結婚祝いなど、けれど特に何もない(今日のような)日でも母はシチューを作った。膝の上では猫の『チェス』が、突然暗くなった部屋に驚いて警戒して身体をこわばらせているのが分かる。『チェス』という名前は妹がつけたものだった。初めてチェスが家に来た日、妹は彼が『濃いこげ茶色と駱駝色が斑になって等しい割合をもってしてせめぎあっている』身体を持っているとのことで、チェス盤をイメージしたらしい。チェス盤は固いものだと思うのだけれど、わたしはおかげでチェスというと、この、暖かくてなめらかなものというイメージを持つことになった。

 

『あ、停電』と母は言った。妹はまだバイトから帰ってきていない。父親もまだ仕事から帰ってきていない。家の屋根や雨戸を叩きつけるような雨の音が続いている。わたしはゆっくりと目を開いた、何かから覚醒するように、ゆっくりと目を開いた。

数秒しかない。わたしに残された時間は短い。

目を開いた瞬間、すっと雨の音が小さくなり、シチューのにおいが薄くなってゆくのが分かった。わたしの全神経が、この、視覚というものに注ぎ込まれていた。

わたしはまず母の姿を確認した。わたしが想定していた方向に、きちんと母は存在していた。母の姿を視たのは何年ぶりだろうか。母はけれど、わたしの頭に記憶されている姿と比べてそれほど老けていた訳でもなく、今年の母の誕生日にわたしと妹からプレゼントしたピンク色のエプロンを身にまとっていた。ピンク色は母によく似合っていた、さすが、妹が見立てただけある。妹は昔、わたしに『ピンクという色は、とても、かあさんに似合う色なの。』と教えてくれた。なるほど、わたしもそう思う。シチューの入った鍋をかきまぜていた手を止めた母の視線は、宙を舞っていた。まだ、この暗闇に慣れていないのだろう。

次に、膝の上に乗っている『チェス』を確認した。チェスはわたしの視線に鋭く気が付いたのか、ぱっと目が合い、その瞬間、彼の強ばっていた身体の緊張がふっとほどけて緩むのを感じた。チェスの毛並みは相変わらず美しかった、わたしは『濃いこげ茶色と駱駝色が斑になって等しい割合をもってしてせめぎあっている』身体を滑らすように撫でた。

 テーブルの上には、リンゴが置かれていた、丁寧にうさぎの形に切られている。そして4枚敷かれたランチョンマットの上には、母が最近通い始めたという陶芸教室で作った箸置きが並べられており、その色はイメージしていた色と違っていた。母はこの箸置きのことを『阿寒湖の底に沈んだマリモの主のような色』と言っていた。そうして、だんだんと視界が真っ白になってゆくのを感じた。わたしは長い長い物語の本を閉じるような気持ちで、ゆっくりと目を閉じた。

そして、母が、『少し、目が慣れた気がする。あなた、大丈夫?』と言った。わたしは、『うん、大丈夫。』と答えた。小さな冒険は、これでおしまい。次にやってくるのは、果たしていつのことだろう。

 

 

停電になった瞬間の暗闇のなかでだけはっきりと世界がみえる、目の見えない女の子のお話。特に深い意味はありません。何となく思いついただけ。

小さな旅が必要だった

小さな旅が必要だった。ただ何をするでもない、時間が必要だった。

 

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いま電通の女性社員の自殺がニュースになっているが、様々な意見がネットに出回っていて、多くの人が賛同している意見にわたしも概ね賛同している。長時間労働以上に重要だった問題は、数値化されるものではなかったのだろうなと思う。多くの人がいうように、このような状況では『仕事を休む』という冷静な判断はできなかったのだと思う。ただ個人的に、彼女が仕事から離れることができていれば、状況はよくなっていたかもしれないと思う。これは自分が1か月仕事から完全に離れてみて、それがどれだけ自分に正の効力を与えてくれるかを実感したからだ。彼女を直接知っている訳ではないので何とも言えないけれど、わたしが1か月前に仕事を休むことが出来たのは、オーバードーズという目に見える行動を起こしてしまったからだった。逆に言えば、このようなきっかけでもなければ、たぶん、仕事を休むという選択は自分は出来ていなかったと思う。それは自分がどれだけ精神的に参っていたかということは目に見えないものであるということ、またこのくらいなら耐えることが出来るだろう思っていたこと、特にきっかけもないのに『休みを下さい』なんてとてもじゃないけれどいう事はできないということ、実際わたしは彼女ほど長時間労働をしていた訳ではないし、心を苦しめていた原因が1つではなかった(というか、ほとんどの苦しい思いをしている人は、1つの原因で説明することは出来ないのだと思う。その苦しみの所在がはっきりしないということは『問題を複雑にする』、そして認識、解決を難しくすると思う。)ので何がこんなに自分を苦しめているのかが分からずましてやその苦しみを人に説明することが出来なかったこと、などが『仕事を休む』という決断へ自分を進ませることができなかった理由だと思う。幸いオーバードーズした薬は命に関わったり、後遺症をのこしたりする薬ではなかった(1週間前後の記憶は曖昧だが)ので命拾いした。正直なところわたしにはこの大量の薬を飲んだ記憶がない、決して死ぬつもりはなかったと思うが、消えたい、逃げ出したい、誰か助けて、という気持ちはその頃ずっと抱いていたので、その気持ちがいよいよわたしのキャパシティを超えてあふれ出した結果なのだと思っている。後から思えばなんでそんなことをしたのだろうと思うけれど、本当に、そのような状況のときには、周りの人の意見や周囲の状況なんて何も目に入っていないし理解できていない、ましてや自分のことすら手に負えていない。そのときのわたしは扁桃体あたりに飼っている感情という小動物に支配されていた。大脳皮質という飼い主はもはや使い物にならず、感情という小動物の思うがままに操られていた。そのような状況のときには脳は正常に自分の置かれた状況を認識することはできていない。ただ、もう、その数か月前から自分がおかしいということには気づいていた。頭が思うように回らない、人と会話していても、相手の言葉を『理解』しそれに対して自分の『考えた意見』を言う、というプロセスが上手く出来ずあまり人と会話できなくなっていた、仕事にしても他の事にしても意欲が湧かなくなった、そして、ブログの文章が書けなくなっていた。

 

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1か月で仕事に復帰したが、その期間については正直なところ短かったのかどうなのかということは、まだ、わからない。いま、周りの人たちの優しさに支えられて、ゆっくりと仕事を増やし始めているところだ。1か月経過した時点で、仕事に戻っても大丈夫だろうという自信は少しずつつき始めていたし、心療内科の先生も『まあ、無理せず、もし何かあればいつでも来てくださいね』と一応のGOサインを出してくれた。この1か月の休養期間は、自分が思っていた以上に自分にとって有意義であり、これから進んでいくのに必要な『考え方の基礎』を作り始めるきっかけを与えてくれたと思う。

1か月のうちの最初の2週間は、正直なところ何の生産性もない日々を送っていた。起きて、母親が用意してくれたご飯を食べ、散歩などをし、気分がのれば映画などを観たり、漫画を読んだりし、お風呂に入って、眠る。そういったことをぼうっとしながら2週間くらい過ごした。自分のなかで『このままで大丈夫なのだろうか。仕事には復帰できるのだろうか。頭が以前のように冴えて働いてくれる時はくるのだろうか。』という不安はあったが、働くことも出来ない自分には、そういう行動をするしかなかった。

けれど、休養期間が3週目くらいになって、無性に一人旅をしたいと思う時期がやってきた。一人旅といっても実際に出来たのは、京都と東京という国内を日帰りで、あるいは数泊で、という短い期間であった。何か目的がある訳ではなかった、何となく『神社やお寺を巡って、ぼんやり考えて、御朱印を集めてみよう』と思っていたくらいだった。今いる場所を離れたいという気持ちはあったと思う。そして、そうしたら何か気分も好転するかもしれない、という、本当に何の保証もない漠然とした気持ちだった。時間は有り余っていたので、書店で地図がのった観光本を買い、どこにいこうか計画を立てた。京都と東京の平日(休日の日もあったけれど)の街をひたすら歩いて、学生やサラリーマン、海外の観光客や主婦の団体などを眺めた。東京では友人の家に泊めてもらったり、海外の観光客が利用するようなホステルに泊まってみたりした。純粋な好奇心だけで動いた。ひたすら歩いて、歩いて、歩いて、街ゆく人を眺めて、高層ビルの立ち並ぶ街並みを見上げてみたり、また他に観光客がいないひんやりとした神社の畳のうえに座って鹿威しの音を聴いてみたりした。ホステルでは深夜シャワーのお湯が出なくなったので冷水で髪の毛を洗った。まだ汗ばむような気温だったけれど、畳の上は涼しい風が吹き抜けていた。

 

まるで自分が存在しないかのような世界をみつめていた。

 

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その小さな旅の中で何を得ることができたかと言われると、多少その場所に土地勘がついたくらいとしか言えない。けれど、その時のわたしには、小さな旅が必要だった、そしてこれからも、そういった小さな旅は必要なのだろうなと思った。ひとつの場所にずっといると煮詰まる。ひとつのことをずっと考えていると底なし沼にはまる。今まで出来ていたことすら出来なくなる。畑で一種類の作物ばかり作っていると一定の養分だけが消費され、ある時突然その作物が実らなくなる、連作障害のように。

 

まだだいじょうぶ。いつだって立ち止まって振り返ることができれば、だいじょうぶなのだ。

 

立ち止まることは、勇気のいることだ。そして振り返る事もまた、勇気が必要だ。そしてその行為が必要だと気づくには、時間を、休息を、必要とするときがある。ぐしゃぐしゃになったパレットの色をほぐしてゆく。どす黒くなった悲しみの初めの色は?ゆっくりと考えればきっと思い出せる。青色と、赤色と、緑色と・・

原因に気づくことが出来れば、あとはそれをどう解決していくかを考えることができる、素晴らしい大脳皮質というものをわたしたちは持っている。耐えられると思って酷使していた大脳皮質を、いまは少し可哀そうなことをしたな、と思う。わたしは少し耐久性が弱かったのだろう、けれどそれも自分だ、付き合ってゆかなければならない。扁桃体にいる小動物もこのところ大人しくしている。飼い慣らすことが出来れば愛らしい動物のようだ。

休息するということ、ストレスから完全に離れてしまうということは、予想以上の結果をもたらしてくれる。それを自分で気づくのは難しいことだけれど、ある程度やはり自分のことは自分で管理できるようにしたいなと思う。時々メンテナンスをしてあげないと、この脳は正常に作用しなくなるということを改めて認識した。休息の時間をとること(つまり仕事を完全に忘れる時間を作る事、オンとオフの切り替えをすること)、文章としてでもよいから自分の感情をアウトプットすること、本を読むこと、映画を見ること、人と接すること、決まった時間に起きること(これはまだあまり出来ていないから今後の課題)。

自分の存在しないかのような世界をみつめることは心地よかった。その世界で生きてゆくのもよいかもしれない。けれどその一方で何となく、自分が存在する世界に戻りたいという、一種のホームシックのような気持ちにもなった。必ずしもどちらかに属さないといけない訳ではない、どちらかの時間が減ってゆくと、必然的にもう片側が必要になるのかなあ、と思ったりもした。

いまはまだ再び歩き始めたばかりで、少し慎重になっている。あまり飛ばしすぎると息切れして再び倒れてしまうかもしれないという不安はある。自分の考えにしてもかなり流動的だなあと思う。自分の記憶にないことをしたことで、自分が信用できなくなってもいる。けれど自分が信用できないからこそ、曖昧な自分という存在を少しでも強固なものにするという作業、保険をかけておく作業、そういったことをしてゆこうという気持ちになれた。

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なんとなく神様がみてくれているように感じたおみくじ。

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