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世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

imagineが、世界平和を作るかもしれない。(あとなぜかMONSTERのネタばれ少々。)

Imagine all the people Living life in peace.

さあ想像してごらん。みんながただ平和に生きてるって

You may say I'm a dreamer. But I’m not the only one.

僕のことを夢想家だと笑うかもしれない。でも僕だけじゃないはず。

I hope someday you'll join us And the world will be as one.

いつかあなたも、みんな仲間になって、世界はひとつになるんだ。

 

 ーJohn Lennon「imagine」

 

とっても眠い会議中、手持無沙汰な帰りの電車の中、お客さんがこないときのカフェのバイト中、など。日常生活のあらゆる場面で私たちは暇を持て余しています。そこで私たちは、頭の中で『想像』をして時間を潰します。

 

そんな時、あなたは、どんなことを想像するでしょうか。

 

そう、それは例えば、今日の晩御飯の献立だったり、スーパーでの買いものリストだったり、家に帰ったら何をしようかという、身近な予定を立てることだったりします。あるいは、欲しい車のこと、買いたい洋服のこと、架空の旅行計画を立てることなど、夢物語の想像だったりもしますね。そしてそして、大好きな片思いの相手、あるいは彼氏(旦那さん)とのデートプランを立てたり、以前のデートのことをにやにやしながら思い返してみたりする、幸せな想像をしたりもするでしょう。もしくは学生の時であれば、ひたすら単語帳の暗記など(これは想像に含めてよいのか分かりませんが)に精を出しているかもしれません。

 

 

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 photo by pakutaso.com 

 「想像してごらん、みんながただ平和に生きてるって」

 

 

私が思う「imagine」の素晴らしいところは、想像してみようといって、『自分以外のもの』の幸せを想像しているところです。上に書いたような想像は、すべて私利私欲に基づいた、欲望です。洋服を買う、ご飯を作る、デートをする、勉強する、それらはすべて『私が』したいことです。

 

けれども、John Lennonは、『みんなの』平和を想像してみなさい、と言っています。もちろん、歌詞の「みんな」には自分も含まれていますけれども、大多数は他人なので、他人とさせて頂きます。他人の平和を想像するには、他人の考えていることを想像し、他人の幸せ・悲しみにも思いをめぐらせねばなりません。

「imagine」の中では、『天国なんてないんだと』『国なんてないんだと』『宗教なんてないんだと』、想像してごらん、と言っています。

 

imagineの世界は、ドラえもんの「もしもボックス」があれば実現可能ですね。『もしも、宗教のない世界だったら?』ねぇドラえもん、22世紀から、その世界は『平和』なのか、教えてよ。

 

しかし、『他人』を想像することは、『自分』の夢物語を想像することよりも遥かに難しいです。『他人』を想像するだけで、世界平和が実現するのでしょうか。そりゃあ、世界平和なんて、七夕の日には短冊に書くし、お正月には絵馬に書くし、みんなが願っていることなのかもしれませんけれど、それがただ想像しただけで叶うなんて、おとななみんなは信じてはいないでしょう・・・・

 

 

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 photo by pakutaso.com 

 

人間はね・・・・何にだってなれるんだよ。

君達は美しい宝石だ・・・・

だから、怪物になんかなっちゃいけない・・・・

 

浦澤直樹ーMONSTERー CHAPTER 18.

 

 若干ネタバレですが、これはオジサンが、まだ夢と希望がつまった幼い子どもに対していうセリフです。

子どもは、何にだってなれる。これは巷で話題の「iPS細胞」、つまりどの細胞にも分化できる可能性を持った幹細胞に、似ていますね。私たちがiPS細胞に科学・医学の未来への希望を託すように、私たちは子どもたちに対しても、人類の明るい未来を託すのです。

 

ところが、そんな子どもですが、無邪気で明るく、時にはTPOも無視して騒ぐことがありますよね。新幹線の中だとか、飛行機の中だとか。こんな時、疲れている大人はイラっとくることもあるでしょう。もちろん、私も幾度となく経験しました。うるさく泣く赤ちゃんを責めたり、しつけない親を責めたり。(もちろん、心の中でですけれど)一時、誰かが機内でどなったとかなんとかで、社会問題にもなっていましたね。

 

そんな時私たち大人は、子どもというものは我々の明るい希望であることを忘れます。そんな時の子どもは、自分の現在の機嫌を非常に悪化させる、まさに我々大人の敵であるからです。子どもが、どんなうるさくても、泣き虫でも、ひとりひとりが美しい宝石であることを、忘れてしまうのです。

 

 

さあそんな時、私はジョン先生の教えを思い出すのです。

『imagine』、と。『想像してごらん』、と。

目の前には、ぎゃんぎゃん泣いている赤ちゃんがいます。

お母さんに抱っこされたいのか、おなかがすいたのか、はたまたオムツを替えてほしいのか。

他人である赤ちゃんのことを、想像してみましょう。

 

 

こんな小さな赤ちゃんですが、あと1年もすればひとりで歩きだし、5年もすればいっちょまえに身の回りのことができるようになります。10年もしたら小学校に通い学校生活にも慣れてくるでしょう。すると嫌でも面倒な人間関係に組み込まれ、いじわるされることもあるかもしれませんし、グレてしまうこともあるかもしれません。学校に行きたくなくなったり、友達と喧嘩して孤立してしまったり。そして、そのうち自分がどんな人間かもわかってくるでしょう。自分には出来ないことがあるんだ、と自分の限界を初めて知ります。歳をとるにつれて、高い壁にぶち当たることも増え、己の無力さに絶望する時がおとずれるかもしれません。大きくなった少年は、辛く、暗い、ひとりぼっちの部屋で「泣いたって、何も変わるわけじゃないんだ」と、ひとりグッと涙をこらえる夜が、いつの日か来るでしょう。

 

 

目の前には、ぎゃんぎゃん泣いている赤ちゃんがいます。

そのこはもしかしたら、大きくなったときに時にグッとこらえた涙を、いま、思う存分、泣いているのかもしれません。

 

そんなことを『imagine』してみると、なんだか、うるさく泣く赤ちゃんも、『将来強くなるために、今思う存分泣いておけよ』なんていう広い心で許せるかもしれません。

 

まあ、John lennonはimagineでこのようなことを伝えたかったのではないのだろうな、ということは、うすうす感じています。なんかもっと、壮大な目線で世界を考えようよ、というメッセージなんだと思います。けれども、これは、壮大な世界平和への、小さな第一歩なのかもしれない。もしかしたらこんな小さなことでも『想像』することは『世界平和』への第一歩なのではないかと、私は『imagine』してみるのです。