世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

わたしの大切なf(x)

あなたのかけらをください

形のある物を

想い出だけで生きてゆくなんて

まだ出来そうにない

 

―『あなたのかけら』 華原朋美

 

地球、いや、宇宙は、どうやって生まれたのだろうか。

私たちの周りには形のあるものが溢れている。それらのものは細かく細かくしてゆくといずれ原子の集合体になるのだけれど、その原子は何から生まれたのだろうか。

何かを作る時には必ず材料が必要であるはずなのに、宇宙はどうやって生まれたのだろう。0から1を生み出すことがなぜ出来たのだろう。そんなことを考えているといつも思考が停止するので、創造主が『これ以上考えてはいけないのだよ』と私の思考を止めているように感じる。STAFF ONLYの領域に踏み込むことはできない。今現在の人類の知識で宇宙の誕生を説明することは可能なのだろうか。仮に出来たとしても、その説明は私が聞いても理解できないSTAFF ONLYの世界なのだろうけど。

 

私にも、誰にでも、『自分の意思』というものがあって、たとえば人はAという物事が起きた時にBという行動を起こす、その『自分の意思』はf(x)のような働きをしていて、人の行動はB=f(A)となる。この私たちのf(x)は、ひとりひとり持っている唯一無二のもので、今日の晩御飯にラーメンを食べることを選ぶという行動ひとつとっても、それはおなかのすき具合、昨日の晩御飯、自分の金銭状況、最近聞いた評判、もうあらゆるファクターをf(x)に放り込んだら、カタカタカタ、チーン、と『今日はラーメン食べよう』という答えがはじき出されているはずなのだ。

 

私たちの行動は、反射的行動を除外して、すべてそれぞれの持つf(x)から導きされた答えであるはずだ。この、大事なf(x)、私がこれまで自分の頭の中で育ててきたf(x)は、0から自分が生み出したものかと言われるとそんなことはなくって、私の行動は、私の意思によって起こされるものなのだけれど、その意思を決定するf(x)は、私以外の人の『かけら』がたくさん埋め込まれている数式なのだ。

 

私はつい人の真似をしてしまう、それは好きな人の行動を無意識に真似してしまうという『ミラーリング』と同じような気持ちだと思うのだけれど、この人いいな、と思った人の行動であったり口癖であったりを、意識的に真似してしまう。露骨にやりすぎると真似された相手は不快に思うだろうので、出来るだけこっそり真似するようにしている。

いいなと思う人はいつもすぐ傍で感じていたい、それならばその人のかけらを私の中に埋め込んでしまおう。

 

私の大好きな初めてのオーベンは、カルテに『粛々と検査を.』と書くのが癖だった。あと、『句読点の理系スタイル(,や.を使うスタイル)』(id:islandkさま、B※ありがとうございます)はオーベンのスタイルだった。私は、粛々と検査することをモットーとし、理系スタイルでカルテを書くようになった。

 

私の大好きな神経内科オーベンは、外来で必ず立って患者さんを迎え入れ、患者さんが椅子に座るまで自分は椅子に座らなかった。私は自分が外来をするときには、患者さんを立って迎え入れ、患者さんが椅子に座るまで待つことにした。

 

何か小さなことでも、その人の行動の癖や、いつも飲んでいる飲み物や食べ物、そんなものを私はこっそり自分のf(x)に組み込んで、なにか選択をするときにその人を思い出し、ひそかに嬉しくなったりしている。もはや思い出すことのないくらい自分のものとなってしまったかけらもある。ブログなんかではつい好きなブロガーさんの書き方を真似してしまう。(あまり大きい声でいうとストーカーチック、これはある一人の人に対してやっている行動ではないですので、どうぞご理解を泣)

 

これまで色々な出会いと別れがあった、たとえ離れて直ぐに会えなくなっても、f(x)にかけらがあるから少しだけ傍に感じられる。私は寂しがりやで人に流されやすい性格なので、私のf(x)は色々な人のかけらだらけになってしまっているけれど、まあそれでも唯一無二なのでそれでいいやと思っている。たまに自分がない、とか、自分で決められない、とか悩むこともあるけれど、程度の差こそあれf(x)はみんな誰かのかけらが埋め込まれている代物なんだと思う。

東京はすごく不思議なところだ。私のf(x)に埋め込まれているかけらのオリジナルを持つ人はたいてい東京にいる。ブロガーさんも東京在住の方が多いように思う。

 

あなたの大切なf(x)は、誰のかけらが?

 

 

最近少し忙しいです(´;ω;`)生存確認はこちらでできます!!