進みなさいと、誰かが言う声が聴こえる
雨が降り出し、傘を持っていないと思われるスーツ姿のサラリーマンが足早にかけてゆく。同じように、傘を持っていないと思われる若い女の子2人が、うつむきながら、けれどそれほど急ぐようにもみえず、通り過ぎてゆく。傘を持っている人たちは次々とそれを天に向かって広げ、うっすらと暗くなり始めた街に色とりどりの花を咲かし始めた。
今朝の天気予報は、見てくるのを忘れた。
しかし傘を持っていないひとが一定数いることから察するに、降水確率はそれほど高くはなかったのだろう。
よい本と巡り合えた時、またそれを読んでいるとき、雨が降ればいいのにと思う。
目の前で、中高年といったところの主婦らしき3人組が、折りたたみ傘をたたみながら笑顔で喫茶店のなかへ入っていった。
ひとりが好きなのではない。けれどひとりでいることは、無性に安心感を与えてくれる。たったひとりの部屋にいるときではなく、大勢のひとがいる街中だったり、カフェにいるときの『ひとり』は、大きなゆりかごのなかにいて、もう覚えていないけれどかつて経験したであろう赤ん坊の頃手にしていた絶対的な安心感に包まれている、そういう気持ちになる。とてつもなく大きな何かの一部であるということを実感できる。そういった認識がきちんとできるときの自分は、脳が正常に機能しているのだと思う。
ひとりが好きな訳ではないけれど、ひとはひとりでしか生きていけない事を知っている。周りの支えや社会から与えられる保障や友人といった類の存在がなくてはいまのわたしは生きてゆくことはできないが、結局ひとはひとりだ。自分を救うのは自分しかいない。わたしを取り巻く有機的な、あるいは無機的な存在たちは、それを手助けしてくれるが、最終的な指揮は自分で執るしかない。
音楽が延々と流れている。イヤホンから1曲の歌がリピートされていて、両耳からわたしの頭の中に流れ込んで溶けてゆく。
さっきまでの滝のような雨は夕立だったようだ、雨は街路樹を大きく揺らすだけの風になっていて、傘をさしているひとはもういない。
ひとはひとりだけれど、そのなかに他の誰かが溶け込んでいる、という発想はとても自分を強くする。自分がいる限りそのひとは永遠であり、一緒に歩み続けることができる。
『いまあなたは、そこを通りなさいという道を試されている。自分の中で受け入れられないことも飲み込みなさいと言われている。これを通過することによってあなたは成長してゆく。いろんな負を目の当たりにすることで、はじめて生きることの尊さがわかる。』
It's a lonely road.
But I'm not alone.
宇多田ヒカルの『道』が、ずっとイヤホンから聞こえてくる。その道を進みなさいと言ってくれているような気がする。