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世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

(独白)

少し、自分のことについて書いてみようと思う。


たいていブログはある程度読んでくれている人を想定して書くものだと思うし、わたしもある程度読んでくれる人がいる想定で書いてきた。読んでくれる相手に伝えたい事を書くという意味だけでなく、万が一大勢の人の目にさらされることがあっても、恥ずかしいことのないような文章や内容で書く、という意味において、相手がいるという想定で書いてきた。

 

自分の生い立ちとか、そういったもの、書いてもだれも興味ないと思ってしまう(という割には人のものを読むのは好きなのだけれど)ので躊躇していたけれど、なんとなく書いてみようかな、と思う。完全に自己満足だ。秋の空気感は、独白に向いているとわたしは思う。ついうっかり、余計なことまで喋らせてしまう季節が、秋だと思う。少しだけ、必要かもしれない、これを書き留めておくことは。と、ほんの少しだけ思う。

 

★★★


わたしがこのブログをはじめた6月は仕事が比較的忙しくない時期だった。その当時は6時には仕事が終わることもあったし、土日も休みだった。その上県外に研修へ行っていたため、遊びに誘える友達もおらず、かなり暇を持て余していた。なんとなく、暇つぶしみたいな形で、ブログ書いてみようかなーと思ったのだ。

 

わたしにはその時(今もだけど)心の中でずっと抱えていた出来事があった。


それは昨年、友人が自殺したという出来事だった。


ブログを始めた当初は、彼の自殺に関するエントリをいくつか書いたけれど、色々思うところがあって今は消してしまった。

本当にかいつまんで簡単にいうと、彼とは一緒に辛いことを乗り越えて、悩みを分かち合い、バカやって遊んだ友達だった。なんだかんだあったけど乗り越えてきて、ようやく楽しいことが待っているね、というところまで来たのに、彼は自殺という道を選んでしまった。

 

聞いたときは、信じられなかった。

でもその反面、『ああ、ついに』という思いも、なかったかと言われれば嘘になる。

そういう風に思わせる子だったのだ。そういう風に思わせる子だったけど、だからといって悲しみが和らぐかといわれると全くそんなことはなかった。当時一番辛かったのは、この世界にサヨナラする時に彼はどんな表情をしていたのだろう、ということを想像してしまう瞬間だった。考えないように、考えないように、と思っても、どうしてもその瞬間の彼の表情、感情を想像してしまって、どうしようもない気持ちになった。

 

それは、ある毒薬を飲んだようだった。

彼の死を聞いたとき、私の口から大量の毒薬が注ぎ込まれた。

その毒薬は、口を爛れさせ、食道にびらんを作り、胃を荒れさせ、いてもたってもいられない激痛のような苦しみをわたしに与えた。

けれども痛みはほんの少しずつ、少しずつ、治まっていった。徐々に、その毒薬はわたしの体内に吸収されていって、代謝され、解毒されていった。解毒が進むにつれて、その毒薬は、ただ単に痛みを与えるだけのものではなくなっていった。

その毒薬は代謝されて排泄されるタイプのものではなく、解毒されても体内に残るタイプの毒薬だった。

無毒化した後も、その物質はわたしの体のあちこちで石灰化して存在し続けていて、毒薬を飲んだことを忘れかけていた時に、ふと身体を動かすとチクッと痛ませた。その痛みを感じるたびに、わたしは毒薬を飲んだことを、彼がもういないことを思い出している、未だにずっと、そしてこれからもずっとそうであり続けるのだろう。

 

わたしが読ませて頂いているいくつかのブログでも、ちょくちょく自殺についてのエントリをみかける。その相手が自分とどのくらい近かったかでまた思うことは異なるとは思うのだけれど、やはりその爪痕は大きい。それくらい、自殺というのは、残されたものにダメージを与えるものなのだなあと感じる。

 

彼は就職で県外に行っていた、県外の友達というのは1年に1回会えるか会えないかというくらいだと思うのだけど、そうなってくると、本当に彼がもうこの世界にいないということが実感できないことがある。どこか遠くの外国にでもいっているだけなのではないか、この世界のどこかで生きているはずだと、願ってしまう、思い込もうとしてしまうこともあった。

わたしは彼の家にお線香をあげさせてもらいに行った時に、彼のお母さんに頼んで、形見をわけてもらった。

それは、彼が生前いつも身に着けていたバングルだった。

そのバングルはとてもかっこよくって、昔わたしは彼に半分冗談で、『そのバングルちょうだいよ~』と言ったことがあった。彼は笑いながら、『これはお気に入りだからあげれない~』と言った。

そのバングルを、もらった。

彼が絶対に手放さなかったバングルは、今わたしの手元にある。これが私のもとにあるということは、彼が本当にこの世界にいないことを証明するのに十分だった。彼が生きていたら、絶対に手放す訳がないからだ。彼はもうこの世界にいない、それは確かなこと、けれど、どこかで見てくれていると信じたいのが残された人間の願いだ。それはまぎれもなく自分のためだ。どんなことをしたって、彼はもう戻ってくることはないのだから。彼はもう喜ぶことも、悲しむこともできない。けれど、なのに、そうだったらいいなと願ってしまう。どうしようもない、これが人間なんだ。

 

彼がサヨナラしたこの世界、彼はこの世界に絶望を感じたのか、もう彼の本当の気持ちは永遠にわからなくなってしまった。

わたしは、彼が生きていた世界が好きだったし、その世界が絶望に満ちた世界だと思いたくなかった。彼がいなくなってしまった以上、これからすべきなのは彼のような人をこれ以上生まないようにすることだ。建設的なことをしていかなければならない、彼の死を嘆いて悲しんでいても、ある程度たったら次へ進まなければ、とバングルが言っている。

なので、この世界は素晴らしいものだということを、これからの人生のなかで証明していこうと思った。この世界は捨てたものじゃないよ、綺麗なんだよ、と、『綺麗な世界』を探していこうと思った。

 

わたしのなかで、綺麗な世界というものは、ちいさな綺麗なピースの集合体で出来ていると思っている。綺麗な世界のピースを集めて、それを組み合わせて世界を作ると、綺麗な世界ができあがる。

けれど、本物の世界は綺麗なものだけでできている訳ではなく、人を絶望させるようなピースもあちこちに転がっている。本物の世界は絶望のピースや、綺麗なピース、汚いピース、いろんなピースの集合体で出来ている。でもブログの中だけは、綺麗なピースだけを拾って書いていきたいと思った。エントリによっては綺麗ごとなことも多いだろうし、世界はそんなものじゃない、というものも多々あることは解っている。でもあえて綺麗なピースだけを拾っていきたい、このブログの上だけでは。

 

世界が絶望であふれているなんてことは知っている、絶望がなければ誰もこの世界にサヨナラしようとは思わない。わたしは勝手に彼をこのブログの0番目の読者として想定している。絶望を誰より知っているひとに、これ以上汚いものを見せる必要なんてない。綺麗なピースは綺麗ごとではない、ある一面からみたら真実なのだ。

 

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とはいってもどのエントリもそんな重いテーマじゃないし、他愛もないこともたくさん書いている、喪は残されたもののためにあるし、このブログも自分のために書いている。ただ、なんとなく、そう思う、ということを書いた。彼のようにこの世界に嫌気がさしてきている人がもしどこかにいたら、あなたに向けて書いています、と思ってもらえたらいいなというおこがましい小さな祈りもある。ただ、生きて、生きて、生きて。


ただ、この出来事のなかで、例え彼の自殺を無理矢理止められたとしても、それは彼にとって本当に幸せなのかと考えることもあった。彼はこれ以上この世界で生きていきたくなかったからサヨナラしたのに、強引にこの世界に縛り付けられたとしても、果たして本当に幸せなのか?もちろん周りの人間は嬉しいのだけれど。



さらに、これがもし身寄りのないホームレスのような方だったり、家族から散々疎まれている方だったらどうなのかと思ったりもする。そういう人たちは、サヨナラした方が幸せなのか?周りで悲しむ人もいないのに?


この問題解決のヒントを、この間公演を聞いた、ある所で救急救命医をされていて、いま第一線で働かれている先生に質問したことがあった。

自殺を試みた人を、例え後遺症を残したとして、さらに周りからも悲しまれなくても、命を救うことについてどう思われますか?と。

先生は迷わずこう言った。


助けるに決まっているじゃないですか。命があることが第一です。例え後遺症が残っても、助けて欲しくなかったと言われても、そこから『助けてくれてありがとう』と言わせるまで持っていくのが、我々の仕事です。



ああ、そうか。自分の浅はかさが心をきゅうっとさせた。と同時にじわじわした暖かい気持ちが湧いてきて涙が出そうだったし、自分はなんて恥ずかしい疑問を持っていたのかと思った。

まずは命を救ってから、だ。その後患者さんの状態、家族の意向、家庭状況、色んなことを踏まえてその後の治療を考えるそうだが、それはこれまでずっとやってきて経験豊富な先生でないと難しいことだそうなので、わたしはまだその域に達していないのだと思う。

この話はひとまず、それとして置くとして、救ったあとは、救ってくれてありがとうと言わすまでが助けるということなんだ。

言われてみれば、あ、そうだよな、と思うことなのだけど、簡単なことこそ見失いがち、人間って当たり前のことも何度も言い合わないと忘れがちな生き物だ。


★★★


まとまりがなくなってしまったけれど、わたしはこんな感じでブログを書いていて、こんな感じで毎日を過ごしている。疑問がうまれ、理不尽な出来事に直面し、さあ、どうしたらいい?と考える、楽しいこともいろいろあるし、生きててよかったとしみじみ感じるその次の日には死にたいなんて思ったりして、そんな毎日が繰り返されていく。


色々書いてしまった、秋の夜はひとを喋らせすぎる。ただの独白、それ以上でも以下でもない、ただの独白、わたしはまた明日からも綺麗な世界のピースを探していこうと思う。