世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

ソラカラちゃんとシタカラスカイツリー☆

大学時代の同級生Fが、学会で東京に来てるってことで召喚されてきました(☼ Д ☼)

 昼前に新幹線で東京へ。さすがのシルバーウイーク、家族連れで混みあってました。やむをえずグリーン車・・おみやげの予算をまわすことにします。にゃんぱす(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)スカイツリーに行きたかったけど築地の雰囲気を久しぶりに味わいたかったのでまずはお昼ご飯を食べに築地へいきました。別にどこか行きたいお店があるわけでもなかったのでふらふら歩いてすぐに入れそうなお店で海鮮丼を食べます( ⓛ ω ⓛ *)味はいたってふつう!でも雰囲気でおいしくかんじる!!

テリー伊藤さんの実家の卵焼き屋さん『丸武』と、その近くにあったもう一つの卵焼き屋さん『山長』でだし巻き卵を食べ比べます。

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これは山長さんの『甘くない方の卵焼き』。しょっぱくて大根おろしがあう味。焼きたてなのであつあつだし汁じゅわ~~!!テリー伊藤さんの卵焼きは甘めの味付けだったので、純粋に味比べはできず。山長さんは甘いのと、甘くないのと2種類の味付けがあったから、甘いのにすればよかったな。どっちもおいしくて好みの問題レベルの味の違いだけど、きょうのわたしの気分には甘めのテリー伊藤さんの卵焼きがあってた。

 

そして押上にいってスカイツリーを下から眺める。

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展望台へはとてもじゃないけど混んでて上がれず。スカイツリーは下から眺めるものです・*・:≡( ε:)

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大人気ソラカラちゃん(๑˃́ꇴ˂̀๑)ハロウィンの格好してるかわいい~~♡子供たちに囲まれてます。恥ずかしくてタッチできず。黄色くて星っぽい頭。頭の黄色は均一じゃなくて、星のとげとげの先は焦げた黄色になっているところがチャームポイントです。

時間があるからソラマチにあった『すみだ水族館』へいきました。入るのに40分待ちっていう安定の東京の混み具合。

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くらげのライトアップやってました。くらげと蜷川実花さんとのコラボレーションみたいです。くらげ、海月、水母。この頭にあるわっかは何なんだろう?電池かな??

すみだ水族館は、これといって珍しい生き物がいるわけではないけれど、屋内でしかもすごく近い距離でペンギンをみることができたり、ただの金魚が東京らしいおしゃれ展示方法によってなんかすごい生き物をみている気分になったりして、なかなかハイソな水族館でした。入場料2050えん、年間パスポート4100えん也、2回以上行けば元が取れます。

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ソラカラちゃん、うちに来ました。

長い髪の毛は何を隠す

髪の毛を伸ばし始めたのにはいちおうどうでもいい理由があって、それは働き始めて運動習慣がなくなって少し丸くなってしまったこの顔の輪郭を隠すためで、そういうわけでかれこれ2年半くらい、わたしは髪の毛を伸ばしていることになる。

 

ほんとうに、どうでもいい理由だった、伸ばし始めたきっかけは。

 

小さいころからロングヘアよりショートカットの方が好きだった。スカートよりズボンが好きな、おてんばな小学生だった。休み時間は男の子にまじってドッジボールをするような子だった。髪の毛は、いつでもショートカットだった。中学生、高校生の頃は、特に理由もなかったが、セミロングくらいをうろうろしていたように思う。それほど髪型にはこだわりがなかった。大学生になってからは、いつもショートカットだった。嫌なことがあって気持ちが落ちると、髪の毛を切って解消するようなことをしていた。好きだった漫画『ご近所物語』の実果子がそうしていたのに憧れていた。漫画の中で実果子がそうしていたように、金髪ベリーショートにしてみたりしていた。そういうわけで、髪の毛を切ることになんら抵抗はなかった。

 

2年半前から伸ばしている髪の毛は、いま、胸が隠れるくらいまで伸びている。

けれど正確に言うならば、伸ばしているのではなく、切れないでいるのだ。この長くまで伸びた髪の毛を。それは、未だに顔が丸くその輪郭を隠したいからとか、そういう理由ではなく、もっと、わたしのなかではしょうもない理由、しょうもない理由で髪の毛を伸ばしている、伸ばさざるを得ないと思っている、ほんとうは切りたいのに、伸ばさないといけないと半ば強制的に思い込んでいる、そうしてずっと伸ばしている。

髪の毛は短い方が洗うのも楽だし、乾かすのも楽だし、手入れだって楽、この限りある大切な時間を有意義に使うためにはショートカットの方が楽に決まっている。もともとそれほど髪の毛には無頓着なので、こんな髪型をしたいだとか、アレンジが好きだとか、そういうことは思っていないので、わたしにとっては本当に長い髪の毛にはメリットがないのだ。ただ朝の大事な時間を、髪の毛をセットするために割かないといけなくて、実際かなりのストレスだ。

 

女医さん、特に外科系の女医さんはショートカットの人が多い。

たぶんそれは、時間短縮とかそういう目的もあると思うけれど、元来スポーティーというか、男っぽい、サバサバしたひとが外科に行きがちのため、ショートカットのひとが多いという理由もあると思う。どちらにせよ、わたしもそういうなかのひとりだ。

 

昔、アンデルセン童話かなにかで、愛し合った貧乏なカップルがお互いへの贈り物を買うために、自分の大切なものを売るという話があった。女の子は長くのばしていた自慢の髪の毛を売って、相手が持っていた懐中時計につけるためのチェーンを買った。しかし相手の男の子は、自分の懐中時計を売って、女の子の自慢の髪の毛を梳く櫛を買ってしまった。お互いがお互いへの贈り物のために自分の大切なものを売ってしまい、それぞれの贈り物は役に立たないものになってしまった。けれど、大事なのは相手のために自分の大切なものさえ犠牲にするという気持ちだよね、といって、そんな心温まるストーリで終わる物語だった。

そう、長い髪の毛だ。わたしが小さいころこの童話を読んだときに、そんなに髪の毛って大切なものなのかなあ、という感想をもったのを覚えている。その話の中で女の子は髪の毛を切る時に涙を流していた、うつむいて涙を流しながら、怖そうな魔女みたいなおばあさんにはさみを入れられている、そんな挿絵が描かれていた。たぶん大切に伸ばしていたのであろう綺麗な髪の毛にはさみをいれることが、まるで命でも失うかのような、そんな描かれ方だった。わたしはそれをみて、子供ながらに、現代には合わない考え方だな、と思った。ずっと昔には、髪の毛が高く売れる時代があって、長く綺麗な髪の毛は女の人の象徴で、けれどいまの女の人はショートカットにして、強くたくましく社会で働いている、小さかったわたしは、ニュースやドラマでみるそんな女性像に憧れていて、それが『いま』の社会では普通のことなのだと思っていた。

 

 

別に、『いま』だって、それは普通のことなのだけれど、別に『女の人は髪の毛を伸ばさないといけない』なんてそんな規律があるわけではないのだけれど、『長く綺麗な髪の毛が女の象徴』だなんてセクハラか時代遅れかがいいところなのに、世間ではなく自分が、自分で自分をがんじがらめにする考えによって、動けなくなってしまっている。

胸を隠すくらいまで伸びたこの髪の毛を、どうにも持て余している。

いつからこんなに、『女であること』を意識するようになってしまったのだろう。女らしくしないと、という考えが、小さな行動ひとつとっても常に頭の中で働いている。それは働き始めるようになってからだと思う。そうでもしないと、自分が男にでもなってしまいそうなのだ、たぶん周りはわたしに女らしくあることを求めている、それは同期でも後輩でも上司でも、そして家族ですら、そういう雰囲気が伝わってくる、女であれと、いついかなる時でも、例え緊急手術で夜中に呼ばれたとしても女であれと、けれど一番はわたしなのだ、すごく、女でなくなってしまうことに怯えている。

 

髪の毛を切ってしまえば楽だ。

別に、髪の毛を切ったところで、わたしの性別が女であることに変わりはないし、ショートカットでも可愛らしくしている女の人だっていくらでもいる。

けれどいまの自分の中で、この長い髪の毛は、わたしが女であることの象徴なのだ。

例えシャンプーに時間がかかっても、トリートメントにお金がかかっても、セットに時間がかかっても、いまはこの長い髪の毛がわたしにとっては必要なのだ。丸くなった輪郭を隠すために伸ばした髪の毛は、いま、もっと多くの事柄を隠してくれているように思う、誰かに悟られないようにそっと隠している多くの事柄を。しょうもないと思う、非常にくだらないし、わたし以外の人間にとってはどうでもいいことだ。こんな考え方、嫌いだったはずだ。人って変わっていくんだな、と思うと同時に、変わっていく自分に自分がついていけないでいる、ほんとうは、髪の毛を切りたいのだ。

いつか、もう少しだけ時間が経てば、髪の毛を切れる時期が来るかもしれない。たぶんその時には、なにか大きな出来事が自分のなかで起きた時だと思う。そうでもないと、この、忌まわしい、長い髪の毛を切る踏ん切りはつかない。

 

雑踏を歩きながら

うだるような暑さのなか、という書き出しがよく似合う最近の気候だけれども、朝は暑くなる前に家をでて、陽が沈むくらいに職場を出る毎日を送っているわたしはそれほどうだるような暑さの中に身をおいておらず、今年の夏もそれほど自分のこととして感じないまま8月を迎えたなあ、と思っている。うだるような暑さのなか、という書き出しで文章を書きたかったのだけれど、それに続く話題はわたしの日常生活にはないことに気がついて少しつまらなく思えてしまった。わたしの日常のほとんどは適度にクーラーの効いた居心地のよい空間に存在していて、それが自分の人生そのものを表しているように思えて、夏が少し憎らしく思えた。温室育ちなわたしは苦労知らずという言葉に敏感で、それがウィークポイントだと自覚しているからこそ敏感でただ夏の暑さを回避していることですら辛い事から逃げているようでいやな気持ちになった。それでもきょうはうだるような暑さのなか、ひとごみのなかを歩いてきたので、少しくらい夏を感じられたのかなあと思う。すれ違うひとのなかには浴衣を着ているひともちらほら見かけて、充実した夏生活を送っているようでうらやましくも思った。今日は8月1日、夏真っ盛り、ニュースでは連日猛暑日に関しての話題があふれており、熱中症で何人が病院へ運ばれたかだとか、そういうニュースを聞いて、今日の予想最高気温は36度だとかほとんど人間の平熱くらいの気温まで暑くなるなんてたまったもんじゃないなあ、とかそういう類のニュースを聞いて、どちらかといえば気になるのは今日の救急車は混みそうだとかそういうことだったりする。そしてうだるような暑さのなか、わたしはガンガンにクーラーの効いた極寒の手術室のなかで寒さに足をつりそうになりながら長時間の手術に耐えている。そういう日々を送っている。

 

8年間過ごした愛媛を出て、この4月から久しぶりに名古屋に戻ってきた。名古屋の夏は遠いわたしの記憶にあるとおり変わらず暑く、愛媛と違って雨が多い、雨に関しては雨降りの日数も多いけれど雨粒の落ちてくる量、スピードも多く、愛媛の雨はすごくかわいらしいものだなとしみじみ思っている、名古屋の雨はかなり暴力的だ。

わたしのなかにある名古屋の記憶は、高校時代、名古屋の塾に通っていたころのことだ、友達と見えない将来に不安と希望を抱いてこの名古屋に立っていたんだと思う。こういう形で名古屋に住むことになるなんてそのころはもちろん思っていなかったし、ほんとうは喜ばしいことなのだろうけど、いざ立ってみると充実感だとか達成感だとかそういう類の感情は沸き起こることはなく、空虚感でぽっかり心に穴のあいたわたしがいた、あのころのわたしが今のわたしを見たら何ていうだろう、たぶん、つまらない人間になってしまったと軽蔑するだろう。人間の欲望はきりがなく、ひとつ達成したら次は同じ目標に到達しても同じような達成感は得ることができなくなる。前と同じ、では足りないのだ、もっと欲しい、もっと大きなものが欲しい。たぶん、達成感に飢えているのだ、と思う、走り続けないとつまらない、もう走らなくていいよ歩いていいんだよという周りの言葉が正しいのかそれとも自分の気持ちに素直に従うのがいいのか、迷っている、そしてためらいがちに走りはじめている、この名古屋の地で、疲れない程度にけれど周りからみたら走っているかのように見えるスピードで、走っているんですと自分と周りにアピールしている、それでも猛スピードで走っている昔のわたしが哀れな目でこちらをみるからそれが焦りに変わる、ああ自分には嘘をつけないとはこういうことを言うんだと、そうして何も得られていない自分を情けなく思う、次は何を目指そう、次はどこまで走っていけばいいんだろう、次はどこまでいったら自分は満足できるんだろう。

 

消し忘れ 消し忘れたライト あとどれくらいで 朝が来るのか

眠れない 眠れない夜を すり減らして爪をかんでた

行かないで 見渡して 羽ばたいて 口ずさんで いつか

言わないで 思い出して 羽ばたいて 口ずさんで いつか

 

サカナクションのルーキーをループしながらイヤホンで耳を塞いでうだるように暑い名古屋のひとごみのなかを歩く。気のせいか自分へ向かってくるひとの塊が多いようでぶつからないように避けるのにエネルギーを使う、逆らうことは得意だったはずなのに、8年という歳月はわたしの牙をすり減らしてまるくしてしまったように思う、大人になったのだよと誰かがいうけれど、どうもつまらなく思う、つまらなくしてしまったのは間違いなく自分であるはずなのに、生き易く生きやすくするためにすり減らした牙のはずなのに、その牙で獲れなくなったものに、飢えている。

それでも、楽しく思う日々もあるのだけれど、時たまそういう気持ちに襲われるのだ。明日考えよう、明日考えようとして今日の日にむりやり幕を降ろして夜に逃げ込み、疲れたことを言い訳に今日の荷物を明日のわたしに託す、抱えていかなくてはならない荷物はどんどん増えてゆくばかり。今日の日を大事に過ごす、1日1日を精一杯生きる、という言葉は刹那的に生きろという意味ではないはずだ。積み上げていかなくてはならない、日々を、重ねていかなくてはならない。

 

わたしが脳神経外科に進みたかった理由(内面対話)

こころ、っていうものは、いったい体のどこにあるのだろう、という僕の質問に対して、

『そんなもの、決まっているじゃないか、脳、にあるのさ。脳は、君に起こるすべての事柄を感じ取って、すべての感情が沸き起こる源泉となっている、目、耳、舌、皮膚、はたまた腸管だって、すべては脳へシグナルを伝えるためのパイプ、のような存在に過ぎないのだよ。』

と君は僕の眼をまっすぐ見据えて言った。あの日の事を君は覚えているだろうか、僕はこんなにもはっきりと思い出せるくらい強烈な記憶として覚えているよ、あれはすごく寒い日のことだったんだ。君はダウンジャケットにマフラーを巻いてかなりの重装備だったのだけど、暖房のあまり効いていないあの寒い喫茶店で冷たいレモンスカッシュを頼んでいた。寒いのに冷たい飲み物を飲むんだね、と僕は口には出さなかったけれど思ったんだ。僕たちの座った席の傍の窓からは道路脇に植えられているイチョウの木が見えたのだけれど、もう幹には数えられるくらいの黄色い葉しか残っていなかった、地面にはいっぱいにイチョウの葉が落ちて散らばっていた。遠くから見たそれは、真っ黄色の美しい絨毯のようだったけれど、近くで見ると人が歩いたせいで、葉は汚く茶色に千切れ、銀杏があの独特なにおいを放っているのが見ているだけで感じられた。大抵のものは距離があればあるほど、綺麗に見えるものだ、というのは君の口癖だった。

『人間を、人間足らしめているのは、脳だ。』

そう、君はきっぱりと言った。結露で水滴まみれになっているレモンスカッシュのグラスを軽く傾けながら、やや僕から視線をそらして言った。ものすごく長い道のりを歩いてきたのだ、君の横顔が、そう、言っているように見える。事実、君はそうなのだろう、僕にも、君の家族にも、君のかつての恋人にも、全貌などとうてい理解できないような壮大な物語を歩いてきたのだろう。彼らは、その断片しか知らない。断片ひとつひとつは事実であってもそれらがどう繋ぎあっているのか、どう干渉しあっているのか、それは君自身しか知らないし、君も誰かに理解してもらおうと思ってなどいないことが、僕には分かる、でもそれが少し悲しくもあった。

ただ真っ直ぐにどこかを見つめている君の瞳の先には、おそらく実際には何もない、何もない空間を見つめて、君は自分の内面と対話している、静かに脳を見つめている。

そこにはなにがあるの、と僕は暖かいココアのマグカップをこちらに寄せながら聞いてみた。僕は寂しいんだよ、君はそこにあるものを見てなどいない、実際には無いものばかりを見ている、無いものばかりを追い求めている。手に入らないことなど初めから分かっているくせに、頬を赤らめながら駆けていくんだ、何もない場所へと、心を躍らせながら、周りなど目もくれずに。

 

『寂しがり屋なんだよ』

君は、先ほどの僕の質問に、ぽつりと答えた。君は相変わらず僕から視線をはずして、窓の外を見ている、僕も君の視線の先らしき場所を見てみたけれど、そこには羊雲が広がる青い空があるばかりだった。そう、いつもの事、君は質問に対してはっきりとした解答をくれない。君の昔からの会話の癖だ、捉えようによってはどうとも解釈できる様な曖昧な返事ばかりだ。君が言う『寂しがり屋』というのは、僕の事を指しているの、それとも君自身の事を言っているの。

『君って寂しがり屋なんだよ(だからそういう質問を僕に聞いてくるんだ)』

『僕って寂しがり屋なんだよ(だから遠くをみつめてしまう)』

どっちだったとしても、そう変わりはない、どうせ君にはこれ以上近づけないのだ、例え、僕がどんな質問をしても、例え、僕がどれだけの時間を、君と過ごしたとしても。ただ、僕ははっきりと言える、君はいつまでもその見えない何かを追い求めてゆくだろう、そして僕も、この命が尽きるまでずっと君の事を追い続ける、君が最期に何を見るのか、君が最期にどこへ辿り着くのか、それを見届けるために、僕は君を見守り続ける、これまでも、そしてこれからも、ずっと。約束しよう。僕ひとりきりの指切りだ。こんな事君にはとうてい言えやしない、そもそも君は興味など無いだろう、しかしあるいは、もしかしたら、君は気づいているのかもしれない、僕の気持ちに。けれど、僕の気持ちがどうであれ、そのことが君の行動を変えることは無いだろうし、僕も僕の意見を変えるつもりはない。外ではイチョウの木が、乾いた風に吹かれながらはらはらと黄色い葉を落としている、まだ誰にも踏みつけられていない真っ新な美しい葉だ。

そうだね、と僕は、限りなく君に興味のないふうをよそおって答えた、ココアの入ったマグカップは時間が経ってもまだ暖かく、僕はかじかんだ指先を温めるように両手でマグカップをぎゅっと強く握りしめた。そっと目を瞑って思う、僕だって、ずっと走り続けることができるのだ。

覚えているかい君は、またイチョウの季節がやってきたよ、こんな寒い日の出来事だったんだ。

 

 

【近況報告】

長らくブログの更新を怠っておりました。このブログを読んでくれている方はいらっしゃるのだろうか。いまわたしは卒後3年目をむかえ、脳神経外科医としての1歩を歩き始めております。結構多忙な毎日を送っていますが、ひまをみつけてまた書いていきたいと思います。コメントなど下さった方、返信できず申し訳ありません。わたしの尊敬するブロガーのひとり、id:inujinさん、背中を押してくださりありがとうございます。つたない文章でございますが、この文章をいぬじんさんに捧げます。

精神科のことを書けないでいる2・希望

精神科のことを書けないでいる。

わたしは何を書きたいんだろう、この心の中にある気持ち、これを言葉にすると何という単語を使って紡ぎだされる文章になるのだろう。

なぜ書くことにたいしてナイーブになってしまうのか、そう、自分の中で上手に咀嚼できていない事柄や、裏付けとなる根拠がはっきりとしていない事柄というのは、えてして伝える相手に誤解を与えてしまいややこしいことになる。そういう気持ちに近い。

 

わたしが精神科の研修にいった病院は県内で最も大きな精神科病院だった。600床以上の大病院だ。精神科病院、つまり、精神科しか扱っていない、とても専門性の高い病院で、いちおう内科も標榜しているけれど、精神病患者さんが発熱するだとか、おなかが痛くなっただとか、そういったことを主にみていた。

そこはそれだけ大きな病院だけあって、救急治療も行っていた。『精神科救急』を行っているのだ。それは例えば、今まさに自殺しようとしている患者さんの保護、何らかの精神科疾患が疑われており、危険な行動をおこしてしまって警察につきそわれて来る患者さんの保護、そんな急性期のことも行っていた。

街にある開業医の一般的な心療内科、精神科などは、わたしも行ったことがあるし、そこでの患者さんをみたこともあるけれど、それを大きくしたバージョンです、というには少し毛色が違うように思う。

 

『精神科はどこか違うのだ、今まで内科や外科で研修してきたノウハウはほとんど使えなかった』

昨日このように書いたけれど、少し言葉足らずだったように思う、この『精神科』というのはわたしが研修をした、この急性期を扱っている病院における精神科という前置きが必要だったように思う。いや、でも、それだけではない、わたしが思っているにはこういうことだけではない、言葉がみつからない、『精神科』という言葉が広すぎるというようには思う、ただ感じるこの違和感はなんなのだろうか。偏見を持ちたくないという気持ちこそが偏見をうんでいるようにも感じる。

これまでも、学生の頃の実習で精神科という科はもちろんまわった。そこでは患者さんとビーズでキーホルダーを作ったり、バレーボールをしたり、レクリエーションや畑仕事を一緒にしたりして過ごした。そのころ別に違和感は感じていなかった。特に精神科の患者さんだからとか、そんなことはあまり意識しなかった、みんな違ってみんないい、その範疇の出来事だった。いや、でも、今でもそう思っているはずなのだけれど、なんだろう、心がうまく言葉にならなくてもどかしい。

 

研修の初日、病院へ行ったらまず事務のおねえさんが『絶対になくさないでくださいね』といって、鍵を3本、わたしにくれた。それはこの病院にある、あらゆるドアにかけられている鍵を開けるためのものだった。ああ、そうか、そういう病院へ来たのだった、そう思って、大事にポケットへしまった。

病棟にはいろいろな種類があって、まさに今救急車で運ばれてきたといった急性期の患者さんが入院する病棟、少し回復してきた患者さんが入院している病棟、もう少しで退院できそうだけどまだ外でひとりで生活するのは難しそうだねという患者さんが入院している病棟、患者さんの病態段階によっていくつかの病棟にわけられていた。

わたしは研修中だったこともあり、急性期の患者さんが入院している病棟があてられた。その病棟には、2つのドアがあった。ひとつはナースステーションへつながる廊下にあるドア、もうひとつは各々の部屋のドア、そしてそれらはどちらともに鍵がかけられていた。まあそれでも、病状が安定してきた患者さんは、各々のドアの鍵は解放することもあるようだった。

患者さんに会いにいくときには2つの鍵を開けなくてはならなかった。各々の部屋のドアは、分厚い金属製の冷たいドアだった。以前はもっと弱い感じのドアだったそうだが、壊されることが度々あったとかですごく頑丈なものになったらしい。ドアを開けるときは重い、閉めるときにも大きな音がする、ガチャン、と、結構な体重をかけなくては閉まらないドアだった。たまに、わたしがドアを閉めようとするのを自分の身体をすきまに挟んで阻止しようとする患者さんもいた。一般的に、どの科においても、医者は患者さんとの距離をとらなくてはいけないと言われている。近すぎてもいけない、離れすぎてもいけない、と。冷静に治療をしなくてはならないからだ、振り回されてはいけないし、けれど軽く流すわけでもなく、適度な距離感が、必要とされている。毎朝この鍵のついた重いドアを開けるとき、その距離感を感じていた。あたかもその距離感を具現化したようなドアだった。治療にはこのドアの存在が必要なのだ、いろんな意味において。そんな風に感じた。

 

はじめて病棟に行ったときには、多くの視線を感じた。物珍しそうに、わたしの方を見ている。見たことのないひとがいる、という純粋な興味なのだろう。みんながみんなではないけれど、精神科病院は長期入院患者が比較的多い病院である。そういった患者さんは、要は行き場がないのだ、受け入れ先がない、病院ではそれなりに生活を送れるけれど、ひとりで社会の中で生活するのは少し難しい、そんな患者さんがいる。もちろんみんながみんなではないけれども。研修中には、50年の入院生活を経て、ようやく転院が決まったという患者さんがいて、病棟の看護師さんや医者がよかったねえ、と言っていた。わたしが生まれるずっと前、それこそわたしの両親が生まれたか生まれていないかそのくらいのころからずっと、その病院に入院していたのだ。先生は言った、このくらいの大きい病院になると、もはやここがひとつの小さな社会になっている、と。長期入院のため、住所がこの病院になっている患者さんもいるそうだ。

そうか、そうなんだ・・・・とぐるぐる頭をめぐらせながら病棟を歩いていると、なんだか後ろから視線を感じるような気がした。なんだろう、と思ってふと振り返ると、患者さんが数人、わたしのうしろについてきていて、まるで小学校の登校の時みたいに、わたしが班長のようになって列になって病棟の廊下を歩いていた。

病室では、何もない床を一生懸命拭いているひとがいて、自分の病室の床一面にお菓子の包み紙を広げて自分のふるさとの町の地図を作っているひとがいて、わたしに向かってかめはめ波を打ってくるひとがいた。不思議な場所だ、けれど、別になにが違うって、なにも違わない、ただお腹が痛いように、頭が痛いように、ここにいる患者さんは精神(というかおそらく脳内の伝達経路におけるなんらかの異常、ドパミン過剰とかそういうこと)を患っているだけだ。気持ちが悪いから吐く、骨が折れているから腫れる、そういうこと、医学の世界において、結果(症状)にはかならず科学的に説明がつくような原因がある。ただその『結果』が、普段見慣れないものであるから少し驚くだけで、本質的には変わらないことなのだと思う。

 

けれどわたしが病棟内をうろうろしているとき、ナースステーションでカルテを書いているとき、そんなときに感じる動悸は、日に日に強くなっていった。患者さんと話しているあいだ、自分の手が震えていることに気が付いた。緊張ではない、その症状は、はじめよりだんだんと日を追うごとにひどくなっていったからだ。視線が嫌なわけではない、話しかけられるのが嫌なわけではない、けれど、この手が、震える。

『君は精神科は向いていない。周りの影響を受けすぎるからだ。』

ここへ研修へ来る前に、別の科のオーベンから言われた言葉を思い出していた。君は精神科には向いていない。かといって研修しませんというわけにはいかない。わたしは精神科には向いていない。わたしは、精神科には向いていない・・・そうか、そういうことなのだろうか。悔しいけれど、その症状をみる限り、確かにそうかもしれないようだった。向いていないとはなんだろう、精神科医にはなれないということなのか。ひとにはそういった適性とか合う合わないとか、そういったものがあって、もはや努力では変えられない資質、素質のようなものがあって、つまるところわたしにはその適性がないということのようだった。

でも、悔しいけれど、悔しいです、で終わりたくはないのだ。

 

午後は主に、デイサービスでやってくる患者さんと一緒にレクリエーションをして過ごすことが多かった。そこでレクリエーションをしている患者さんは、ひとが多く集まるところで活動できるということだけあって、比較的病状は落ち着いているひとが多かった。患者さんはプラバンでキーホルダーを作ったり、製菓学校の生徒さんが手伝いに来てくれてクリスマスケーキを作ったり、忘年会ではみんなでカラオケ大会をしたり、そういったことをして過ごしていた。わたしはというと、うろうろと患者さんが作業をしているところを見回って、ペンを渡したり、ケーキを配ったり、紅茶を入れたり、おいしいですかと聞きながら自分もケーキを食べさせてもらったりしていた。たまにその作業場で患者さんによるカフェが開かれていることがあって、わたしもそこにお邪魔させてもらったことがあった。カフェの机は、パイプテーブルをつなげて上にテーブルクロスをかけたような簡易的なもので、椅子はパイプ椅子だった。患者さんはエプロンをつけて、水筒に入ったコーヒーをコップにうつす作業をしていた。そして、その紙コップに入ったコーヒーと、エリーゼというお菓子をつけて、わたしのテーブルまで持って運んできてくれた。コーヒーは自動販売機で買うものよりも数倍おいしかった。コーヒーは50円だった。50円玉を手渡すと、エプロンを着た患者さんは、両手で嬉しそうに受け取ってくれた。

『ここで、患者さんは、働く練習をするんです。働くことの大変さと、楽しさを学びます。ここで慣れてくるようになると、次は本当にお金がもらえる作業所などで、働くこともできます。実際に、ここで練習をつんで、いまは作業所で働いている方もいるんですよ。』

カフェにいた作業療法士の方がそう、教えてくれた。そうか、このカフェは、そんな役割を持っていたんだ。コーヒーを持つ私の手は、そのカフェでは、震えることはなかった。急性期、回復期、慢性期。病気にはそれぞれの段階、ステージがある。それぞれのステージで、治療法というのはまた、異なってくる。発症、絶望、否認。情報、正しい情報、錯綜する情報、取捨選択。受容、理解、共感。スタート、やってみようかな、治療、治療、治療、我慢。諦め、未来、その先、未来、希望。希望、そう、希望。どんな病気であっても、治療には希望が必要なのだ。

 

コーヒーのおかげで少しあったまりながら、寒い冬の空を見上げた。12月のその日は、青いけれど、少し曇りがちな空が見えた。

 

こうやって書いてきて、なんとなく、わたしが感じていた『精神科はどこか違う』という気持ちの原因がわかってきたような気がする。

その原因は、たぶん、『責任』だ。

学生の頃といまのわたしでは、感じている『責任』の重さが違う。その責任の重さこそが、わたしが精神科という科、精神科の患者さんをみる目を変えてしまったように思う。特別にみえたのは、やっぱりわたしの側に責任があったのだ。医者として患者さんをみるとき、それは希望をもって接したいし、患者さんにとってもそうだろうと思っている。希望というのは必ずしも『完治』ということだけを指すのではなくって、疾患との共存かもしれないし、現状の維持かもしれないし、延命かもしれないし、その形がどんなものであっても、医療者側と患者側の双方が納得できるような『ビジョン』が必要なのだと思う。そのビジョンこそが希望だ。

その『ビジョン』がみえないこと、それが、わたしの感じていた『違い』の理由のひとつだったように思う。わたしからビジョンを提示することができない、患者さんからもビジョンを聞くことができない。できないから不安になるし、うわべを撫でるだけになってしまう。きっとそのやり方というのはあって、けれどそのやり方というのは、これまで内科や外科で学んできたものとは、どうも違うようだった。アプローチの仕方が違うのだろう、そして提示できる希望の切り札が、わたしには少なすぎた。

あの頃はただ患者さんと一緒にレクリエーションで遊んでいればよかった。話を聞いていればよかった。あの頃はあの頃で、なにかしらの事を考えていたのだろうけれど、立場が変わると考え方も変わるのだ。

なにか違うのではないか、と物事に対して思うとき、そこにはもしかしたら知識不足や経験不足があるのかもしれない。よくわからないものというのはえてして怖いものであるし、特殊だと考えがちだし、だからといって『あれは怖いものだ』と言い張るには根拠が弱すぎるように思う、実際見て、感じて、そうしてよく自分のなかでその物事を咀嚼しなくてはならない、それをせずして、ただ自分と違うというだけで怖いだとか、特殊だとか、そういうことは言ってはいけないように思う。

 

治療に対するビジョン、希望は、医療者側と患者側の双方が納得できるものであることが理想ではあると思うけれど、実際、そう、うまくいくことばかりではないだろう。精神科においては、患者側からの理想を、聞き出せないことも往々にしてあるだろう。

まだ世界を知らない小さな子供は、何がしたいかを言うことができない。せいぜい人間の三大欲求に従って望みをいえるくらいだ。ご飯が食べたい、眠りたい、服を替えてほしい。遊園地を知らない子供は、遊園地へ行きたいということはできない。知らない世界のことは、望みようがない。こちらが子供を遊園地へ連れて行ってあげれば、遊園地という存在を知り、そこは楽しいものだと知ることができ、次からその子供は遊園地へ行きたいという欲求を口にすることができるだろう。

 

50年間、病院の中で生活せざるを得なかったという患者さんを思う。

けれど実際にわたしはその患者さんをみたわけではないし、その50年間がどんなものだったのかはわからない。それにもしいまの社会に出たところで、病院以上の希望があったかといわれると、それは難しいことだったのかもしれない。

自分の病室の床一面に、お菓子の包み紙で自分のふるさとの町を再現している患者さんを思う。これは飛行場で、いまは飛行場はないけれど、いつかつくったらとてもべんりになると思う、と、紙飛行機を滑走路で走らせながら、その患者さんは話してくれた。すごくファンタスティックな発想だ。誰も思いつかないような発想だったり、創造だったりする。正直その部屋は、ひじょうにアートな空間だった。けれどこういったものは、ただカルテ一行に書かれるのみである、毎日、毎日、毎日。仕方のないことなのかもしれない、誰も悪いわけではない、そうするしかない日々、けれど、思ってしまう、何もできないわたしだけれど、このお菓子の包み紙の部屋の先には、なにかの希望があるのだろうか。

 

たった1か月で終わってしまって、患者さんともあまり深くかかわれないでいた。入院しているその先には、いったいなにがあったのだろうか。いったいなにが、あるのだろうか。

そういえば、近くの百貨店の一画に、作業所でつくったクッキーや人形や絵などを売っているスペースがあることを思い出した。いつも、ちらっと横目でみるだけで素通りしていた。 今度そこへ行ってみようと思う、たぶん、これまでとは違った目線で見ることができるのではないかと思っている。

精神科のことを書けないでいる

精神科のことについて書かなくてはいけないなと思っている。

12月に1か月、精神科病院で研修をした。そこで見たこと、したこと、感じたこと、書かないといけないなと思っているのに、なかなか文章にできないでいる。

例えばそれをブログに書くことで、それを発信することで、わたしは何を伝えたいのか、未だに自分の中で答えが出ていないというのは、ひとつ、理由としてある。

あとは、どうしてもナイーブになってしまう、精神科という科のこと、精神科の患者さんのこと、正直に感じたことを書くということについて。100%、わたしが実際に感じたことを、ありのまま心の声を文章にすると、正直、それはネット上で発信できるような内容ではない、のだ。ただ、学んだことは確かにあるし、現在進行形で考えていることもある。『精神病患者』、そんな名前をつけることは差別しているようにも感じる、けれど、そうはいうけれど、確かに、精神科はどこか違うのだ、今まで内科や外科で研修してきたノウハウはほとんど使えなかったし、患者さんへの接し方もこれまでとは応用がきかなかったし、使っている薬もみたことのないものが多かった。うわべを撫でて終わった1か月だったのだ、悔しいことに。そもそも研修医ができることというのは限られているし、先生たちもわたしにそれほどの期待をしていないことは分かっている。でも、それにしても、あまりに何も出来なかった。この1か月で自分として満足いく仕事を出来なかったこともそうだけど、今後、『これをもうちょっと勉強したら、きっと自分にも出来るようになるだろうな』というビジョンですら立てることが出来なかった。

患者さんは、どんな患者さんでも、ひとりの人間として診たいと思っている。

もう寝たきりになって、食事やトイレも自力でできなくなった高齢の患者さんがいる。この患者さんがここまで生きてきた道のりを考えると畏怖の念がわく。この言葉は少しおおげさすぎるのかもしれないけれど、それでも、これまでの日本を何らかの形で支えてこられて、そのおかげでわたしがこうして生きていられるのだな、と思う。お疲れ様でした、これからはわたしに少しでも支えさせてくださいね、という気持ちになる。

自己管理ができず、好き勝手食べて飲んで、タバコを吸って、重症の糖尿病になって血管がボロボロになっている中年の患者さんがいる。それでもわたしよりも年上だ、自分よりも長く生きているということだけでもそれは尊敬に値することだと感じる、若造のわたしがここまで生きてくるだけでも何度も死にそうになっているのだから、生きてきただけですごいことだと素直に思う。だからこそ、健康になってもらって、身体も心もいきいきとした人生を送って欲しいと思う。そこまで重症になる患者さんは、たいてい心が不健康になっているからそうなるのだと感じることが多いし、タバコの吸いすぎによるCOPDはとても苦しい亡くなり方をする、それはみているこちらも辛い。

 

研修中に出会った、ある精神科に入院中の患者さんは言った、『私たちは幼稚園児みたいなもんよ。そうやって接してくれたらいいのよ。』

わたしはひどく驚いた、いや、そんな風にわたしは思えないです、とっさに思った、けれどでも、わざわざそう言った患者さんは、そうして欲しかったから言ったのだろうか。普通に接していたつもりだったけれど、とまどっていたのが伝わってしまったのだろうか。その患者さんが、何を思ってその言葉をわたしにかけてくれたのかは分からない。けれど、その言葉の意味をずっと考えている。なんだかすごく難問を与えられた気持ちだ、いつか理解することができるのだろうか、自分なりに解釈することができるのだろうか。それとも、解釈しようとすることは、必要ないことなのだろうか。わからない、むずかしい、何をすればその答えに近づくことが出来る?わたしはあなたのことを、どんな形で、理解したらいいのでしょうか?

精神科の患者さん、私にとっては未知との遭遇だった。そう思うことは、差別なのだろうか。わからない、ただ、これまでの他の科で学んだ患者さんとの接し方では駄目なようだった。

 

結局思ったようなことは、1割も言葉にできていない、また少しずつ書いていこうと思う。

 

今だから言える、センター試験の話

世間ではセンター試験みたいだ。

わたしがセンター試験を受けたのも、かれこれ8年前のことになる。あの頃と問題形式や配点、出題範囲は変わってしまったりしているのだろうか。

わたしが受けたセンター試験の日は、代々言われてきていたように、寒い日だった、雪が降っていたかどうかは覚えていないけれど、ホッカイロを数個カバンに詰め込んでいったのを覚えている。

自分がセンター試験を受けたころは、自分も家族も、学校も、友達も、塾の先生も、みんなそろって\センター試験!!/といっていたから、世間はこぞってみんなセンター試験を話題にしているものかと思ったけれど、それから1年経ってまったくそんな事はないということに気が付いた。成人式のときもそうだった。いつだって人間は、自分を中心に考えがちなのだ。

けれど、こうしてセンター試験のことを書いているだけで、わたしは身体が震えてしまうくらい、今でも思いだすと、緊張するというか、武者震いみたいなふるえがでるほど、センター試験の日のことはよく覚えている。センター試験は、確かにそのくらい、大切な日だった。

 

甲子園には魔物が住んでいるというけれど、センター試験にも、魔物が住んでいる。

それは、なぜか、どの年にもあらわれるようで、自分が気を付けていても防ぎようのない魔物が、忌まわしきセンター試験の問題製作者によって、試験用紙上に放たれているようだ。わたしが受けた年は、1匹は確か、英語に住んでいた。配られた問題用紙が例年の3倍以上の厚みがあった。普段の模試で配られるような厚みではなく、なんかすごく異様に厚い。しん・・とした教室の中、誰も声にはださないけれど、みんな分厚すぎる問題用紙を目の前にして『・・・・????』となっていた。

わたしは考えた、問題用紙が厚いということは、それはつまるところ、問題文が例年より増やされたということに他ならない。普段のペースで問題を解いたのでは時間が足りなくなってしまうのは明らかだ。ということは、簡単そうな問題から選別して解いていかなくてはならない、けれどおそらくこれほど問題文が増えたということは今まで出されたことのない新たな問題形式が付け加えられているに違いない、つまり新問題が追加されているに違いない、まずはその例年にはなかった『新問題』をみつけてその難易度の判断をしよう、センター試験は『大多数が正解する問題を落とさない』ことが重要だ、みんながつまづくとしたらそれは『新問題』、そこが難しければためらわずに後回し、そこが簡単そうなら心を落ち着かせるために新問題から解こう、わたしは『はじめ』の合図の前にこのことを考え、ひとまず試験が始まったら、全ページにざっと目を通すことから始めた。

 

センター試験では、何が起こるかわからない。普段と違うことが起きる可能性だって十分にある。その難易度を冷静に判断することが重要かな、って思う。特に新しい問題というのは、みんなびびるし、正答率は普段よりも落ちるはず、パニックにならずに『きっとみんなできてないでしょう・・・』って冷静になることが大事かなって思う。

センター試験は今でも青本と呼ばれる問題集で勉強しているのだろうか。わたしは特にセンター試験の勉強はしなくって、二次試験の勉強をしていればセンター試験は解けると教わっていたから青本を解いたのはセンター試験の直前の1ヶ月前くらいで、ささっと目を通した位だった。センターで8割、9割を目指しているひとなら、センター試験では、正答率を意識したらいいと思う。問題を解いてみて、この問題なら正答率はこのくらいかな、と予測してみるのだ。それがだいたい当たるようになると、見たことない問題、難しいと思える問題も、あ、これは多分正答率が悪いなと、かなりの自信を持って思えるようになるだろう、そうすると少し落ち着けると思う。これはすごく大切なことで、いくら9割目指していても1問2問落としたって大丈夫、それよりそれに引きずられて解ける問題を落としてしまうのが問題だ。

 

あとわたしの年のもう1匹は、英語のリスニングにいたらしい。わたしは気づかなかったのだけれど、リスニングでの音声に、出題者のすごく近い吐息が同時に吹き込まれていたらしい。たぶん、それに一回気づいちゃったらもうだめになっちゃうパターンの雑音だったようだ。わたしは幸運にもそれに気づかなかったからよかったけれど、気づいちゃった友達は、魔物に30分(だったかな?)追い回されたようだ。

 

それからというもの、例年のように、PAT様とか、スピンスピンスピンとかなんとか、いろんな魔物が性懲り無く放たれているみたいだ。受験生はほんとうにかわいそうに思う。今年は数ⅡBが鬼門だったようだ。だいじょうぶ、わたしたちの年も数ⅠAにちょっとした魔物がいてわたしは予想点数の2/3しか取れない大誤算が起きたけれど、それからおちこんだりもしたけれどわたしはげんきです。

 

 

 

センター試験を受ける、あの頃のわたしへ。

 

今だから言えるけれど、あなたのクラスのKくんは、センター成金長者になります。センター成金長者とは、普段の模試の予想より、運良く超いい点数をとる子のことです。こういうセンター成金長者も、ある意味センター試験の魔物かもしれません。

 

今だから言えるけれど、母の、医学部に入ったら何してもいい、という言葉は嘘です。手のひらを返したように、やっぱりうるさく口を挟んできます。もう高校3年生なんだから、自分のことは自分で責任をとりなさい。そんな言葉に自分の道を委ねているようでは、途中で路頭に迷います。それは自分で選んだ道、いつまでも母の言いなりになることが、親孝行ではありません。

 

今だから言えるけれど、センター試験で人生は決まりません。もしこれをセンター試験を受ける誰かが読んでくれたとしたら、もしかして、そんなの嘘だと思うかもしれません。大人はみんなそう言うけれど、このセンター試験で人生の大部分は決まるんだ、と思うかもしれません。かつてのわたしも、そう、思うでしょう。けれどこれはほんとうのこと、センター試験で人生は決まりません。確かにあなたが今から進む、ほんの少しの先に繋がる道は、センター試験で決まります。けれど、道はその先、とても長く長く続いています、今のあなたが想像なんて到底出来ないくらい長い道が、そしてその中では、予想もつかない出来事が、必ず起きます。一寸先は闇だし、棚からはぼた餅が落ちてくる、それが人生です。落ち込んでも、自分を否定されたように感じても、センター試験で測られるのはあくまで勉強の実力、人間性まで否定される訳ではありません。そこで心を強く持って、そこでぐっと耐えて、未来のあなたはきっと強くなる。

 

今だから言えるけれど、大事なことは何なのか、もう一度考えて欲しい。あなたにとって、ほんとうに大事なことはなんですか。あなたがほんとうにやりたいことはなんですか。センター試験で人生は決まらないけれど、ひとつの大きな区切りではあります。そこに来るまでの道のり、一歩一歩大切に歩んできましたか。その道のりは、意外と後から振り返るもので、意外とセンター試験の点数よりも、心の支えになるものです。もう目の前に門があるのなら、自分だけを信じて進むしかないです。でも門をひとつくぐっても、またその先には門があります。ひとつくぐったところで、体力がなくなってしまわないように、やる気がなくなってしまわないように、その先、ずっとずっと先を、見据えていてください。

 

 

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そうは言っても、今だから言えることは、今だから言えることなわけで。

偉そうなことを言ってみたものの、わたしの先にいる未来のわたしは、今のわたしをみて、今だから言えるけど…とかなんとか言っているのだろう。

 

受験生は、大人の言うことに耳を傾けず、自分だけを信じて後先考えずに突っ走ることができるパワーこそが強味‼︎だからこんな文章、素通りしちゃってください。

たぶん、予備校の先生なんかは、センター試験など通過点!勝負は二次試験なのだー‼︎とかなんとか言っている頃だろうし、大事なことはきっともう、自分でわかってるはず。

 

今のわたしも、もう少し先にいるわたしのために、次の門まで、一歩一歩大切に歩いていかないといけないな。

 

 

今年の受験生のみんなにすてきなサクラが咲きますように。

頑張れ受験生⁽⁽٩(๑˃̶͈̀ ᗨ ˂̶͈́)۶⁾⁾ 

 

トピック「センター試験」について

今週のお題「今だから言えること」