世界を食べたキミは無敵。

小さい頃おいしゃさんごっこをして遊んでいて、いつか大人になってもずっと続けている、そんな人生

親切にするということ

 

しん-せつ【親切/深切】

1.相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。

2.(深切)心の底からすること。また、そのさま。

ーgoo辞書より抜粋

 

 親切、あるいは、親切にする、という言葉の意味についてここ最近考えるきっかけとなったのは、ある日の仕事の帰り道、渋滞の中トロトロと進む車を運転しているときのことだった。

その道は片側3車線の道路で、一番左側の車線は、その先の交差点で左折専用レーンとなる車線だった。帰宅ラッシュで道路は混んでいた。車は長い列を作り、ずいぶん前から先は見えず、車線変更も難しい状態になっていた。毎日通っているひとなら左折専用レーンに入らないように、前もって右側の2車線のどちらかに並んでおくことができる、実際その日も、一番左側のレーンは、右側の2車線に比べて幾分空いていた。私は真ん中のレーンの列に並び、進まない前の車のおしりの赤いランプをぼーっと見ていた。

交差点が近づいてくると、一番左側のレーンにいた一台の車が、慌てて車線変更をしようとしているのが見えた。おそらくこの道に不慣れな運転者で、その一番空いていたレーンが左折専用レーンになることを知らなかったのだろう。長い車の列に、交差点の手前で車線変更して入り込むことは難しい、チカチカと光るウインカーが焦っているように見えた。

あー、と思って眺めていたら、私の前の方にいた一台の車が止まって、その車を入れてあげた。私はその前の方の親切な車がスピードを緩めたため、ブレーキをかけた。親切な一台の車よりうしろにいた私の車をはじめ、ずっと後方に続いているこの列の車たちは、その一台の車を入れるために、一斉にブレーキを踏むことになった。もうずっと後ろの方にいる車は、なんでブレーキを踏んだのかよくわからないだろう。

 

バタフライ効果】(バタフライこうか、英:butterfly effect)

力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。

バタフライ効果(butterfly effect)という表現は、気象学者のエドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル”Predictability:Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?"(予測可能性:ブラジルで1匹の蝶がはばたくとテキサスで竜巻が起こるか?)に由来すると考えられている。

Wikipediaより抜粋

 

 

道をゆずったのは親切な一台の車だけれど、それ以降に並んでいた車たちの運転手は、その車と同じもしくはそれ以上の時間と労力を使った。確かにきっかけはその一台の車だったし、その車が親切心をみせなければ・・・・他の誰かが道をゆずったかもしれないし、もしかしたら可哀想な車はすごすごと左折せざるを得なかったかもしれないし、それは分からない。

 

親切にするということについて、それ以来、思い出したらときどき考えている。

グッドバイ・世界

グッドバイ世界から知ることもできない

不確かな未来へ舵を切る

 

グッドバイ世界には見ることもできない

不確かな果実の皮を剥く

 

 ーサカナクション『グッドバイ』

 

 

1月のある日、Facebookを開いたら、お知らせマークが点灯していた。誰かからのメッセージがあったか、誰かの誕生日だったか。いつものようにそれを開くと

『今日は●●の誕生日です。お祝いしましょう。』

その名前は、あの、自殺した友人の名前だった。

すとん、と、何か浅いところに心が不時着したように、ゴルフボールが、バンカーに落ちるようにすとん、と、頭が一瞬真っ白になった。

彼がいなくなった後も、どうやらFacebookは削除されていなかったらしい、残酷なまでにきっちりと、データは歳を刻んでいた、ご丁寧にそれを彼の友人みんなに報告してくれていた。もう歳を取らなくなってしまった現実の彼とは違って。着実に歳をとっていく私たちを置いて彼は遠くへ行ってしまった。いや、それは逆で、置いていっているのは私たちの方で、徐々に徐々に、私たちは彼から遠ざかっていくのだ、これから先、ずっと生きていく限り、ずっと。この距離は離れてゆく一方で、長い長い道の途中、幼く寂しそうな顔でずっと立ち止まったまま離れていく私たちをみつめている彼を想像してしまって、悲しくなった。まだそれほど時間は経っていないように感じるけれど、もう1年半、だ。成長していかない、変わっていくことのない、というのはこんなにも切ないことなのだと初めて知った。私たちは変わっていないようで、変わっていっているんだ、身体の成長、こころの変化、危うい関係性。

 

バンカーはさらさらの砂、もがいてももがいても出られない蟻地獄のような、さらさらの砂。

 『元気?』私はメールを送った。

 

ーーーー

4年前だったか、5年前だったか、今でも一番親しいと思っている親友から

『次の誕生日に死のうと思ってる。それが支えで、今は頑張れている。』

とメールが来たことがあった。

その頃は自分にも心の余裕がなく、金銭的にも余裕がなくて、遠く離れた彼女に会いにいくことができなかった。長文のメールを返信することしか出来なかった。彼女はとても繊細で脆い、複雑な生い立ちと彼女の才能があいまって、すごく大きな闇を背負っているような子だった。必然ともいうべき道をたどっていってしまっていて、たまに共通の友人から彼女に関する話を聞くことしかできなくて、私はやり切れない気持ちでいた。

なんで私は近くにいないんだろう。

かいつまんで話されたハイライトの情報では、彼女の心情を理解するのは困難だった。ただでさえ一緒にいたって相手の心なんてわからないのに、話を聞いただけで彼女の心を推し量るのは難しいことだった。ましてや彼女は弱音を吐かないし、いつだって強がっていて本当のことを言わない、人一倍寂しがり屋で誰かに理解されたがっていて、なのに自分の気持ちなんてわからせるもんか、そんな風に思えるくらい強気な子だった、今でもそうだけれど。

何があって、その考えに至ったのか、そのプロセスを知りたかった。助けの手を差し伸べるためには、情報が必要だった、彼女が求めている的確な答えはなんだろう。

 

結局、その後彼女は病院や(私の知らない誰か)に助けられて、どん底の時期を乗り越えて、今でも生きている。あの時有効と思えることが何も出来なかった私は、今でもそのことがしこりとして心に残っている。

Facebookでの誕生日事件があってから、彼女とのそんな想い出を思い出して、『元気?』と私は彼女にメールを送った。すぐに返信がきた、メールを見る限りの彼女は元気そうだった、そうだろう、つい先日会ったばかりなのだから知っている。

 

『あの時はそうするしかないと思ってたよ』

と彼女は自分が一番辛かった時のことを話してくれた。

『がんばるよ』

『どんなに死にたくても』

『ここまで生きてきたから』

『あの時ふんばった自分がかわいそうだなと思って。死んだら。』

私は自分のために、彼女には生きていてもらわないと困る、もう二度とあんな形で友人を失うのはごめんだから。だからよかった、少し安心した、過去の彼女が、今と未来の彼女を支えているようだった。まだ、彼女と私の時間は、たくさんあるようだ、まだ一緒に歩いて行ける、それって本当に、本当に、素晴らしいことなんだ。

 

自殺した友人は、生前、親に『自分には友達がいない』と常々言っていたらしい。

それを彼の実家にお線香をあげにいって、両親から聞いたとき、何とも悔しくてやり切れない気持ちになった、彼にはじめてバカヤロー!と叫びたくなった。友達だと思っていた私の気持ちは、どうやら一歩通行だったらしい。それ以来、まるで中学生の女の子同士のように、『私のこと友達って思ってくれている?』と聞く癖がついてしまった、バカみたいだと自分でも分かっている、そしてその返答として『友達だと思っているに決まっているじゃん』と笑って返されるそれが本当の気持ちじゃないかもしれないことだとも分かっている、それでも、発した言葉は事実として私の心に残る。そのための自己満足だ。

今思えば、バカヤローと叫びたかったのは、自分に向けてだったのかもしれない、そうだ、半分以上は、そんな気がしている。友達だと思っていたのに、何も出来なかった自分への怒りだった、私は友達失格だった、のかもしれない。友達だよね?うん友達だよ、というのはてっとり早く、そして最も愚かな友達の確認方法のひとつだろうな、とぼんやり思う。何をしたら友達なのか、どうしたら友達じゃないのか、よくわからないけれど、あまり深く考えてもいい事がないよ、友達だと言われて嫌に思う人はそういないから、と以前誰かに言われた言葉を、私はそれ以来頼りにしている。『トモダチ』は人を分類するときの識別記号で、たぶん基準は主観的で自分にあるだろうから、まあ、多めに使っても悪いことはないんじゃないかな、と思っている。

 

”完璧に分かり合える事なんて一生出来ない、って分かってたからサヨナラしたのかも”

 

私は彼女に、例の友人の一連の出来事について話していた。同時に、彼女が生きていることは私にとってとても大切で、重要な意味を持つのだと。

『最終的に、友達がいない、という気持ちが勝ってしまったのかもしれないけど、きっと、あかめのこと友達だと思ってた時間もあると思う』

『どっちかひとつの気持ちしかないなんてことはないんじゃないかな』

彼女は優しい。ひとの気持ちのグレーの部分を、曖昧に丁寧になぞってくれる。

ああ、そうだといいな。うん、ほんとうに、そうだったらいいなと思うよ。

例え物理的に近くにいなかったとしても、言葉だったり、想い出だったり、そんな目に見えないようなものでも、それは人に影響を与えることがある。そんなことは、多々、ある。私と彼女をつなぐ見えない糸は、長い距離をまたいでいるけれど、しっかりつながっているのが、今ははっきりと分かる、たまにぼやけて見えなくなるからその時には確認をする。そして、それはもう存在しないひととだってつながることの出来る、見えない糸であって、天国にいる彼とはもっと長い途方もない長い距離をまたいでいるけれど、きっとしっかりつながっている。彼はたまにその糸を引っ張っていたずらをするので、私は気づく、つながっていることを。

天国にいる彼は、今でも私を救ってくれている。私にも、私の周りをつなぐ糸にも影響を与えている。そういう形で一緒に歩いていこう。

 

 

どうだろう 僕にはみることができない

ありふれた幸せいくつあるだろう

 

どうだろう 僕らが知ることのできない

ありふれた別れもいくつあるだろう

 

グッドバイ 世界から何を歌うんだろう

グッドバイ 世界 世界 世界・・・

 

沖縄の風は、泡盛の香り

きょうもいい天気、ピシッと引き締まるような冷たい風、空を見上げれば冬の雲。意外とまだ暖かい11月。はあっと吐き出した息は、白く染まらない。『女の子は、ちょっとバカな方が可愛いですよ。わかりませ~ん、ってきゃぴきゃぴ言っておく方が得するんです。』女の子をなめているかのような言葉を思い出しながら、少し考える、そんな女の子にはなりたくはない、と。ぎゅーんと時間がワープする、パラパラパラと昔の映画のフィルムのように映像が逆回転、そう、あれは数日前のわたし、直ぐに答えられなかった質問に『あ、あはは、わかりません』の困った笑顔で答えたわたし、ぎゅーーんとさらに時間がワープして戻る、そんな女の子にはなりたくはない、と言うわたしは、少しその先へワープして、自分を正当化する為に意見を変えた。

最近こんなことがありました、とか報告するに値しないような出来事でわたしの毎日は出来上がっていて、それこそが本質なんじゃないかと思うけれど、そんなことは論じるに値しない、どちらでもかまわないのだ、キラキラとしているかけらなんですかそれは、ということが大事、と運転しながら通勤路を少し遠回りしながら思う、真っ直ぐ行ったのではセブンイレブンへ寄っていけないのだ、少し遠回りしなければ。セブンイレブンは最近少しいい感じ、店内に並んでいる商品はキラキラしたフィルターがかかって見える、つまりどれも魅力的で購買意欲をそそられる。

セブンイレブンでは700円の買い物をするごとにくじが1枚ひけるキャンペーンをやっていて、わたしは1500円くらいの買い物をしていたので、2枚ひける、と思いながらわくわくしてレジに並んでいた。前に並んでいた男の人は1枚引いて、カフェオレが当たっていた、あ、こんな商品がもらえるんだ。わくわくー。そうしてやってきたわたしの順番、がさごそがさごそしっかりかき回します、くじの箱のすみずみまで、はいこれーって引いたくじは、新発売のカロリミットドリンクと、ウコンの力でした、なんという忘年会仕様・・・女子力のかけらもなくってあんまりキラキラしてないと思った、セヴンイレヴン最高。

 

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沖縄は異国の地だった。現地のひと沖縄人は、喋り方がどことなく日本に長らく住んでいる外国人のような、独特のイントネーションをしていて、暖かいのに寒いさむいと言いながら長袖のスウェットを着て震えていた。わたしはその隣でノースリーブのワンピースを着ていて、ちんすこうにはラードが使われていることに感動していた。バターの代わりにラード、そこがクッキーとちんすこうの違いらしい。お酒といえば泡盛で、上司はこれって段ボールのにおいがする、とはしゃぎながら、カラコロと音を立てる氷の入った琉球グラスに注いだ泡盛(残波・黒、通称ザンクロ)を12回転半かき回して、12回転でもだめ、13回転でもだめなんだよ、と言いながら満足そうに飲み干した。わたしはどうしても匂いが気になって、あまりすすまなかったのだけれど、泡盛コーヒー割り、というものを頼んだのだけれどそれがびっくりするほど美味で、泡盛は割ると美味しく呑めるのだということに気づいてからは泡盛が好きになれた。あとハイビスカス酢で割ったものも美味しかった。あまり泡盛の味が分からない子なのだ。ラフテー

沖縄最後の日は、相変わらずのいい天気で暖かかった。青い空、白い雲、なまぬるい風、やや茶色がかったヤシの木のような南国植物、ガジュマルの木。那覇空港に向かうタクシーの運転手さんに、まだやや体内にアルコールが残っている、と感じながら、泡盛のことを話した。

割ると美味しいよね、うんうん、若い女の子はそう飲むのがいいよ、僕も昔はコーラで割ったよ、うん、飲みやすいよね、あとビールやワインで割ったりしてた、え?、そうそう、アルコールをアルコールで割るんだよ、おかしいでしょ、あとねー、奥さんが妊娠してた時は母乳で割って飲んだりしてた、なんか変なにおいがするーってみんなで笑いながらね、

途中までは相槌など打って笑いながら聞いていたのだけれど、母乳割りのくだりでなんとなく、ええー、と思ってしまった。ははあ、と微妙な笑いをふりしぼって、残っているお酒のせいにして目を閉じた。

 

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沖縄は暖かかったなあ、と名残惜しく感じていたのだけれど、本州も拍子抜けするほど暖かかった。けれど沖縄とは違う風が吹いている。まだ、息は白く染まらない。

もうすぐ11月も終わる。

産まれたばかりのひよこは、ピヨピヨ喚くことが仕事である

かれこれ1か月以上ブログを放置してしまっていた。

生存確認ブログすら更新しておらず、あかりクンから生きてる?ってTwitterもらって申し訳ない気持ちになった。

一度書かなくなるとなんとなく書き方を忘れてしまって、どんな気持ちでどんな風に書いていたのか、はてなが好きだったからこそなんとなく戻りづらい気持ちもあったりして、罪悪感のような、そんな気持ちもなかった訳ではないけれど、さっきこちらもしばらく放置していたTwitterを何気なくしてみたらソッコーでズイショさんから返信もらって、背中を押された感じがしたので、気の向くままに書いてみようかなあと思う。

 

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最近は、というと、変わりなく仕事をする毎日なのですけれど、最近は、というと、来年度の就職先の病院が決まったことと、それに伴って自分の専門とする科が決まったことが、ここ1か月のハイライトだったように思います。

 

就職先の病院が決まった、というのは、いわゆる一般的な就活のように思ってもらったらいいのですけど、試験のようなものがあって、病院によってペーパーテストがあったりするところもあるんですけど、わたしが受けた病院は面接試験だけがあるところでした。

研修医が面接試験で聞かれる質問というのは、ある程度テンプレートのような質問がいくつかあって、例えば、『なぜ医者を目指そうと思ったのか』だったり『初期研修を通して学んだことは?』だったり、そんなような質問はあらかじめ答えを考えておいたりします。

 

かれこれ2年前、わたしが初期研修で選んだ病院(つまり今の職場)の面接で、こんな質問をされました。

『医者、という職業はどんな職業だと思いますか?』

これはいわゆるテンプレートの質問の部類に入る質問なので、研修医であれば試験前に一度は考えたことのある問題なのではないかなと思います。とは言っても、かなり広い質問で、どんな風にも答えられるような質問であり、答えもどう捉えるかは受け取った人次第といった柔軟性のある質問ですよね。

考えていたとはいえ、すぐに答えのでる問題ではなく、改めて1か月くらいは考えたと思います。もっと言えば、もうずっと、物心ついたころから漠然と考えていて、その時その時の歳を経た自分に応じて答えが変わっていた質問だったように思います。

 

24歳、わたしが6年間の学生生活を経て出した答えは、

『医者は裏方の仕事である』

というものでした。その時のメモには、『医者は裏方の仕事である。患者さんが人生という表舞台から、やむを得ず降りなくてはならなくなって、やって来る場所が病院である。なので病院は舞台裏であり、そこで働く医者は、裏方である。』と書いてあります。

まあ、こんな答えは臨床経験のない若造が考えた答えであって、実際の面接でこのように答えたら、試験官の先生には『現場では医者が指揮をとらないといけないから、堂々としていないといけないよ』と言われました。おそらく先生は、医者がリーダーとして指示を出さないといけない現場での『裏方』をイメージされたのでしょう。

 

ふーん、まあ、そうかあ、と思ったりしていて、2年弱、現場で働いてみて、わたしがやっぱり思うのは、医者は裏方だという気持ちは忘れてはいけないな、ということでした。

指揮をとるな、とか、目立つな、という訳ではありません。

ただ、病院の目的ってなんだろうな、ということです。医者の目的ってなんだろうな、ということです。

常連様のようによくいらっしゃるご老人の方が外来にいらっしゃって、もっぱら外出するのは病院の受診日だけ、と話されているのを聞くと、なんとなく不健康に感じてしまうのです。そのような方々が集まって、待合室で世間話に花を咲かせているのをみると、なんとなく、違うよなあ、と思ってしまうのです。もちろん、ずっとおうちに引きこもるよりは、定期的に病院にでも来て誰かとお話する方がいいのでしょうけど、それはそれこそデイサービスや公園や、それ専用の場所でして頂くのがいいのであって、病院は舞台裏であって欲しいなあと思うのです。

もちろん、何らかの理由でずっと入院を余儀なくされている患者さんなどもいらっしゃるので、一概には言えないんですけど。自分の足で外を歩いて、自分の手で明日をつくってゆける人には、病院は舞台裏であって欲しいと思います。それが一人で出来ない患者さんには、もうひとつの手や足を与えたい。そして医者は、患者さんが表舞台で活躍できるように、デザイナーやメイクアップアーティストのように患者さんを輝かせることのできる、寡黙な職人のような裏方の存在であったらいいなあと思うのです。

 

甘い考えなんでしょうか、理想論なんでしょうか。まだ現場の裏の裏がみえていないひよっこの考えなんでしょうか。

 

これから先も、きっと節目ふしめで、考えてゆくことになるんでしょう。その時にはきっと今とは違った考えになっているだろうし、だからこそ何度も自分に問うていきたい。そんな風に思う、めっきり冬の空気になってきたここ最近、わたしは、そんな感じで過ごしています。

 

 

 

わたしの大切なf(x)

あなたのかけらをください

形のある物を

想い出だけで生きてゆくなんて

まだ出来そうにない

 

―『あなたのかけら』 華原朋美

 

地球、いや、宇宙は、どうやって生まれたのだろうか。

私たちの周りには形のあるものが溢れている。それらのものは細かく細かくしてゆくといずれ原子の集合体になるのだけれど、その原子は何から生まれたのだろうか。

何かを作る時には必ず材料が必要であるはずなのに、宇宙はどうやって生まれたのだろう。0から1を生み出すことがなぜ出来たのだろう。そんなことを考えているといつも思考が停止するので、創造主が『これ以上考えてはいけないのだよ』と私の思考を止めているように感じる。STAFF ONLYの領域に踏み込むことはできない。今現在の人類の知識で宇宙の誕生を説明することは可能なのだろうか。仮に出来たとしても、その説明は私が聞いても理解できないSTAFF ONLYの世界なのだろうけど。

 

私にも、誰にでも、『自分の意思』というものがあって、たとえば人はAという物事が起きた時にBという行動を起こす、その『自分の意思』はf(x)のような働きをしていて、人の行動はB=f(A)となる。この私たちのf(x)は、ひとりひとり持っている唯一無二のもので、今日の晩御飯にラーメンを食べることを選ぶという行動ひとつとっても、それはおなかのすき具合、昨日の晩御飯、自分の金銭状況、最近聞いた評判、もうあらゆるファクターをf(x)に放り込んだら、カタカタカタ、チーン、と『今日はラーメン食べよう』という答えがはじき出されているはずなのだ。

 

私たちの行動は、反射的行動を除外して、すべてそれぞれの持つf(x)から導きされた答えであるはずだ。この、大事なf(x)、私がこれまで自分の頭の中で育ててきたf(x)は、0から自分が生み出したものかと言われるとそんなことはなくって、私の行動は、私の意思によって起こされるものなのだけれど、その意思を決定するf(x)は、私以外の人の『かけら』がたくさん埋め込まれている数式なのだ。

 

私はつい人の真似をしてしまう、それは好きな人の行動を無意識に真似してしまうという『ミラーリング』と同じような気持ちだと思うのだけれど、この人いいな、と思った人の行動であったり口癖であったりを、意識的に真似してしまう。露骨にやりすぎると真似された相手は不快に思うだろうので、出来るだけこっそり真似するようにしている。

いいなと思う人はいつもすぐ傍で感じていたい、それならばその人のかけらを私の中に埋め込んでしまおう。

 

私の大好きな初めてのオーベンは、カルテに『粛々と検査を.』と書くのが癖だった。あと、『句読点の理系スタイル(,や.を使うスタイル)』(id:islandkさま、B※ありがとうございます)はオーベンのスタイルだった。私は、粛々と検査することをモットーとし、理系スタイルでカルテを書くようになった。

 

私の大好きな神経内科オーベンは、外来で必ず立って患者さんを迎え入れ、患者さんが椅子に座るまで自分は椅子に座らなかった。私は自分が外来をするときには、患者さんを立って迎え入れ、患者さんが椅子に座るまで待つことにした。

 

何か小さなことでも、その人の行動の癖や、いつも飲んでいる飲み物や食べ物、そんなものを私はこっそり自分のf(x)に組み込んで、なにか選択をするときにその人を思い出し、ひそかに嬉しくなったりしている。もはや思い出すことのないくらい自分のものとなってしまったかけらもある。ブログなんかではつい好きなブロガーさんの書き方を真似してしまう。(あまり大きい声でいうとストーカーチック、これはある一人の人に対してやっている行動ではないですので、どうぞご理解を泣)

 

これまで色々な出会いと別れがあった、たとえ離れて直ぐに会えなくなっても、f(x)にかけらがあるから少しだけ傍に感じられる。私は寂しがりやで人に流されやすい性格なので、私のf(x)は色々な人のかけらだらけになってしまっているけれど、まあそれでも唯一無二なのでそれでいいやと思っている。たまに自分がない、とか、自分で決められない、とか悩むこともあるけれど、程度の差こそあれf(x)はみんな誰かのかけらが埋め込まれている代物なんだと思う。

東京はすごく不思議なところだ。私のf(x)に埋め込まれているかけらのオリジナルを持つ人はたいてい東京にいる。ブロガーさんも東京在住の方が多いように思う。

 

あなたの大切なf(x)は、誰のかけらが?

 

 

最近少し忙しいです(´;ω;`)生存確認はこちらでできます!!

ウエディング・ナイト

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結婚式に行ってきた.


新郎も新婦も同じ大学で,2人とも私の仲のいい友達だった.そして大学時代の友人が全国各地からたくさん集まって本当に素晴らしい披露宴となった.素敵な2人だったのでさすがの求心力を感じる,同窓会より出席率がいいんじゃないか.おもてなしの心溢れる,2人らしい式,遠方の参加者が多い事を考えてくれたのか余興なし,なのにテーブルは大盛りあがり,運ばれてくる料理,ウエイトレスさんがお皿の蓋を開けるとそこには美味しそうな魚の燻製,なのに私のお皿にだけ好物のブラックサンダーがひとつ.イタズラ好きの新婦からの逆サプライズ,私も大笑い.とにかく笑顔と涙の溢れる会場,あっさり終わった"お母さんへの手紙"に,新婦の飾らない性格をみて,変わってないねとなぜか私たち友人が涙.1年半という月日はあっという間に飛び越せる、その瞬間を味わった.



写真は結婚式の余韻の味がした,チョコレート・パフェ.
披露宴の後の甘い甘いひと時,夢みたいな時間,お酒も入って本当にまどろんだ溶けるような夜,騒ぐ友,飲んで飲んで飲んで笑って,夜風にあたって少し泣いて.ホテルで目が覚めた後も幸せは夢ではなく,飛行機を待つ少しのあいだ,それぞれの場所へ帰る友と最後の時間を味わう,1人またひとりとそれぞれの活躍する場へと帰っていく,見送る側と見送られる側,長いさよならはみんな好まない,さらりと『またね,体に気をつけて』,これだけでお互い通じ合える.6年間の絆.不思議なくらい,頑張れという言葉は聞かれなかったし言わなかった,顔をみれば頑張ってることくらい解るんだ.

チョコレート・パフェは結婚式の余韻の味がした.気の置けない女友達と,なんだろう,何を喋ったんだったっけ,忘れちゃったけど,とにかく誰もが未来をみてた.3年目はどこへ行くか,何を専攻するか,彼氏との未来,新しい出会い,ものすごくみんなキラキラしていた.悩んでる表情ですら,いつかこの日を懐かしく思う日が来るんだろうなと今解らせるくらいはっきりと美しい.

いつかまた,どこかで.
それまで,それぞれの場所で頑張ろう.また会える,この日を忘れないよ.

(独白)

少し、自分のことについて書いてみようと思う。


たいていブログはある程度読んでくれている人を想定して書くものだと思うし、わたしもある程度読んでくれる人がいる想定で書いてきた。読んでくれる相手に伝えたい事を書くという意味だけでなく、万が一大勢の人の目にさらされることがあっても、恥ずかしいことのないような文章や内容で書く、という意味において、相手がいるという想定で書いてきた。

 

自分の生い立ちとか、そういったもの、書いてもだれも興味ないと思ってしまう(という割には人のものを読むのは好きなのだけれど)ので躊躇していたけれど、なんとなく書いてみようかな、と思う。完全に自己満足だ。秋の空気感は、独白に向いているとわたしは思う。ついうっかり、余計なことまで喋らせてしまう季節が、秋だと思う。少しだけ、必要かもしれない、これを書き留めておくことは。と、ほんの少しだけ思う。

 

★★★


わたしがこのブログをはじめた6月は仕事が比較的忙しくない時期だった。その当時は6時には仕事が終わることもあったし、土日も休みだった。その上県外に研修へ行っていたため、遊びに誘える友達もおらず、かなり暇を持て余していた。なんとなく、暇つぶしみたいな形で、ブログ書いてみようかなーと思ったのだ。

 

わたしにはその時(今もだけど)心の中でずっと抱えていた出来事があった。


それは昨年、友人が自殺したという出来事だった。


ブログを始めた当初は、彼の自殺に関するエントリをいくつか書いたけれど、色々思うところがあって今は消してしまった。

本当にかいつまんで簡単にいうと、彼とは一緒に辛いことを乗り越えて、悩みを分かち合い、バカやって遊んだ友達だった。なんだかんだあったけど乗り越えてきて、ようやく楽しいことが待っているね、というところまで来たのに、彼は自殺という道を選んでしまった。

 

聞いたときは、信じられなかった。

でもその反面、『ああ、ついに』という思いも、なかったかと言われれば嘘になる。

そういう風に思わせる子だったのだ。そういう風に思わせる子だったけど、だからといって悲しみが和らぐかといわれると全くそんなことはなかった。当時一番辛かったのは、この世界にサヨナラする時に彼はどんな表情をしていたのだろう、ということを想像してしまう瞬間だった。考えないように、考えないように、と思っても、どうしてもその瞬間の彼の表情、感情を想像してしまって、どうしようもない気持ちになった。

 

それは、ある毒薬を飲んだようだった。

彼の死を聞いたとき、私の口から大量の毒薬が注ぎ込まれた。

その毒薬は、口を爛れさせ、食道にびらんを作り、胃を荒れさせ、いてもたってもいられない激痛のような苦しみをわたしに与えた。

けれども痛みはほんの少しずつ、少しずつ、治まっていった。徐々に、その毒薬はわたしの体内に吸収されていって、代謝され、解毒されていった。解毒が進むにつれて、その毒薬は、ただ単に痛みを与えるだけのものではなくなっていった。

その毒薬は代謝されて排泄されるタイプのものではなく、解毒されても体内に残るタイプの毒薬だった。

無毒化した後も、その物質はわたしの体のあちこちで石灰化して存在し続けていて、毒薬を飲んだことを忘れかけていた時に、ふと身体を動かすとチクッと痛ませた。その痛みを感じるたびに、わたしは毒薬を飲んだことを、彼がもういないことを思い出している、未だにずっと、そしてこれからもずっとそうであり続けるのだろう。

 

わたしが読ませて頂いているいくつかのブログでも、ちょくちょく自殺についてのエントリをみかける。その相手が自分とどのくらい近かったかでまた思うことは異なるとは思うのだけれど、やはりその爪痕は大きい。それくらい、自殺というのは、残されたものにダメージを与えるものなのだなあと感じる。

 

彼は就職で県外に行っていた、県外の友達というのは1年に1回会えるか会えないかというくらいだと思うのだけど、そうなってくると、本当に彼がもうこの世界にいないということが実感できないことがある。どこか遠くの外国にでもいっているだけなのではないか、この世界のどこかで生きているはずだと、願ってしまう、思い込もうとしてしまうこともあった。

わたしは彼の家にお線香をあげさせてもらいに行った時に、彼のお母さんに頼んで、形見をわけてもらった。

それは、彼が生前いつも身に着けていたバングルだった。

そのバングルはとてもかっこよくって、昔わたしは彼に半分冗談で、『そのバングルちょうだいよ~』と言ったことがあった。彼は笑いながら、『これはお気に入りだからあげれない~』と言った。

そのバングルを、もらった。

彼が絶対に手放さなかったバングルは、今わたしの手元にある。これが私のもとにあるということは、彼が本当にこの世界にいないことを証明するのに十分だった。彼が生きていたら、絶対に手放す訳がないからだ。彼はもうこの世界にいない、それは確かなこと、けれど、どこかで見てくれていると信じたいのが残された人間の願いだ。それはまぎれもなく自分のためだ。どんなことをしたって、彼はもう戻ってくることはないのだから。彼はもう喜ぶことも、悲しむこともできない。けれど、なのに、そうだったらいいなと願ってしまう。どうしようもない、これが人間なんだ。

 

彼がサヨナラしたこの世界、彼はこの世界に絶望を感じたのか、もう彼の本当の気持ちは永遠にわからなくなってしまった。

わたしは、彼が生きていた世界が好きだったし、その世界が絶望に満ちた世界だと思いたくなかった。彼がいなくなってしまった以上、これからすべきなのは彼のような人をこれ以上生まないようにすることだ。建設的なことをしていかなければならない、彼の死を嘆いて悲しんでいても、ある程度たったら次へ進まなければ、とバングルが言っている。

なので、この世界は素晴らしいものだということを、これからの人生のなかで証明していこうと思った。この世界は捨てたものじゃないよ、綺麗なんだよ、と、『綺麗な世界』を探していこうと思った。

 

わたしのなかで、綺麗な世界というものは、ちいさな綺麗なピースの集合体で出来ていると思っている。綺麗な世界のピースを集めて、それを組み合わせて世界を作ると、綺麗な世界ができあがる。

けれど、本物の世界は綺麗なものだけでできている訳ではなく、人を絶望させるようなピースもあちこちに転がっている。本物の世界は絶望のピースや、綺麗なピース、汚いピース、いろんなピースの集合体で出来ている。でもブログの中だけは、綺麗なピースだけを拾って書いていきたいと思った。エントリによっては綺麗ごとなことも多いだろうし、世界はそんなものじゃない、というものも多々あることは解っている。でもあえて綺麗なピースだけを拾っていきたい、このブログの上だけでは。

 

世界が絶望であふれているなんてことは知っている、絶望がなければ誰もこの世界にサヨナラしようとは思わない。わたしは勝手に彼をこのブログの0番目の読者として想定している。絶望を誰より知っているひとに、これ以上汚いものを見せる必要なんてない。綺麗なピースは綺麗ごとではない、ある一面からみたら真実なのだ。

 

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とはいってもどのエントリもそんな重いテーマじゃないし、他愛もないこともたくさん書いている、喪は残されたもののためにあるし、このブログも自分のために書いている。ただ、なんとなく、そう思う、ということを書いた。彼のようにこの世界に嫌気がさしてきている人がもしどこかにいたら、あなたに向けて書いています、と思ってもらえたらいいなというおこがましい小さな祈りもある。ただ、生きて、生きて、生きて。


ただ、この出来事のなかで、例え彼の自殺を無理矢理止められたとしても、それは彼にとって本当に幸せなのかと考えることもあった。彼はこれ以上この世界で生きていきたくなかったからサヨナラしたのに、強引にこの世界に縛り付けられたとしても、果たして本当に幸せなのか?もちろん周りの人間は嬉しいのだけれど。



さらに、これがもし身寄りのないホームレスのような方だったり、家族から散々疎まれている方だったらどうなのかと思ったりもする。そういう人たちは、サヨナラした方が幸せなのか?周りで悲しむ人もいないのに?


この問題解決のヒントを、この間公演を聞いた、ある所で救急救命医をされていて、いま第一線で働かれている先生に質問したことがあった。

自殺を試みた人を、例え後遺症を残したとして、さらに周りからも悲しまれなくても、命を救うことについてどう思われますか?と。

先生は迷わずこう言った。


助けるに決まっているじゃないですか。命があることが第一です。例え後遺症が残っても、助けて欲しくなかったと言われても、そこから『助けてくれてありがとう』と言わせるまで持っていくのが、我々の仕事です。



ああ、そうか。自分の浅はかさが心をきゅうっとさせた。と同時にじわじわした暖かい気持ちが湧いてきて涙が出そうだったし、自分はなんて恥ずかしい疑問を持っていたのかと思った。

まずは命を救ってから、だ。その後患者さんの状態、家族の意向、家庭状況、色んなことを踏まえてその後の治療を考えるそうだが、それはこれまでずっとやってきて経験豊富な先生でないと難しいことだそうなので、わたしはまだその域に達していないのだと思う。

この話はひとまず、それとして置くとして、救ったあとは、救ってくれてありがとうと言わすまでが助けるということなんだ。

言われてみれば、あ、そうだよな、と思うことなのだけど、簡単なことこそ見失いがち、人間って当たり前のことも何度も言い合わないと忘れがちな生き物だ。


★★★


まとまりがなくなってしまったけれど、わたしはこんな感じでブログを書いていて、こんな感じで毎日を過ごしている。疑問がうまれ、理不尽な出来事に直面し、さあ、どうしたらいい?と考える、楽しいこともいろいろあるし、生きててよかったとしみじみ感じるその次の日には死にたいなんて思ったりして、そんな毎日が繰り返されていく。


色々書いてしまった、秋の夜はひとを喋らせすぎる。ただの独白、それ以上でも以下でもない、ただの独白、わたしはまた明日からも綺麗な世界のピースを探していこうと思う。